第118話 オルディン神殿の虜囚

オースレンにあるオルディン神殿は、この都市においてもっとも古い建造物の一つであり、領主の城に次ぐ規模を誇っていた。

上質の石材をふんだんに使い、絢爛豪華な彫刻が施されたその外装は見る者の心を圧倒し、自然とひれ伏したくなるような威厳を放っていた。


その巨大な神殿の内部には、槍を手に勇ましく屹立する神の立像が安置されており、その立ち姿こそが、イルヴァースにおける光の主神にして全知全能たるオルディン神であるとされている。

片方の目が無く、その顔は長い髭で覆われており、見るからに勇ましい。


そのオルディン神の像の前で倒れている若者は、かつてショウゾウと名乗る冒険者の仲間であり、今は虜囚となっているエリックであった。

胴体と両腕を縛られ、芋虫のように床に這いつくばっている。

そのあどけなさが残っていた顔は、見るも無残に晴れ上がり、前歯が欠け落ちていた。


「ほら、立て! 光に仇名す者よ。オルディン神の前で許しを乞え!」


オルディン神の紋章を付けた騎士装の男が、エリックの髪を掴み、強引に立たせると、別の男がその腹部に振るう拳をめり込ませる。


エリックは呻き声もあげることなく、再び床に倒れ、そのまま動かなくなった。


「こいつ、随分と頑丈なものだから、ついやりすぎてしまうな」


「ああ、俺たちの憂さ晴らしにはぴったりだが、死なせてしまうのもまずい。今日はこの辺にしておこう」


紋章を付けた騎士たちは、気絶したエリックの両脇を抱えると神殿の地下にある背教者のための牢獄に再び連れて行った。




「今日もかなりやられたみたいだな」


鉄格子のある牢に放り込まれたエリックに、しばらくすると石壁の向こうから声をかけてくる者がいた。

冒険者としての先輩であり、仲間のレイザーだった。


その声は乾いており、ガサガサしていた。


「俺みたいに、さっさと気絶しちまえればいいんだが……。そうすれば、不必要に殴られずに済む。頑丈なのも損だな。苦痛が増しちまう」


「僕は大丈夫です。生まれつき、体が丈夫なのだけが取り柄ですから……」


「ははっ、空気が漏れて、何を言ってるかわからねえよ。まあ、もう何も言うな。休んで体力を温存しろ。明日もどうせ殴られるんだからな」


エリックは血の味がするつばを飲み込み、横たわったまま頷いた。


王都の宿屋に兵士たちが殺到してきて、身柄を拘束されてから今日で何十日目になるのだろう。


最初は、尋問のようなものが続いたが、エリックがショウゾウについて何も知らないことがはっきりすると扱いが粗雑になり、こうして暴行などを受ける頻度が増えていった。


拘束されてから二カ月ほど経った頃、神殿騎士たちは、エリックたちの身柄を王都からオースレンに護送し、このオルディン神殿の牢に入れた。

罪状は何度聞いても、神に叛いた罪だとしか告げられず、その詳しい理由を聞いても答えてもらえなかった。

レイザーによれば、おそらく自分たちはショウゾウをおびき寄せるための餌にされているのだろうということだったが、何日経ってもその待遇に変化は無く、日を追うごとにいらだった様子を見せる神殿騎士たちの絶好の慰み者にされる毎日だった。


神殿騎士たちは、このオースレンに駐留させられていることに不満を抱えている様であり、はやく王都に帰りたいとそればかり口にしていた。


「俺たちが生かされているのは、ショウゾウさんが生きている証拠だ。もし仮に捕まったり、殺されたりしていたなら、俺たちは用済みになり、きっと口封じも兼ねて処刑されるに違いないからな」


これはここの牢獄に入れられた日にレイザーが語っていた予想だが、自分としてはもうどちらでもいいから一思いに殺してほしいとエリックは考え始めていた。


日々与えられる苦痛に負けて、あのショウゾウを恨みたくない。


エリックにとってショウゾウは、挫折しかかっていた冒険者人生を立て直すきっかけを与えてくれた恩人であり、冒険者歴は自分と変わらないものの、尊敬と憧れの対象だった。

次に自分がどうすればいいか道を指し示してくれてくれる師のような存在にもなりつつあったのだ。


口下手で人間付き合いが苦手な自分を疎まず、平等に接してくれたショウゾウたちと仲間として過ごした日々は、実家でさえごくつぶしのでくの坊と馬鹿にされていたエリックにとっては最も幸せな時期であった。

ショウゾウは、自分のことを決して馬鹿にはしないし、その眼差しは自分の父親から向けられるものよりも温かいものであった。


だから、このようなひどい目に遭ってさえ、それがショウゾウのせいだとは思いたくなかった。



エリックは全身の痛みと疲労から、再び意識を失った。

そして、数時間が経ち、空腹で目を覚ますと何か上階の様子がおかしいことに気が付いた。


何か人が争うような物音がして、それがしばらく続いたかと思うと今度は逆に異様なほどに静まり返ってしまったのだ。


いつもであれば残飯同然の食事が運ばれてくる時間であり、それが来る気配も無い。


「レイザーさん、僕、腹が減って死にそうなんですけど、僕が寝ている間に食事って運ばれてきましたか?」


「……目が覚めて、一言目がそれか? タフな奴だぜ。飯の時間ならかなり遅れているようだ。まだ来てないし、それに何か上で起きているようだ。金属同士がぶつかるような音がしたし、あとは悲鳴や奇妙な鳴き声もな。それに地響きのようなものも聞こえたし、これが幻聴ではないなら、地下にいる俺たちもヤバいかもな……。シッ! 少し静かにしろ。誰か来る」


それは二人分の足音であった。

湿った地下牢の石床に不気味に響き、足を引きずっているのか、たどたどしく、とても不規則だった。


その二人組はなにか灯りを持っているようで、その明るみが少しずつ近づいて来た。

松明やランタンの温かみがある色合いではなく、白々とした冷たい感じがする光だ。


エリックはなぜだか異様に恐ろしくなり、その大きな体を壁際に寄せて、身を縮め、小さくうずくまった。

そして薄目を開けて、自分の牢の部屋の前で立ち止まった二人組をみるとその奇妙な様子に思わず息を呑まずにいられなかった。


神聖騎士団の鎧を付けた老人を別の誰かが背後から羽交い絞めにしており、その喉元に小剣の刃を突き付けていたのだ。

傍らには光の玉がふわふわと浮かんでいて、それがいっそう不安な気持ちを掻き立ててくる。


「嘘ではなかったようだな。もう楽になっていいぞ」


その言葉と同時に神聖騎士団の鎧を付けた老人は床に倒れ込み、そして動かなくなった。

別に小剣で喉元を切られたわけではなく、見たところ無傷だった。

何歳なのか分からないほどに皺くちゃで白目を剥いたその老人の顔は恍惚としており、闇に浮かんで、ただただ不気味だった。


「ヒィッ!」


恐怖のあまり声が漏れてしまい、エリックは慌てて自分の口を塞いだ。


「……エリック、儂だ。そんなに怯えずとも善い。今、そこから出してやる。レイザーも少し待っておれ」


エリックはその聞き馴染んだ声を聞き、ようやく安堵することができた。


「ううっ、ショウゾウさん。僕は……」


熱い何かが両目から溢れ出て来るのを止めることができないまま、エリックは思わずそこで嗚咽した。


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