第107話 破滅の足音
大魔法院。
そこはノルディアス王国中の魔法使いの総本山ともいうべき場所であるが、その実態は光の魔法神でもあるオルディン神を祀る大神殿の広大な敷地の中にある一施設に過ぎない。
各地の魔法院とは友好的な関係にあるが、同一の組織の本部支部の関係にはなく、独特の連帯関係にある。
魔法院は、大魔法院で≪導師≫の資格を得たものであれば誰でも開業でき、弟子などもとることができる。
オースレンで魔法院を開いていた≪引き水の賢人≫ヨゼフもそうした≪導師≫の資格者の一人であり、エリエンはその資格の抹消に関する手続きを目的としてここを訪れたのであった。
「≪新緑育む手≫エリエン、よくぞ参った。≪引き水の賢人≫ヨゼフのことは、おぬしからの手紙で知り、残念に思っておったところだ。ヨゼフは私の弟弟子にあたる者だが長年手紙のやり取りをするほどに仲が良かった。書面での手続きも可能であったところ、こうして訪問し、礼を尽くしてくれたこと感謝する」
手続きを終えた後、奥の院に行くように言われ、そこで待っていたのはこの大魔法院の院長であり、最高位≪大師≫の地位にあるヨランド・ゴディンであった。
ヨランド・ゴディンは背の曲がった小柄な老人で、その小さな体に細かい刺繍の入った白の
「ところで≪新緑育む手≫エリエン、その連れの者は何者であるか?」
「はい、≪引き水の賢人≫ヨゼフの最後を看取ってくれた者で、わたしの恩人でもあります」
「お初にお目にかかります。私はショウゾウと申し、こちらのエリエン殿と亡きヨゼフ殿から魔法の手ほどきを受けただけの者。大魔法院の長であられる方の御尊顔を拝することができ、光栄の至り……」
「謙遜は良い。この私が、お前の本質を見抜けぬとでも思うたか?」
ヨランド・ゴディンの長く伸びた白いまつ毛の下から鋭い眼光が向けられた。
「お前から感じる≪
すべてを見透かしているかのようなヨランド・ゴディンの言葉にショウゾウは思わず息を呑み、背筋に冷たいものが流れるのを感じた。
そう、この魔法の属性素質についても、未だわかっていないことが多くあった。
アンザイルの話では≪
だが、その一方で魔導神ロ・キと思しき革帽子の男からもらった≪魔導の書≫によると、属性素質は火、地、命、風、水の五つと書いてあったのだ。
光と闇。
この二属性は他とは違う扱い、あるいは縦軸と横軸のような比較の次元ではない別の概念なのだろうか?
いかん。
今はそんなことを考察している場合ではない。
このヨランド・ゴディンが敵であるならば、迎え撃つ覚悟を決めねば……。
「
「≪大師≫さま、初対面の者にそれはあまりのお言葉ではありませんか? このショウゾウはそのような悪しき者ではありません。私の命を何度も救ってくださった大恩人なのです」
「≪新緑育む手≫エリエン、これはこのショウゾウなる者のために言っておるのだ。忘れたか? 我ら魔法使いは、その一部を除き、オルディン神と光王家によって生きることを許されて
ヨランド・ゴディンが語る≪光≫とは、≪石魔≫シメオンが恐れていたあの≪光≫とおそらく同一のものであろう。
あの魔人たちは儂を同じ闇に属する
≪光≫が魔人たちを敵視するならば、当然その目は儂にも向けられて然るべきであったのやもしれぬ。
うかつ。あまりにも軽率であったということか。
「……ヨランド・ゴディン。エリエンを頼む。この娘は儂とは関係が無い」
「ショウゾウさん!」
ショウゾウはそれだけ言うと、エリエンをヨランド・ゴディンの方に軽く押しやり、足早にその部屋を出た。
破滅が足音を立ててこちらに向かってきているような得も言われぬ感覚が脳裏をよぎり、それに突き動かされた形だ。
そして、一気に駆け出すと廊下を歩く人々の合間を縫って、建物の外に出た。
そして、嫌な予感は、当たっていた。
大魔法院の門の辺りには、オルディン神の紋章をつけた白い法衣の武装した者たちが集まり始めていて、こちらに気付いたのか、何人かがショウゾウを指差している。
勘違いなどではあるまい。
連中から確かな敵意とただならぬ気配が感じられる。
門の前に十一人。
その左方向の離れた場所に五人。
弓を持つ者、魔法使いらしき者の姿が散見される。
門の向こう側にも待ち構えていそうな気配だ。
この様子では、この場所を訪れた時にはもう儂の訪問に連中は気が付いていたのかもしれない。
ショウゾウは、立ち止まることをせずそのまま加速し、走りながら≪
「……風よ!怒れる風よ。闇を纏い、吹き荒べ。我が身に仇為す全てを蹂躙せよ」
≪
≪魔導の書≫に記された反転詠唱の文言を暗記こそしていたが、この魔法は、どうなるかを試したことは無い。
多方位、多人数。
この状況で有効に働くと推測される魔法は限られていて、≪
ぶっつけ本番だ。
「あいつだ。あの老人から≪闇≫の強い気配を感じる。逃すな!」
白銀の鎧の上に紋章入りのシュールコーを着た女が指示を出す。
「こいつ! この人数にひるまず向かってくるぞ!」
ショウゾウは左の腰に下げた小剣を右手で抜き、左手で持った≪
「≪
なる様になれ。
一度この勢いを失ったら、間違いなく拘束される。
そうなればもう打つ手なしだ。
半ばやけくそになりながらも、どこか他人事のような冷めた目でショウゾウはこの状況を見ていた。
≪
闇の風はショウゾウを一度包み込み、そして次の瞬間、爆ぜた。
それはショウゾウを持ってしても思いもよらぬ光景であった。
正面にいた武装兵たちがあっけなく吹き飛ばされ、門もそれに連なる土壁も一瞬でバラバラになる。
大地を覆っていた敷石は次々と剥がれ、空中に舞い上がっている人間や馬の姿も見えた。
先ほどの指示を出していた女も近くの建物の壁に叩きつけられ、地に伏している。
ショウゾウはその姿を横目に、ひたすら駆け、市街地に向かった。
闇の風は、そのままショウゾウの周囲見渡す限りを駆け巡り続け、形こそ球状であったものの、あたかもそれは黒い竜巻のようであった。
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