第110話 闇の萌芽

無念。


今の心境を一言で表すとこの言葉に尽きる。


敗因は敵を率いていたあの男の本質を見誤ったこと。

住民を巻き添えにした時も驚いたが、よもや自分の配下を餌に使うとは、儂でさえ思いもしなかった。


いや、思い付きはしてもそれに踏み切れるかどうか。

あの部下をレイザーやエリック、それにエリエンと置き換えてみた場合、自分には可能だろうか。


……ははっ、渋谷であのような事件を起こしておいて何を言うのか。


ショウゾウは可笑しくなり、自らでた独白を自らで否定した。

そして、あの男と自分はきっとある部分で似通った部分があるのかもしれないとふと思った。


血を多く失ったせいだろうか、思考が支離滅裂な感じがする。

あちこちに意識が向き、考えがまとまらない。



ああ、嫌だな……。

こんな薄暗い地下排水路の汚水の中で一生を終えるのは……。


ショウゾウは薄れゆく意識の中で、なぜか渋谷のスクランブル交差点でのあの凶行を思い出していた。


言い訳になるが、今にして思うと、あのような事件を起こしたのは愚かだった。

世界のすべてが憎く思えて、自分の死と共にすべてが消えてしまえばいいと本気で思っていた。


儂の遺産に群がる、血がただ繋がっているというだけの者たちに一生消えぬ枷をつけてやろうという嫌がらせの意味もあった。

あれほどの大事件を起こした犯罪者の遺産を継ぐ者たちにもそれなりの社会的な批判が為されるであろうし、死傷者の賠償問題もきっと発生することだろうと考えたのだ。


ぐっ、いかん。

何を思い出に浸っておるのだ、儂は!


このまま大人しく死ぬ気か?


ショウゾウはじっと身動きしないまま、なんとか意識を保つよう努めた。

気絶してしまえばすべてが終わる。

焼けるような腹部の痛みにあえて集中し、絶望から思考を停止させることが無いように己を励ました。


誰か一人。

直に触れて、スキル≪オールドマン≫で命を吸うことができれば、まだ逆転の目がある。




「おい! ジャコブ! 爺の死体が流されていくぞ。呆けてないで、さっさと回収しろ」


通路上から苛立った様子のボラードが大声を上げる。


「ふざけるな!この人殺し野郎。もうお前の指示など聞くものか。アーロのやつを殺りやがって、どうかしてるぜ」


「言うことを聞け!お前もここで死にたいのか?」


「うるさい。もうお前にはついて行けない。部下を見殺しにするような輩と一緒に仕事などできるか」


「……ああ、わかった。それならそれでいい。この一件が片付いたら、お前を従騎士位から昇進できるように俺が推薦してやる。そうすれば俺の下から独立できるし、お前はその若さで神殿騎士の仲間入りだ。異例の出世だぞ。だが、そのためにはそのじじいの死体が要る。協力してくれ。俺たち三人の功績にしよう」


「……わかった。お前の命令を聞くのはこれで最後だ」


ジャコブは下流に向かって歩き出し、ショウゾウのすぐそばまで来たが死体には触れようとせずそのまま一定の距離を保った。


「おい、どうした? なぜ死体を引き上げない?」


ショウゾウとジャコブが下流に移動するのを、通路から追いながらボラードが尋ねた。


「オリヴァーたちがどうなったか、お前も見ただろう。この老人は俺たちが知らない未知の能力を持っている。触るなんて御免だ。この深手ではたしかに死んでいるかもしれないが、万が一ということもある。この先の吐き出し口の手前には鉄製の格子枠がある。そこで、ケヴィンたちの亡骸と一緒に回収する。それでいいだろう?」


「……用心深い奴だ。まあ、いいだろう。そのうち、雇った冒険者たちも追いついてくる。モイラ、付いてこい!」



仰向けになり流されるままのショウゾウはボラードたちのやり取りを聞きながら、深く落胆していた。


身を起こして、ジャコブというらしいこの若者に襲い掛かろうにもそのような余力はない。


多くの人間から奪った生気エナジーのおかげでようやく命を繋いでいるものの、それが尽きたなら、待っているのは死だ。


もはや、人間でなくてもいい。

なにか、生物から少しでも生気を奪わなければ。


スキル≪オールドマン≫よ。


頼む。


儂に、命を繋ぐ生気を!

何でもいい、どこからでもいい。


生きたい。儂はまだ生きていたいのだ!


ショウゾウは内心焦りながらも、死体であることを装い続けた。


そして、この地下大水路の終点、掃き出し口にある鉄格子の場所までやって来ると、どうやら神殿騎士たちとは違う冒険者風の出で立ちをした者たちが合流したようだ。


パーティだろうか?

