第100話 一縷の光明

巫女姫ふじょきエレオノーラと入れ違いで、玉座の間にやって来たのはヴィツェル十三世の治世を支える重臣たちであった。

文武を司る総勢二十四名が、王の御前を空けて左右に列を為す。


皆跪き、頭を垂れるその様をヴィツェル十三世は満足げに眺め、玉座に深く腰を落とした。


「皆のもの、エレオノーラの先日の預言については聞き及んでるな」


「御意」


その場にいる全員が声を揃える。


「そして、これが今しがたエレオノーラが話した内容だ。デルヴォオム、聞かせてやってくれ」


ヴィツェル十三世が呼び鈴を鳴らすと、足音も無く濃紺のローブに身を包んだ醜い老人が王の傍らにやって来て、その掌に乗せた小さな箱を撫でるような仕草をした。

丸いできものだらけで、細く、枯れ木のような手だった。


『私が見たのは、このノルディアス全土を鳥のように上空から眺めているかのような光景でした。何かを嘲笑うような声が聞こえて、雲間から、その国土の、王都からそれほど遠くはない西のある地に、溶いた墨のように黒いものが一滴こぼれたのです。その黒い染みはやがて、一つ、二つと増えていき、やがてゼデルヘイムを包囲し始めました。黒い染みはやがて、滲みながら大きくなり、ノルディアスを蝕んでいきました。そして、最後にその黒い染みが向かったのはこの王城でした。黒い染みは浮き出て、蠢く闇となり、瞬く間に城の壁を這い上り、私の住む巫女宮に……』


『そして、次は何を見た? 言え。正直に、視たままを言うのだ』


静まりかえった玉座の間に、先ほどの王と巫女姫の会話がそのまま再現される。


そして淫夢のくだりを過ぎるとそこで音声は途絶えた。


「聞いての通りだ。エレオノーラは神託を受けた時に、かような心象が脳裏に浮かんだのだという。あれは、巫女姫ふじょきにして、穢れ無き処女姫しょじょきだ。幼少の頃より俗界から隔離し育てたゆえ、男女のことなど書の上のことでしか知らぬ。預言を読み解かせるために最高の教師をつけ、学問を修めさせはしたが、そうしたことの一切には疎いはずなのだ。そうであるにもかかわらず、確かに『凌辱しはじめた』と語っていた。これはすなわち、この心象があれの妄想や身の内でくすぶる情念が見せた夢の類ではないことを意味している。デルヴォオム、そなたはこれを聞き、何と理解する? 大神官にして、王宮魔法師長を兼ねる、お前の意見を聞きたい」


「……巫女姫が見る心象は、我ら人間をはるかに超越した存在が言語を超えた啓示として、お与え下さったものとされておりますが、その意味は難解で受け取り手である我らの解釈が及ばぬこともございます。その上で、あえて申し上げるのであれば、先の二つの≪預言≫の内容も鑑みますれば、これはまさしく最大限の警告であると捉えた方がよいでしょう。我ら光の民に、偉大なるオルディン神が心せよと伝えてきているのです」


「恐れながら、陛下。発言してもよろしいでしょうか」


武官の列の筆頭に位置する場所で控えている男が口を開いた。

歴戦の武人にして、大将軍の地位にあるデルロスだ。

いくつもの外征を勝利に導き、国の領土拡大に寄与した功績者でもある。


「よいぞ。話せ。国防を司るお前の意見を聞かせてもらおう」


「では……。巫女姫の預言の信憑性は、これまでの長き歴史において、数多の国難を言い当ててきた事績から、それを疑うものはこの場にはおりません。デルヴォオム師の危惧はご尤もであり、それがしも警戒すべきだとは存じますが、新たに何か備えを増やすほどの危機でしょうか? それがしが守りを固める王都は盤石。地方の領主貴族たちには、力を持たせぬように多額の税と資源の徴収を徹底しておりますし、よもや光王家こうおうけに牙を剥くほどの力がある者がいるとは思えないのです」


