第114話 蟲魔アラーニェ

受肉し、人の形を得た魔……。

≪石魔≫シメオンは、その状態になった自らをして、≪魔人≫と名乗った。


今、目の前に現れた≪獣魔≫グロアもまた同様の状態なのだろう。


G級ダンジョン≪悪神あくしんいざない≫で、眷属の端に加えてほしいと懇願してきた時は、半透明の幽霊のような姿であったのが、今は確かな存在感を放つ肉体を備えた状態で眼前に姿を現わした。


あの時の服従の誓いが偽りでないのなら、自分に対して敵対行動をとるはずはないが、油断はできない。


メルクスは≪石魔せきまの杖≫に意識を向け、いつでも魔法を発動できるように心構えだけはしておくことにした。


そんな内心を読み取ってか、≪獣魔≫グロアはメルクスからかなり離れた場所で跪き、そこで動かなくなった。


「わがあるじ……、おむがえできるひをいまがいまがとまちわびておりました」


≪獣魔≫グロアは、ゆっくりとしたたどたどしい口調で、そう言うと一層頭を下げた。


「敵意は無いということでいいのだな? 」


「ぎょい。まえにもいいましだが、われをめざわりとおもわれるならしねとおめいじぐだされば、このばですぐにでもこの首さじあげます」


「お前の首などいらんが、何分なにぶんにもこちらは相次ぐ危難で、少し用心深くなっておってな。いますぐにおぬしの言葉のすべてを鵜呑みにするわけにはいかんのだ。少しでも変な行動をとれば、その時は命はないものと思ってくれ」


「このグロアのしんめいは、わがあるじのもの。ごろされても文句はありません」


「ふむ、お前と話していると調子が狂うな。おい、少年。俺を呼んでいたのはこのグロアではなく、アラーニェとかいう者なのだろう。そいつはどこにいる? 」


メルクスの問いかけに少年は少し困った顔で、≪獣魔≫グロアの方を見た。


「わがあるじ、このさきはこのグロアめがあないいたじます。ピィター、ごぐろうだっだな。おまえはここまででいい」


少年の代わりに≪獣魔≫グロアが答え、「づいてきてぐださい」と言って立ち上がるとくるりと背を向け、どこかに向かって歩き始めた。



≪獣魔≫グロアが案内してくれたのは、貧民街の奥深く。


メルクスは大股で歩くグロアのその歪な背中を眺めつつ、このままついて行っていいものか、思案していた。

全ての人間関係を断たれ、孤立無援の状況にあるとはいえ、このように得体の知れぬ者たちと接触を図ることが、本当に己が利益と結びつくのかどうか。


オースレンに住んでいた頃も、これほどまでに北地区の奥の方まで入っていったことは無い。


この辺りまで来ると路上に人影は無く、ありあわせの材料を用いて作った一時しのぎのバラック小屋のようなものが連なる風景から、古びた石造りの建物が並ぶ景観に変わり始めていて、他の区画とは少し趣が違う感じになって来ている。


