第108話 大出世の種

包囲網が完全に整う前に大魔法院から逃れることができたのは不幸中の幸いであった。

あの白尽くめの武装集団の虚をつくことができ、しかも少なからぬ被害を与えることができた。


もしあの時、≪大師≫ヨランド・ゴディンが去れと警告してくれなければ、今頃は、確実にあの連中によって虜囚の身となっていたであろうし、場合によってはあの場で殺されていたということも考え得る。


ショウゾウは己の運がまだ尽きてはいなかったことに感謝しつつも、改めて自分が置かれている状況が最悪であることを自覚した。


二月ふたつきほど滞在しただけの土地勘のない場所で、しかも自分を追って来る敵の全容が不明なのである。


配備の速さと、軍装に刻まれた紋章から、あの門の前の武装集団はおそらくオルディン神殿に関りがある者たちであろう。

だが、これからやって来る追っ手が彼らだけであるとは限らないのである。


オルディン神は、この国の民の信仰をほとんど一気に引き受けていると言っても過言ではない存在だ。

魔法を扱う者も、そうでない者もオルディン神をざまに言うのを聞いたことが無い。


各地区にある教会、オルディン神をかたどった像、壁画、土産物の雑貨に至るまで、街の至る所の景色に民衆の信仰心の厚さが表れているのだ。


国教と定めているらしいことから、この地の支配者である光王家こうおうけも当然、オルディン神を崇拝しているのだろう。


王都の治安を維持するための兵力も敵側であると考えると、完全に孤立無援の状態だ。


もはや、この王都に自らの居場所は無い。

レイザーたちと合流するわけにもいかず、冒険者ギルドも頼ることはできないだろう。


これまで地道に築き上げてきた全てを失った気がして、ショウゾウはため息を漏らした。


「いたぞ!あそこだ」


しかもどうやら追っ手の中には、ショウゾウの気配、あるいは≪闇の魔力マナ≫を感知できる者が何人かいるらしく、どこかで隠れてやり過ごすということは不可能なようだった。


王都でしばらく冒険者活動できていたことを考えると、その数は少なく、感知できる距離、精度にも限界はあるのかもしれない。

≪大師≫ヨランド・ゴディンの話では、あの大魔法院を訪れなければ気付かれなかったような口ぶりであったし、まずは人混みに紛れながら、王都外に出ることを目指そう。


ショウゾウは、追っ手の目をかく乱させるためにあえて通行人が多い通りに出て、その人混みの間を縫うようにして逃げた。


闇風暴壁デア・ヴォルグ≫で派手にやりすぎてしまったこともあって、人々は建物から路地に出てきていて、大魔法院やオルディン大神殿の方角を見て、あれこれ話しているようだった。


そして、どうやら街中にいる衛兵たちは、情報がまだ届いていないのか、ショウゾウを探している素振りなどは無かった。

ただ、なにかただ事ならぬ様子に気が付いて、こっちを見ており、「おい、待て」と声を遠くから投げかけてきた。


一刻、また一刻と事態が悪化しているのを感じる。


「ちょっと失礼するぞ」


人混みの間をすり抜けながら、スキル≪オールドマン≫で触れた通行人から生気エナジーを奪い、少しでも体力の回復に努めた。


いくら肉体が四十代後半まで若返ったとはいえ、逃げ続けるのは本当に体力を使う。


「待て!待てと言ってるだろう!」

「おい、その爺を捕まえろ!」

「どけ、どけ!邪魔だ」


かなり離れた後方からそういった複数の声が聞こえてくるが、待てと言われて待つ馬鹿はいない。


このまま人混みに紛れて南の城門まで行けば、そこから王都の外に出られるかもしれないと微かに望みが見えてきたと感じたところで、閃光に目がくらみ、右肩に激痛が走った。


一瞬何が起こったのか理解できぬまま、背後からの爆風で吹き飛ばされ、前のめりになって倒れ、地面に打ち付けた唇を切ってしまった。


「くっ」


右肩の後ろあたりを中心に、あちこち痛む体を何とか起こし、辺りを見回すと、あまりのその凄惨な光景に、さすがのショウゾウも言葉を失ってしまった。


驚くべきことに、オルディン神の紋章を身に着けた追っ手のうちの一人が、通行人ごとショウゾウに向けて何かの魔法を放ったようであった。


巻き添えを食った住民たちは、焼け焦げ、苦痛に顔をゆがめながら、ショウゾウの周りでのた打ち回っており、中には屍のように動かない者たちもいる。

ショウゾウの右肩も同様に焼け焦げ、疼くような痛みが走っている。


「貴様のせいだぞ。貴様のせいで多くの犠牲者が出た」


丁寧に整えられた口周りの髭と唇をゆがめながら、そう言って近づいてきたのは前髪を後ろの方に撫でつけオールバックにした厳つい顔の男だった。

左胸にオルディンの紋章が入った白い鎧を着ており、背に同様の紋章が入ったマントを着ている。


その男と六人の仲間が少しずつ慎重に距離を詰めながら、周りを取り囲んだ。

全員白い兵装で、門の前に集まっていた者たちと同じ格好であった。


「貴様たちは何者だ? なぜ、儂を追う?」


「なぜだと? 散々派手に暴れておきながら、それを言うか、闇の者よ。このノルディアスに災いをもたらさんとするその邪なる気配が王都に近づいてきたこと、光王家の巫女姫ふじょきに知らされずとも我ら≪オルディン教団≫もとっくに察知しておったのだ。さあ、力の差はわかったであろう。大人しくこのボラード様の剣の錆となれ」


