第123話 監察使ルシアン

一夜明け、焼け落ちたオルディン神殿の周りには多くの住民が集まって来ていたが配備された衛兵隊によって敷地内に入ることは叶わず、路地はその惨状を遠くから一目見ようという者たちで溢れかえっていた。


現場ではグリュミオール家の者たちによる調査が行われている最中であり、その指揮者であるルカの命で、調査後も王都の光王家からの許しがあるまでは封鎖されることになっている。


深夜、立ち昇った漆黒の炎と煙は、付近の多くの住民に目撃されていたのだが、そのあまりにも恐ろしげな様子と検問が各所に設置されるというただならぬ状況から、誰一人として神殿に様子を見に行けた者はいなかったようである。


日中には、世の中を騒がしている怪老ショウゾウがオースレンに出没したという噂で持ちきりになっていたため、外出を控える者が多かったこともその原因であったようだ。


怪老ショウゾウとオルディン神殿の焼失。


この二つの事柄を結びつけるのは誰にとっても容易であったようで、住民たちの間では、王都で無差別大量殺人を行った逃走中のショウゾウによるものであろうということになってしまっていた。

それは根も葉もない噂に過ぎないのだが、ここ最近膨れ上がった得体が知れない≪怪老≫に対する恐怖が自ずとそうした物語を自分たちの頭の中に創り出す結果になったようだ。


その後、オルディン神殿とそれに併設されている養老院 ようろういんから市中に逃げ込んだ者から、神殿騎士たちは皆殺しにされ、その遺体をうず高く積まれた状態で火にかけられたというような話も漏れ伝わり、より一層、ショウゾウという謎の老人に対する住民たちの恐怖は高まったのであった。


ショウゾウを悪神ヨートゥンの再来、あるいはその眷属と語る者たちまで現れ、いかにグリュミオール家がこの事件について緘口令かんこうれいを布こうとも、このことがオースレンの領地の外、特に王都に漏れ伝わるのは時間の問題であった。


正規の報告よりも先に光王家に伝わることを恐れた領主コルネリスの末子ルカは、兄でありグリュミオール家の領主代行でもあるフスターフに急ぎ使者を出すように進言した。


フスターフは、ルカのこの進言を受け、直ちに、それを行った。




使者を送って九日後のこと、王都から外務卿と監察使を兼任するルシアンが一軍を引き連れて到着した。

それは神殿騎士団テンプルナイツ百名のほか、ノルディアス王国の正規軍五百名からなる混成部隊ではあったが、長く平穏な時代が続き、戦らしい戦を経験していないオースレンの人々からすれば、軍の規模以上の威容に感じられたことだろう。


当然、この派兵は王都の人々からしても驚くべきものであったようで、どこか地方の内乱でも起こったのかと大騒ぎになったようである。

当然のことながら派兵の理由や目的は伏せられていたが、それがまさか一人の老人を標的にしたものであるとは、その軍の物々しい雰囲気を見た者は誰も思わなかったようである。


オースレンに到着した監察使ルシアンは、部下たちにオルディン神殿の調査を命じ、自身はまず危篤中の領主コルネリスを見舞った。


光王家に連なる王族が、侯爵家とはいえ王都外の一地方領主に過ぎないグリュミオール家に対してこれほどの礼を尽くすのは異例のことであり、そのことにフスターフたちは大いに困惑した。


王族及び王族とのつながりを持つ宮廷貴族と、地方の長官的地位を任されているに過ぎない領主貴族とは、住む世界が違うと言っても過言でないほどにそのすべてが異なる。


グリュミオール家の祖先は、かつてこの地に存在した大小百を超える氏族を束ねていた七大氏族のうちの一つであったが、ノルディアスの覇権をめぐる太古の神々の戦いにおいては、侵略者であるオルドの側に味方し、多くの戦功を立てたとされている。


その時の功績を認められ、このオースレンの領地とオルドの血を引く伴侶を与えられたのだが、学者肌のルカに言わせれば、これは侵略者による先住民の懐柔策の一つに過ぎず、血統の由緒正しさなどは、光王家とは遠く、比べるべくもない。


ゆえに、その格式の違いからも、光王家の血に連なる高貴なる者が、自ら病床に臥せった一地方領主を見舞うことなど、まず前例がないことであるのだ。



迷宮消失に関する調査の途上で倒れた領主コルネリスは、意識こそ取り戻したものの、主に右半身に重大な麻痺の症状が起こり、発音や言語に障害を抱え、寝たきりの状態になってしまっていた。

