第125話 闇の褥(しとね)

監察使ルシアンと共にやって来た正規軍の五百と神殿騎士団テンプルナイツ百名によるオースレン市街地の一斉捜索が始まった。


相次ぐ迷宮の消失による痛手からようやく立ち直り、賑わいを取り戻したかに見えたこの街の雰囲気が一気に騒然とし、光王家の紋章が入った鎧を着た兵士たちの姿を頻繁に見るようになった。


北地区にも捜索の手は及び、外部の者を寄せ付けない雰囲気のある貧民街にも多くの兵士たちが詰めかけた。

兵士たちは、有無を言わせぬ強硬なやり方で家屋なども含む建造物の一軒一軒を虱潰しに検めて回ったり、貧民街の住人の全員が広場に集めて、人相を確かめたりもしたのだが、謎の怪老ショウゾウの居所はおろかそれに関する有益な情報のひとつも得ることはできなかった。


ただおかしなことに、貧民街の顔役アラーニェとその側近グロア、そして彼らが従えている≪蜘蛛≫と呼ばれる犯罪組織の構成員全員の姿が忽然と消えていて、そのことに街の住民は皆、首をかしげるばかりであったのだ。


もっとも王都からやって来た捜索隊の目的は、あくまでもショウゾウただ一人であったため、何らかの関与の可能性はあったものの、そこに深入りはしなかった。

なにより、アジトであるとされていた建物の中はもぬけの殻で、そこで何らかの活動をしていたという痕跡さえなかったためにそうした組織が存在していたのかということさえ疑わしくなり、それ以上の調査は不可能になってしまったのだ。



オースレンのこの大規模捜索は十日以上にもわたって行われたが、何の成果も得ることができず、結果、ショウゾウはもうこのオースレンからどこか別の場所に逃走したのではないかという結論が下されることになった。


≪闇≫の魔力に対する鋭敏な感覚を有する神殿騎士たちもこのオースレン中をくまなく探したのだが、≪蟲魔ちゅうま≫アラーニェが、この貧民街の真裏まうらともいうべき異空間に構築した≪伏魔殿ふくまでん≫の存在を感知することができず、その捜索は空振りに終わってしまった。


伏魔殿ふくまでん≫には、そこに潜む闇の眷属の存在を隠蔽する特殊な結界が施されており、それは≪営巣えいそう≫というアラーニェ固有の能力によりもたらされたものであった。


「それにしても、あの神殿騎士たちさえも感知できぬとは、おぬしのその≪営巣えいそう≫という能力はなかなかに素晴らしいものだな」


老魔ろうまの指輪≫を抜き、若者メルクスの姿に戻っていたショウゾウが、寝台の上で傍らに寄り添う裸身のアラーニェの艶やかな髪を撫でながら、褒めた。


オルディン神殿での、あの惨劇の夜、レイザーたちを救い出して帰還したショウゾウの寝所にアラーニェは忍んできた。


少し陰気で不気味なところが無いでもないが、見た目は麗しく、他に類を見ないほどの絶世の美女だ。

人ではない、≪魔人≫のアラーニェに情欲のようなものがあるのか疑問だったが、ショウゾウは据え膳くわねばとばかりに拒絶しなかった。


それ以来、アラーニェは恋人などとは少し異なる情婦いろおんなのような一面を二人の時に見せるようになり、こうして時々、夜にやって来るようになった。


「メルクス様……。お褒めに与り光栄ですが、≪光≫の者どもを決して侮ってはなりません。あの神殿騎士とかいう者たちは、所詮、奴らの端くれであるに過ぎず、私の人格のいしずえになっている女呪術師の記憶にある≪光≫の≪使徒≫たちと比べれば大きく劣るようなのです」


「劣る?」


「はい。宿る≪光≫の弱さ、それは忌むべきオルドの血の薄さに起因するのかもしれませんが、あれら神殿騎士程度であれば、本来、我らの怖れるところではないのです。真に恐ろしいのは、光宿す血族直系の、鍛え上げられた戦士たち。あの古の大戦おおいくさに現れた≪光の使徒≫なのです。彼らであれば、この≪伏魔殿≫を直ちに看破とまではいかないまでも、強い違和感を覚えたはずです。メルクス様も、仮に≪闇の魔力マナ≫を完全に反転させていたとしても、彼らと出会ったならば努々ゆめゆめ、よく注意されることです。本物の≪光≫は、魔力マナだけでなく、宿す魂の闇そのものに鋭敏なのです」


「その話が本当であれば、この時代、我らに大きく有利なのではないか? 今、オースレンに来ているという光王家の血を引くという者も、メルクスに扮した俺が、滞在中であるという領主の館近くまでやって来ていても、何も気が付いた風ではなかった。血が濃かろうとも、その宿す≪光≫の力を扱いきれぬのであれば、その≪光の使徒≫足りえないのだろう? 永き繁栄の年月により、鍛えることを忘れ、その栄華ををただむさぼっておったのであれば、光王家などはもうお前たちが怖れるような存在ではなくなっている可能性もあるぞ」


「そうであれば良いのですが、あのオルディン神はそれほど甘くはないかと。知恵に長け、用心深く、非情で冷酷な神です。我ら≪闇≫に対して何の備えもないとは思えません」


「ふむ、そうか。では、心しておくことにしよう。異なる世界からやって来た俺はお前たちほどに、≪光≫やそのオルディン神を知らぬのだからな。だが、あれほどの被害を受けて、差し向けてきたのがあの程度の連中だ。どうにも向こうにも弱みがあるらしいことは歴然のようだな。俺は、その弱みを十分に利用させてもらうつもりだ。こそこそ逃げ回るのは性に合わん。今度はこちらから次の一手を仕掛けるぞ」


「次の一手?」


「ああ、そのうち教えてやるが、あの闇夜に輝く王都に閉じこもっている者どもをあそこから引きずり出し、ふんぞり返っておれぬようにしてやるぞ。今に見ていろよ」


ショウゾウはアラーニェを力強く抱き寄せ、彼女もまたそれに応じるように自ら姿勢を変え、再び覆いかぶさってきた。

ひんやりとした女の柔肌が、闇のしとねのように温もりを帯び始め、それはやがて汗ばむほどの熱となっていった。

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