その建ち並ぶ古い建物のうちの一つ。

何の特徴も無い簡素な見た目の平屋の石壁に作られた頑丈そうな鉄扉の前まで来ると、≪獣魔≫グロアはそこで立ち止まった。


「アラーニェはこのとびらのむこうに……」


≪獣魔≫グロアは、重そうな鉄扉を軽々と片手で開き、メルクスに対して黙礼をした。


「その身体の大きさではこの扉から中に入ることはかなうまい。ここから先は、儂一人で行けということか?」


扉の開口部から覗くのは、廊下や室内の様子ではなく、その先を見通すこともできない深くて濃い、漆黒の闇だ。

この闇の中に何のためらいも無く飛び込めるような度胸の持ち主などこの世にいるのだろうか。


「われもアラーニェも、あるじのてきではない。やみはあるじをかんげいする。おそれることはありません。われをじんじてください」


≪獣魔≫グロアの被り物の覗き穴から見える二つの眼が、不似合いなほどに少年のような輝きを帯びている。


これで、自分に危害を加える意思を隠し持っていたなら、天性の詐欺師であるぞ。


まるで自分を信じてほしいと訴えかけるような視線に、メルクスは思わず目を背けたくなった。


「……ええい、ままよ」


メルクスはなる様になれとばかりに、一気に扉の先の闇に飛び込んだ。


どの道、オースレンの現状を神殿騎士団の影に怯えながら探ったりしなければならないのだ。

危険なのはどこにいても同じ。

そのアラーニェとかいう人物が何者なのかも興味があったし、なにより自分がなぜこのオースレンに舞い戻ったことを知ることができたのか確かめねばならなかった。


王都では自分を追って来た者たちの中に、目に頼らない感知方法を有していると思われる者たちがいて、散々に追い回される破目になった。


この謎を解き明かさぬうちは、自由に行動することすら、ままならない。



闇の中は不思議な空間であった。


そこはまるで宇宙空間のように無重力で、少し先も見えないほどに真っ暗ではあったが、まるで母親の胎内にいるかのような心地よさが感じられる場所でもあった。


不安と安心が入り混じったような奇妙な状態に陥りながら、メルクスはこれがなんらかの魔法、あるいはそれに類似した能力などによるまやかしであることを見抜いていた。


この空間には≪魔力マナ≫が満ちており、おそらく自分の感覚が狂わされているだけだ。


メルクスは身の内に宿っている自身の≪闇の魔力マナ≫を体外に出し、それを身に纏うことで、自分をこの空間の闇から隔離した。


魔力マナ≫による作用は、≪魔力マナ≫によって打ち消すことができる。


命魔法などの中には精神や感覚に影響を及ぼすものがあることを書物などから学んでいたが、その魔法に対する抵抗レジストを試みる時と同じ方法を、一か八か試してみたのだ。


急に、足下の感覚が戻り、周囲の闇が晴れた。

上下逆さまにもなっていなかったし、自分は普通に立ち尽くしていただけであったようだ。


そこは磨き上げられた大理石が床、壁一面に貼られた廊下の行き止まりだった。

二、三人が並んで歩けるほどに広く、その通路の中心には葡萄酒色の見事な絨毯が敷かれていた。

目の前には、まるでどこぞの王族が住む宮殿にでもありそうな凝った装飾の両開き扉があり、施された彫刻のテーマはなにかの「戦争」であるようだった。

多くの人間、そして巨人のようなものが入り乱れ、殺し合っている。


「悪趣味な扉だ……」


振り返るとさっきの武骨な鉄扉は無く、今立っている廊下が延々と続いていた。

それは、さっき外からみた石造りの平屋の建物の大きさからはありえないほどの空間の大きさで、現実のものとは到底思えなかったが、今度はまやかしなどではないようだった。


周囲の状況を把握すべく、観察していると突然、壁に闇の塊が出現し、そこから≪獣魔≫グロアが現れた。

そして、その丸太のような両腕で、目の前の両開き戸を開くとその場で片膝をつき、「わが、やみのあるじのとうちゃくだ」と声高に宣言した。



メルクスが足を踏み入れたその場所は、まさに玉座の間としか形容のしようがない大広間であった。

人数で言えば、二、三百人は列席することがかなうであろう。

内装も調度品も見るからに豪華で、このようなものをどこから調達したのかまったく想像もつかなかった。

視線の先には如何なる王をも満足させるであろう豪奢な造りのからの玉座があり、それが置かれた壇上には立派な天蓋まで設けられていた。


そのあまりにも見事で、広すぎる玉座の間に、まるで名画に落とした黒い染みのような色合いのどこか不吉な感じがする女がぽつんと立っていた。


玉座へ至る通り道に敷かれた豪華な赤じゅうたんの脇に立ち、両手を体の前で重ね、妖艶な笑みを浮かべたまま、メルクスを見ている。


精緻な装飾が為された黒いドレスに身を包み、顔立ちこそ西洋風の、それも絶世の美女と言っても過言ではないほどの美貌ではあったが、その髪も瞳の色も黒だった。

その肌は異様なほど白く、そのせいでより一層、全身の黒が強い印象を与えてくる。


「≪悪神のたわむれ≫に現れた女幽霊だな? お前がアラーニェだったのか……」


黒いヴェールこそ今は付けていないし、記憶の中にある女幽霊は黒い靄のようなもので覆われていたためにその姿は朧げにしか見えなかったのだが、気配といい、その佇まいといい、目の前の女と同一のものであるとしか、メルクスには思えなかった。


「はい……。我が名は≪蟲魔ちゅうま≫アラーニェ。受肉し、≪魔人≫となった後、そのグロアと共にこのオースレンの貧民街の住人として潜伏しておりました。今は、この場所を取り仕切っていた複数の組織を乗っ取り、この北地区の総元締めとして、この地の支配権を完全に掌握しております」


アラーニェは、目を伏せながら、静かな口調で、自らが迷宮から解き放たれた日より、今日の状況に至るまでを語り始めた。

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