第126話 伏魔殿の主
ショウゾウによって助け出されたレイザーとエリックではあったが、未だ完全な自由と日常を取り戻したとは言えなかった。
今は≪
宛がわれた部屋を一歩出ると、そこは人と魔物が普通に行き来する廊下で、そのことをいちいち騒いだりするものはいない。
その魔物たちはオースレンの消失した迷宮群でよく見られた
そして、レイザーたちの目から見れば、それらの魔物たちを気にするそぶりも見せない、蜘蛛の刺青をした人間たちもまた人の姿をした何か別のものであるとしか思えなかった。
世話係として部屋にやって来る女性もまた黒い蜘蛛の刺青を首の付け根あたりにしていて、それが何を意味するのかとエリックが尋ねると「闇の世界の住人」にしてもらえた証なのだと幸せそうな笑みを浮かべて答えた。
そして、その女性はレイザーたちに警告した。
「あなた方二人は、私たちとは違う。ただ、闇の主の客人だから生かされているだけなの。それを忘れない方がいいわ。闇の主の命により、魔物たちは、あなた方を襲うことは無いけど、その内心は私たちにもわからない。死にたくないなら、あまり用事もないのに出歩くのはやめた方がいいわ。せっかく助かった命、そう簡単に捨てたくはないでしょう?」
≪
この警告が無かったとしても、二人の目には、部屋の外は人知を超えた異界のようなものに映っており、すぐに同じ結論に至ったであろうことに違いは無かったのだが、それが早まった形だった。
救出されてから十日ほどが経ち、レイザーが拷問で失った指三本がようやく細い状態で生え揃ったころ、妖艶な美女を伴って見慣れぬ若者が二人の部屋を訪れた。
この辺りの土地ではあまり見ることのない漆黒の髪と瞳。
その容姿は整っており、男の目から見ても見栄えがするものであったが、この辺りの土地の人間には見られない異国人特有の神秘さが感じられる目立つ顔立ちであった。
「拷問で受けた傷はもうだいぶ良いようだな」
部屋に入って来たその若者は、レイザーの手を一瞬チラッと見て、開口一番そう言うと、物怖じした様子も無く、勝手に椅子を一つ引いて来て、それに腰を下ろした。
「あ、あなたは?」
テーブルをはさんで対面にいたエリックはその大きな体を少し縮めて、緊張した面持ちで尋ねた。
「俺はメルクス。この≪
「そ、そうでしたか。大変、お世話になりました。匿ってもらった上に、食事や寝る場所まで提供してもらってしまって。どうやってこの恩を返せばいいのか」
「そんなことは気にしなくても良い。実は、主とはいっても俺も
若者の紹介に、傍らの妖艶な美女が優雅に礼をして見せた。
その貴婦人然とした振る舞いと黒いドレスから露わになった豊かな胸元にエリックは赤面し、床の方を向いてしまう。
「……ショウゾウさん、あんたなんだな?」
部屋の隅の壁際で、丸椅子に腰を掛けていたレイザーが鋭い眼光をメルクスと名乗った漆黒の髪の若者に向け、唐突に口を開いた。
「えっ、ショウゾウさん? どこに?レイザーさん、何の話をしてるんですか」
エリックは部屋の中をきょろきょろと見回したが、それらしき姿を見つけられず、背後のレイザーに抗議する。
「さすがだな、レイザー。なんで儂がショウゾウだと気が付いた?」
メルクスは愉快そうな顔で、その場で指に≪
すると、見る見るうちに手や顔などの皮膚が皺だらけの張りのない状態になり、髪は薄い白髪頭に変わった。
瞼や頬は弛み、瞳の色も薄く茶色がかった感じになった。
それはレイザーたちが知るショウゾウそのものの姿であり、若く精悍なメルクスのものではなかった。
「まずは歩き方さ。老人特有の擦ったような足運びの癖の名残があったし、それにいつも足音を立てないように歩くだろ。椅子を引く仕草、腰の下ろし方、どれもショウゾウさんを連想させるものだった。顔立ちもよくよく見れば面影がある。先入観を捨てて見れば、当たり前だ。同一人物なんだからな」
「僕は全く気が付かなかった。ショウゾウさん、これは一体どういう手品なんですか?」
「エリックよ。この手品のタネを教えてやってもいいが、そうすればお前はもう引き返せなくなる。だから、その前に聞いておこう。おぬし、この先、どうするつもりじゃ? 」
「どうするって言われても……」
エリックはその太い指を胸の前で、もぞもぞさせながらうつむいてしまった。
「まあ、無理もないか。今や、おぬしたちは儂同様に表の世界では生きられぬような状態になってしまった。ギヨームの話では、オルディン神殿での事件で生死不明ということになっておるようだが、生きていることが分かればすぐに手配されるであろうし、このような事態に巻き込んでしまったことについては二人には詫びねばならぬ。すまんかったな……」
ショウゾウの姿になったメルクスは、そう言ってテーブルに手を突き、頭を下げた。
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