第122話 非道の炎

「エリック、レイザー、随分とやられたな。待っていろ、今、治してやる」


エリックは全身ズタボロの状態であったし、レイザーなどは拷問によるものか、右手の指三本を失っていた。


ショウゾウは、おのれの全≪魔力マナ≫を反転させ、≪闇の魔力マナ≫に戻した。


もし近くに≪光≫の者どもがいるならば、居場所を察知されてしまうリスクがあるが、通常の≪魔力マナ≫の状態では、魔法の効果が弱く、しかも闇魔法が使えない。

前歯や指などの欠損部分を≪小回復キュオラ≫で直すなら、闇属性に反転させる必要がある。

小回復キュオラ≫を反転させた場合の効果については、師事しているアラーニェに確認済みだ。


「闇の鼓動、闇の脈動。人の闇に眠る命の根源よ。彼の者の傷を癒したまえ。≪闇・小回復デア・キュオラ≫」


ショウゾウの杖先から湧いて出た闇がもぞもぞとエリックの全身を這いまわり、傷がある部分に留まって張り付いた。


「うわぁ、なんですか、これ……。なんかむずむずするし、なんかじっとしていられない」


「我慢しろ。その張り付いている黒い靄が、お前の傷を少しずつだが、完璧に治してくれる。ほら、次はお前だ。レイザー、嫌な顔をしてないで、こっちに来い」


ショウゾウはレイザーにも同様の魔法をかけると、今度は先ほどの牢番をしていた神殿騎士の老いた屍に、闇火弾デア・ボウを放った。


「ショウゾウさん、あんた一体どうしちまったっていうんだ。この不気味な回復魔法といい、その黒い火弾ボウといい、なんだかすっかり様子が変わっちまったように思えるが……」


「儂は何も変わっておらん。お前たちに披露したのは初めてだが、どちらももともと儂が持っておった力だ。人に見せられぬ事情があってな、秘密にしていただけのことだ。そんなことより、時間が無い。はやくここをずらかるぞ。三人ともいまやお尋ね者なのだ。再び捕まりたくはあるまい」


ショウゾウは、幾分、元気になって来た二人について来るように言い、地下を出て、神室の出口のところで、ふと立ち止まった。


ショウゾウは振り返り、巨大なオルディンの立像の隻眼を睨んだ。


「どうしたんだ、ショウゾウさん。急ぐんだろう?」


「少し待っておれ。ここで最後の仕上げをしていく。やつらの信仰の象徴であるこの場所を使って、奴らの心の拠り所にしているものが、絶対の存在などではないとわからせてやるのだ」


儂に対する畏れを増幅させ、おいそれとは手が出せぬ存在だと思い知らせるためには、ここで行った虐殺行為だけでは演出が弱い。

どうせ追われる身となったのだから、実際の脅威以上に思わせることで、連中の士気を下げてやろう。


≪光≫に属する者どもとはいえ、奴らも人間。

死を恐れる心は持ち合わせているだろう。


ショウゾウは、これまでレイザーが見たことが無いほどに精神を集中した様子で、なにやら魔法の詠唱を始めた。

それは、先程の魔法と同様に、冒険の日々の中でレイザーが耳にしたことが無いものだった。


「魔導の王たる我が求めに応じ、来たれ、深淵の闇に沈む煉獄の炎よ。嵐と共に来りて、混沌たる破滅をもたらせ!≪闇・滅炎嵐陣デア・ドラローア≫」


ショウゾウの詠唱の後、室内の空気が震え、圧倒的な威厳を放つオルディン像の足元に黒い火で描かれた魔法陣が現れたのも束の間、地の底から黒い炎がいくつもの竜巻のような形状で立上り、凄まじい熱を周囲に放出しだした。


「ぐっ……」


ショウゾウは覚えたての高位複合属性魔法、それも初めて反転させてみた≪滅炎嵐陣ドラローア≫を制御しきれず、杖先から迸る≪闇の魔力マナ≫の逆流で自らも強い衝撃を受けてしまった。

そして思わず膝をつき、肩で息をするほどに疲弊してしまう。


滅炎嵐陣ドラローア≫を新たに契約した理由は、ひとりで多数の敵と渡り合わなければならない状況が増えるであろうという想定に基づいたものだが、今のショウゾウの魔法使いとしての力量では、いささか手に余るものであった。