ここからでは、顔までは確認できないが、人数は五人だった。


状況はますますひどくなる一方だと思いつつも、ショウゾウはなぜか少し、おのれの内に活力のようなものが戻りつつあるのを感じ始めていた。

少し休んだからだろうか。

全身の痛みも少し和らいでいくように思えた。


先に到着していたほかの死体たちとともに、掃き出し口の鉄格子のところで詰まりながら、薄目を開け、周囲の様子を窺った。

鉄格子から抜ける水の勢いで自然と身を起こす形となり、ショウゾウの背中が鉄格子に吸いついている。


「おい、ジャコブ。もういいだろう。その爺を剣で刺し貫いてみろ。死んでるか確認するんだ」


「……た」


「何だって? 聞こえないぞ。今なんて言った?」


ジャコブは突然、足元から崩れ落ち、異臭放つ水面に顔をつけた。


その瞬間のジャコブの顔を見たショウゾウは驚きのあまり思わず身じろぎしそうになった。


まだニキビも目立つような若々しいジャコブの顔が、まるでスキル≪オールドマン≫で精気を吸い取った後のように、老いて別人のような容貌に変化していたのだ。


見間違い……ではないのか?


はっきりと目を見開いていたわけではなかったから、確信は無かった。


「ジャコブの奴、どうしたって言うんだ? おい、冒険者ども、水路に降りて行って、爺の死体とジャコブをここに持ってきてくれ。他の部下の死体も頼む。報酬ははずむんだ、金の分の仕事してくれ」


「やれやれ、態度がでかい爺さんだ。まあ、前金ももらっているから言うことは聞くが、神殿騎士だとはいえ、口には気を付けてくれよ。うちには気性が荒いのもいるんだからな」


聞いたことがある声だった。

そして近づいてくるその顔を見て、その冒険者が≪光矢≫のジャック・ヴェルデであることに気が付いた。


「こいつは……ショウゾウじゃないか……」


死体を運ぼうと仲間と共に近づいて来たジャック・ヴェルデが呟いた。


そして、ショウゾウの体に触れるや否や、白目を剥き、急速に老化していった。


ジャック・ヴェルデは先ほどのジャコブ同様に汚水の中に倒れ込んだ。


ここでようやくショウゾウは自分の体とその周囲で何か異様な現象が起きていることに気が付いた。


ごっそりと欠けていた腹部の肉が元通りになり、負傷していた右肩の痛みも消えていた。

疲労感も跡形も無く吹き飛び、むしろ人生でもっとも体調が良い状態と言っても過言ではなかった。


ジャック・ヴェルデの仲間たちも次々と倒れ始めた。


「これは……、儂がやったのか?」


ショウゾウは、立上り、呆然と呟いた。


そして自分の全身をスキル≪オールドマン≫の、あの仄暗い陰りある光が覆っていることに気が付き、さらによく見るとこの薄暗い地下水路中になにか黒い、手繰り寄せる前の綿あめのような状態の闇が漂っているのがショウゾウの目では視認できた。


その闇は自分に近いほどに濃く、離れるほどに薄い。


「ジ、ジジイ!お前、まだ生きていたのか!?」


ショウゾウはその声を発した人物に向かって、無造作に歩を進めた。


「ジジイに、ジジイ呼ばわりされたくはないわい」


「な、なんだと?」


ボラードは、傍らのモイラの顔を見て愕然とした顔をした。


「モ、モイラ! お前、その顔……」


「あ、あなたも……どうして?」


動揺する二人の様子を冷めた目で見つつ、ショウゾウはさらに距離を縮めていく。


これはおそらくスキル≪オールドマン≫の新たな力が引き起こした現象だ。


この全身に帯びた不気味な光と、空中を漂う闇の雲はコントロールが可能なようだし、自分の能力であるという実感がある。

儂の命への渇望が目覚めさせたのか、神殿騎士たちの命を吸った際にレベルアップの条件が満たされたのかは分からないが、たぶんスキル≪オールドマン≫がレベル3に達したのだろう。


この能力の射程は見たところ、半径15メートルほどであろうか?


範囲内の生物から、触れずして精気を奪えるようになったらしい。


直接触れて奪う時のように、細かな加減はできないし、その効果の大きさは自分との距離に応じて一律のようだ。

どの対象から奪うかは、選ぶことはできないらしい。


「く、来るな!来ないでくれ……」

「た、助けて……。オルディン神よ、お助けを……」


哀れな老いぼれと化したボラードとその隣の老婆は自分の足で立って逃げることもできなくなったのか、四つん這いになり必死で這って、ショウゾウから離れようとする。


通路に上がったショウゾウはその様子を冷めた目で見降ろし、そのまま二人が動かなくなるまで見守った。

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