第116話 身に余る力

イルヴァースを創造した神である巨人神ヨートゥン。

その神の分かたれたる力に自我が芽生え、それが受肉したものが≪魔人≫であると、かつて≪石魔≫シメオンは自らを説明した。


だが、この説明に対して、メルクスは納得しておらず、その疑問に思っていたところをアラーニェに率直にぶつけてみた。


≪魔人≫たちには明らかに人格と個性があり、その自我が自然発生したものであるとは到底思えなかったのだ。


メルクスの問いかけにアラーニェは、幾分戸惑った様子を見せつつも、自らその内面を慎重に分析し、そして答えてくれた。


「……メルクス様のご指摘のように、我らには迷宮内で自我が芽生える以前の過去も、人間のように赤子から成人に至るような過程も経てはいません。つまり、この世界に生を受けた時から、我らは完成された一個の自我であり、そう定められて生み出されたとも言えるのです」


「お前とシメオン、そこのグロアは、同じ≪魔人≫とは言ってもその姿、知性、能力は大きく異なるように俺には見えたのだ。その……ヨートゥンとかいう神の自我とお前たちの自我は全く別のものであるのだろう? 記憶は、その各自の知識のようなものは、どうなっておる? 共有されているというわけではあるまい」


メルクスは、用意された豪勢な料理を前に、葡萄酒が注がれたグラスを揺らし、香りを楽しみながら、尋ねた。


「ヨートゥンの神格はもはや失われております。我らの自我の源になっているのは、かつてヨートゥンに不滅の信仰を抱き、そしてその身命を捧げた二百六名の選ばれし信徒たちの高潔なる魂。降臨し、この地に侵攻してきたオルディンの軍勢を迎え撃つために、ヨートゥンもまたその身を地上に体現させる必要があり、その生贄になった者たちの魂の残り火が遺された神の力の一部と融合し、我らを生み出したのだと私は考えています。私のもとになったのは、古くエメインという土地を治めていた豪族のおさの妻にして、その夫亡きあと、その生涯のすべてを侵略者たちとの戦いに捧げた女呪術師のもの。そこにいるグロアは、オルディンにより滅ぼされた蛮族の生き残りにして、その族長の息子であったものの魂の名残がある様子……」


「なるほどな。その見た目や性格などは、実在した人間のものが基本になっているわけか。どうりで、どこか人間らしさが感じられたわけだ。その……、元となった人間のすべての記憶はそのまま残っているのか?」


「いえ、私たちはあくまでもヨートゥンの力の一部が変異したもの。そのもととなった人間そのものではないのです。残された記憶はあくまでもその断片に過ぎず、ヨートゥンから受け継がれた知識やその知性のようなものも分かたれ、その多くは失われている。つまり、我ら≪魔人≫は人としても、超越者としても不完全であるわけです」


「人として不完全か……。しかし、それはどうなのだろうな。人間とはそもそもが不完全なもの。完璧な人間などおらぬし、そういう意味ではおぬしたちと何も変わらん気がするがな。人間の記憶とて限りがあるし、過去の記憶など時の流れがたやすく消し去ってしまう」


メルクスはようやくグラスを口に運び、その深みのある味わいと果実皮の心地の良い渋みを舌の上で転がし、楽しんだ。


「旨いワインだな。この辺の食堂で供されているものとは全く別物だ」


「それはこの地の領主の息子ギヨームに用意させていたものです。お気に召したのであれば、あとでもっと持ってこさせますが……」


「驚いたな。もうすでにグリュミオールとも繋がりをもっているのか?」


「いえ、繋がりというほどのものではありません。ただ、あれはもう我らの手の内。私のかわいい使い魔の一匹をその頭の中に住まわせておりますので、自由にできます」


そういうアラーニェの美しくしなやかな左手の指の背には黒蜘蛛が一匹、乗っかっており、それが素早く肩の方へ登っていく。


「そんな能力まであるのか……。しかし、わからんな。それだけの力を持ちながらこのオースレンの貧民街で何をしておったのだ。あのシメオンもそうだが、お前たちの行動の意図がいまいちわからん」


「あの石頭が何を考えているのかは計りかねますが、私がこのオースレンの貧民街にやって来たのはとにかくこのグロアの暴走を止め、制御することが目的。いかに≪従魔の儀≫を済ませたとはいえ、このグロアが貴方様に直接、接触するのはどうにも目立ちすぎる。メルクス様に敵対する相手を皆殺しにでもしようものならば、≪光≫の者どもにすぐに嗅ぎつけられてしまいますからね」


「それは、おぬしがそのように動いてくれて命拾いをしたな」


メルクスの言葉に何を勘違いしたのか、グロアはその傷だらけの醜い顔に満面の笑みを浮かべた。


「そして、その後は、私に宿る≪営巣えいそう≫の力で、いつでもメルクス様を匿えるような拠点を作ろうと考えました。メルクス様の計画を乱したくは無かったので、こちらからは接触を図らず、まずはいつでも役立てるように地盤を固め、時が来るのを待つ方針であったのです。まさか、メルクス様がこのオースレンを離れるとは思いもよらず、そして王都で危難に遭われたと知った時はさすがに行動を起こそうか迷いましたが……」


「そうか、そこまで把握していたのか。その情報も、領主の息子からのものか?」


「いえ、私の使い魔を住まわせている人間はいまや千人を越えます。行商を営む者など、このオースレンの外にも居りますし、王都にも数人寄らせております」


「大したものだ。思慮深く、そこのグロアもおるのだし、俺の存在など本当に必要なのか? おぬしらだけでも、それなりに上手くやっていけそうではないか」


メルクスの言葉に二人の≪魔人≫は、その顔の表情を暗くした。


「メルクス様、先程も申しましたが、我ら≪魔人≫は人としても、超越者としても不完全で、不安定な存在なのです。闇の主たるメルクス様の存在無くしては、生きる目的も意義も見い出せぬ哀れな存在なのです。人間たちのように、己が欲望を満たすために生きることはできません。もととなった魂が一度死を体験しているからでしょうか、生きたい、他者に優りたいという生物が存在し続ける上で必要不可欠な、生命の根源たる欲求のほとんどを持つことができないのです。それゆえに、メルクス様のような導く者の存在が必要不可欠であり、その活力にあふれた大いなる闇の魂と繋がることを強く望んでしまうのです」


「あのシメオンはそうでもなかったようだがな。あのような辺鄙な場所で呑気に、よくわからん奇妙な石像を作り続けておったし……」


「あれにはあれの考えがあるのでしょう。シメオンがメルクス様に従わなかったのは、その御身を慮ってのこと。より上位の≪魔人≫を従えるためには、メルクス様自身の闇の力がその者を上回っていなければならず、そうでなければつながりを持った≪魔人≫に宿る業によってり殺されてしまうことになりますからね」


アラーニェの際立つほどに妖艶で赤い唇からもたらされたその事実にメルクスは一瞬、背筋が凍り付く思いがした。


そして、やはりもっとこの者たちについて知らねばならないとその必要性を強く再確認した。

元の世界でも、扱いきれぬ大金を手にして自滅していくやからを何人も見てきたが、それと同じだ。


二人の強力な≪魔人≫を意図せずして従えることにはなったが、身に余る力はかえって我身を滅ぼす。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る