小杖ワンドを腰の帯に差し、代わりに剣を抜いた。


「まってくれ。何かの間違いだ。この通り、抵抗はしない。少し話を聞いてくれ」


ショウゾウはまるで土下座でもするように杖と小剣を持った両手を地面につけ、跪いた。


先ほど地べたに這いつくばった時に気が付いたことがあったのだが、石張りの地面の下から水が流れる音がかすかに響いてきて、どうやら地面の下に空洞のようなものがあるようだったのだ。


それを確かめるべく再びこのような姿勢を取ったのだが、間違いないようだった。


地面の下、地下深くに下水道、あるいは水路のようなものがあるのではないか。


「≪土石変化ストゥーラ≫!」


ショウゾウがそう唱えると、周囲の地面が隆起し、代わりに真下の地面が陥没した。


ショウゾウが落ちた先は、アーチ状の天井をした薄暗く湿った地下水路であった。

少し先の天井からも何か所か光が差し込んでおり、両脇に通路があることから、どこかに人の出入りする場所もあるようだった。


水路の水は濁り、異臭を放っているばかりか、たくさんの塵のようなものも浮かんでいる。


「この中に落ちなかったのはラッキーじゃったな」


ショウゾウは、右肩の痛みに耐えながら、再び水の流れる方向に早足で歩き出した。


着地の際に通路の床で膝を強く打ったらしく、激痛が走ったが、今はそんなことを気にしてはいられない。



この地下水路はどうやら王都中の雨水や汚水、残飯などを流す排水路の役割をしているようであった。

そのため悪臭がひどく、鼠や気色の悪い見慣れぬ虫などもいて、決して長居したくなるような場所ではなかった。


だが通路は二人で並んで歩いても余裕があるほど広く、点検などもされているのかもしれない。

そうした役目の者でも、浮浪者でもいい。

もし誰かに行き会うことができたなら、まずは精気を奪って、負った傷を癒したかった。

右肩はかなり重症であるらしく、痛みがかなりひどくなってきた。



一定間隔で十字路が現れ、どちらの方向に進むべきか迷ってしまいそうになるが、ショウゾウはひたすら水の流れを頼りに真っ直ぐ進むことにした。


排水路である以上、合流地点には、その水の流れ出る場所があるはずであり、そこから脱出するつもりであったのだ。


進むほどに水路の幅が大きく、水量も増えているため、間違った方向には来ていないはずだ。


次第に十字路の間隔が遠くなり、一本道になっていく。


ところどころ差し込んでいる地上の光で、進路が見えないことは無かったが、一応、≪魔法の鞄マジックバッグ≫から出した松明たいまつに火をつけ、明かりにしている。


その明かりを頼りに、おそらく半日ほど歩き続けただろうか。

差し込んでいる地上の光が途絶えたところをみると、どうやら夜になったようだ。


今のところ、背後から気配は無く、追っ手の足音のようなものも聞こえてきてはいない。


少し休憩を取ろうかと考えていると、少し外気が混ざっているような空気の変化を感じた。


外だ。

外が近いに違いない。


自然と、逃げ切れたという安堵感が笑みとなって口元を緩ませてしまう。


だが、その笑みを浮かべたのも束の間、いくつかの光の玉が遠くに浮かんでいるのを見て思わず表情を失ってしまった。


その光の玉は、おそらく光魔法の≪光源ラータ≫だった。

そして、その明かりの下に照らし出されていたのは、地上で追い詰められた相手……ボラードたちであった。


その数は七人。先ほどと同じ数だった。


どうやら地上から先回りされ、排水の吐き出し口で待ち伏せされていたらしい。


「よう、爺さん。また会ったな。地下水路に逃げ込んだ以上、ドブ鼠が出て来るのはここだと確信していたぜ」


「しつこいな。待ち伏せておったのか……」


「せっかく訪れた大出世の種、逃すわけにはいかないんだよ。監察使のルシアン様に認められれば外住がいじゅうではあっても貴族街区ノルドーレスの神殿勤めや、あるいは神殿騎士団テンプルナイツの次期団長の座だって夢じゃない。何故か、お前はそれほどに危険視されているんだよ」


「儂はそのように大それた者ではないが、光栄なことだ」


ショウゾウは松明を床に放り、小剣を抜き放った。

火傷だけでなく、爆発の衝撃で骨や筋肉にも損傷があったらしく、痛みで右肩が上がらない。

柄を握る手にも力が入らないが、見た目だけでも近接戦闘を躊躇わせる牽制になる。


「やれやれ、できれば生け捕りにしたかったが、この爺さん、やる気のようだ。この際、贅沢は言っていられない。殺して、首を持ち帰るぞ」


ボラードと六人の神殿騎士たちはそれぞれの得物を構えたり、詠唱を開始したりし始めた。

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