我が身に起こった不幸に、コルネリスはすっかり元気を失い、もはやかつての面影も無いほどにやせ衰えていた。


ルシアンが見舞いにやってきたことを告げられると、寝台から転げ落ち、床に這いつくばって、これを出迎えたが、うまく言葉を発することができず、会話に使う単語があべこべになっているなどして会話は成立しなかった。



見舞いを終えたルシアンを貴賓室に招くと、領主代行のフスターフは、オースレンで起きた一連の事件の報告を背に汗しながら、ようやく説明を始めた。

時折、弟のルカが補足し、ルシアンの質問に答えるなどしたが、不明なことが多すぎたため、現時点でわかっていることのすべてを語るのにそれほどの時間は要しなかった。


「グリュミオール家としての言い分はわかった。事件後の状況も詳しく調べ上げたようであるし、現場を封鎖し、温存しておくなどの措置も見事であった。あとは我らが一切を引き継ぐことにするゆえ、グリュミオールにはその支援と当地での便宜を頼みたい」


「御意にございます。当家を上げての協力と献身をお誓い申し上げます」


光王家の者の証のひとつでもある白金色の髪をした若きルシアンの言葉に、フスターフたちは内心で深く安堵した。

領主であるコルネリスの容態と度重なる不祥事、事件からなにがしらかの処分を申し付けられるのではないかとびくびくしていたのだが、そのような話にはならなかったようだと胸をなでおろしたのだった。

軍を率いてきた理由が不明であったし、最悪の場合、身柄を拘束されることもあるのではないかと覚悟していた。


「……しかし、このオースレンは随分と災難続きなのだな。来る途中にそなたらから送られてきた報告書にも目を通したが、≪老死病≫騒動から始まり、領地運営の根幹である二つの迷宮の消失、そなたらの父である領主の病。まるでこの地が何者かに呪われているかのようではないか?」


「はい、仰せのとおりにございます。今回のオルディン神殿での一件も、我らにしてみれば、なぜオースレンでこのような惨劇がという思いを抱えており、命を失った者たちの不幸を思えば、領主代行として胸が張り裂ける想いではありますが、その一方で我らも被害者であるということをお分かりいただきたく……」


「フスターフ卿、皆まで言わなくともわかっている。くだんの老人がこのオースレンの住民であったことの咎を問われるのではないかと恐れているのだろう?」


「……はい、そのショウゾウという老人は、この土地で生まれ育った者ではなく、いずこからこのオースレンに流れてきたと考えられています。オースレンの冒険者ギルドに残った記録によれば、冒険者として登録をしたのも最近のことでございますし、それ以前の経歴は不明です。その……、当家が取り組んでおります迷宮の公営化事業にも、立ちあげの際に実は少し関りがあったことはあったのですが、今は関わらせてはいません」


フスターフはルシアンの顔を見ることができず、床に視線を落としたまま、震える声で報告した。


「フスターフ卿は随分と心配性なのだね。その事実についても、報告書に書かれていたので承知している。いいかな? 私は個人的にこのグリュミオール家に対してどうこうしようとは考えていない。この怪老ショウゾウの件は私に全権委任されているし、もし仮にそうしようと思うのであればできないことは無いが、そんなことをしても私には何の得も無いのだ」


「それは、本当でしょうか? では、あの大軍は……」


フスターフは、まだ若い自分よりもさらに年下のルシアンの言葉の真意を計りかねて、尋ねた。


「まあ、このような大げさな軍容を見せられれば、そう疑いたくなるのも無理はないか。だが、この軍勢は私の意図したものではない。私はあの兵数の十分の一ほどで十分だと考えていたのだが、国王陛下直々の意向が働いたのだ。許せ」


「国王陛下の……」


巫女姫ふじょきの予言のこともあり、今回の相次ぐ事件に関わっているとされるそのショウゾウという老人を、陛下は、殊の外、危険視している。予言に出てきた光王家に仇名す≪闇≫そのものであると考えているようなのだ。オルディン神殿が標的として狙われたこともあり、その疑いを一層深めておられる」


「この襲撃事件は、陛下が関心を示すほどの国の大事に関わっていたのですね」


「そうだ。これほどの規模の部隊を動員することになったのはそうした事情があったのだ。五十名ほどからなる神殿騎士所属の者たちを全滅させ、何の証拠も残さず、忽然と姿を消したそのショウゾウを討つのに、倍の百では足りぬとお考えのようなのだ。私はむしろ数ではなく質だと申し上げたのだが、通らなかった。そして、兵権を預かる将軍の一人が向かうことに決まったため、本来、私はこのオースレンへの派兵には帯同しない予定であった。だが、ある目的があって、自ら志願することにしたのだ」


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