しかもそれを反転させ、闇魔法として使うとなるとそれはもう無謀としか言えないものであった。


≪闇の魔力マナ≫が不足するので、消費倍増の無詠唱では使用できないし、魔導神からもたらされた破格の魔法の効果を制御するだけの魔力操作の技術がまだ不足していたのだ。

本来、高位魔法を完全に使いこなすには、魔導神に支払うだけの魔力量が必要なのはもちろんのこと、与えられた魔法の効果を現世で正しく発現するためのすべと感覚を、脳内での繰り返しの模擬修練などによって身につけなければならない。


それを一発勝負で使ってみるなど、普通の魔法使いからすれば、正気の沙汰とは思えない暴挙であるそうなのだが、一番最初に火弾ボウを身を焼かれながら習得した時の経験上、命懸けではあるものの、これが最も魔法を使いこなすための近道であることをショウゾウは自らの体験から気が付いていたのだ。


「ああ……、ショウゾウさん。何という恐ろしいことを……。よりにもよってあのオルディンさまの像に火を放つなんて……」


エリックは炎と熱によってすっかり変わり果ててしまった神の像を見上げながら、全身を震わせ、怯えてしまっている。


「反転前の≪滅炎嵐陣ドラローア≫から想定していたものよりも威力が大きいな。像だけを損なわせるつもりが、やりすぎてしまったわい。柱や梁の石材が端のところから融けだしているし、このままでは建物自体も持たないだろう」


「お、おい!何をやってるんだよ、ショウゾウさん。あぶねえ!行こう。ここはもうヤバい」


レイザーがショウゾウを抱き起しながら言った通り、≪闇・滅炎嵐陣デア・ドラローア≫の威力は凄まじかった。

黒い炎の嵐はオルディンの石像を瞬く間に黒焦げにしたばかりか、周囲に黒い炎をまき散らし、建物のあちこちに延焼し始めた。

その炎はへばり付くやにや、地を這う虫の動きを連想させるような奇妙な動きをする炎だった。


レイザーは茫然と立ちすくむエリックの尻を叩き、二人を建物外に押し出すように促した。



神殿の外はすでに人影は無く、敷地内の庭で折り重なって積まれた黒焦げになった死体の山が、かけられた油の力もあってか、まだ燃えていた。

これは老いた大量の死体から、スキル≪オールドマン≫の力の全容を悟られてしまうのを防ぐ目的もあって、グロアにそうするよう命じたものだった。


だがそれがただの小火ぼやに思えるほどに、闇の炎が、背後の神殿全体に張り付くようにして延焼し続ける光景は圧倒的だった。


長い年月としつき、オースレンの人々の信仰を一身に集めていた神聖な神殿が黒い炎に巻かれ、燃えている。

さらに屋根を支える木材が先に焼け、轟音を立てて崩れ始めた。


おそらく、領主の城からもこの惨状は見えているはずであろうし、それに気が付いた兵士たちが殺到してきていたとしても不思議は無いのだが、出入り口のところまで来ても、そこにある人影は一つだけだった。


闇に溶け込む色の外套に身を包んだ黒髪の青年が、横付けされた馬車の前で待っており、ショウゾウの姿を目にすると、膝をついて、頭を垂れた。

家紋こそ布がかけられていて隠されていたものの馬車は黒塗りで、品が良く、かなり上等なものであった。


「おぬしが、アラーニェが言っていたギヨームか? ……あのルカとは似ておらんな」


ひょろりと背が高く、細身であるルカと異なり、そこに控える青年は骨太で少し粗野な印象の見た目をしていた。


「お初にお目にかかります、闇の主。仰せの通り、私はルカの兄、ギヨームと申します。アラーニェ様の命により、私が馬車で安全な場所までお運びすることになっております。どうぞ、お急ぎください。検問をする名目で、付近に配置させてはいますが、この火勢では、もうじきここにも、私の衛兵隊や付近の自警団の者などが押し寄せてくるのは間違いありません」


ルカと比較されたことなど気にした素振りも無く、ギヨームはまるで神を見るような心酔しきったまなこで、ショウゾウを見上げていた。

そして自ら馬車の客室のドアを開けると、ショウゾウたちにはやく乗るようにと促し、自らは御者台に腰を下ろした。


こうして、神聖なる神殿を焼くという非道を成した怪老を乗せた馬車は、各路地に配置されていた衛兵隊の検問の隙を通り抜け、夜の闇に消えていったのである。




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