「……確かにな。千年に及ばんとする長き統治で、王権の絶対性を高め、諸侯の力を削いできたのはそのためのこと。仮に光王家以外の領主貴族どもが連帯し押し寄せてきたとしても、もはや力の差は歴然としておる。だがな、デルロスよ。それゆえに今回の預言は無視できぬのだ。各地の領主貴族の間に余の統治に対する反感が芽生えているという話はついぞ聞かぬ。不満を感じつつも、与えられた特権と身分によって飼いならされておるのだと思うておったが、そうであるならば余に歯向かおうなどという存在がどこにおる?」


群臣たちは頭を垂れたまま、沈黙した。

この沈黙は、王の歓心を買うためではなく、本心からのものだった。

軍事、内政、諸外国との関係などを考慮しても、今のノルディアス王国を揺るがしかねない不安要素など何も見つからなかったのである。



「……民。王に反旗を翻すのは民かもしれません」


そう呟いたのは、臣下の列の端にいた若者であった。

白金色の髪色をした美しいその若者にその場にいた皆の注目が集まる。


「……民だと? 今、そう言ったのか、ルシアン外務卿」


ルシアンと呼ばれたその若者をヴィツェル十三世は眉間にある皺の溝を一層深くして、め付けた。


「……はい」


「ひれ伏し、支配されるしか能がない下賤な民どもが余に反旗を翻すだと? 愚かな。余と同じ光王の青き血脈とは思えぬほどに、随分とおかしなこと申すのだな。あの矮小で下等な民草のどこにそのような力があるというのだ」


「若輩ゆえの戯言たわごとでございました。どうかお許しを」


ルシアンはさらに頭を下げたが、その口元には微かな笑みを浮かべているかのような余裕がうかがえた。


「若輩といえども、列臣集うこの場での発言。戯言では済まされぬぞ。如何にエレオノーラの弟であろうとも、その説明次第では罰を受けてもらう。さあ、立て、そして余の眼を見て答えよ。貴様が、民と口走ったその理由を!」


ルシアンは、王が命じるまま、物怖じすることなく一人立上り、改めて目礼した。


「私が着目したのは、預言の『その闇は、今は小さく、塵芥の如きもの』という一節でございます。陛下が仰られる通り、周辺諸国は我が国の強勢ぶりに恐れおののき、諸侯は陛下の威光にひれ伏すばかり。とてもこのノルディアスの脅威になるとは思えません。そうであるならば、残る可能性はそう多くはない。『毒』という言葉から疫病、そして『闇と災い』という言葉からは火山の噴火などの災害もあり得るかと連想しては見ましたが、『蝕む』という言葉や他の表現からどうにもしっくりと来ませんでした。おそらく預言が示す脅威とは、陛下やここにいる皆様がもっともとるに足らぬと思っているもの、すなわち民ではないかと考えたのです。長い歴史と相次ぐ外征の成功により、様々な国の様々な民が流入し、混血の度合いも増しております。この王都でも随時、たくさんの人間が行き来し、国の隆盛や我らの暮らしの下支えとなっている。我らの庇護無くして民は生きられませんが、我らもまた民無くしては生きられぬのです。その民が万が一、何らかの理由で王政を……」


「……もうよい。その程度の推理は、余とても実はすでにしておったのだ。一族の中でも優秀であると評判のお前の弁がいかに立つか、お前の戯言に乗じて試したまでのこと。気を悪くするなよ。罰するというも、戯言だ。お前のすました顔を慌てさせてやろうと思い付き、言ってみたものの、つまらぬ結果に終わったようだ。他の重臣たちには思い至らぬようであったし、この預言の対応についてはそなたに任せるとしよう。功績を上げ、出世の機会とするがいい。それと、民草の監視となれば王城に籠っているわけにもいくまい。ルシアンよ、外務卿の地位は据え置きとしつつ、いささかの権限と監察使の地位を加えることとするゆえ、存分に励むがよいぞ」


「ハッ。有難き幸せに存じます」


ルシアンは片膝をつき、再び国王への臣下の礼を取った。


それを冷めた目で見下ろしたヴィツェル十三世はマントを翻し、再び玉座につくと、重臣たちから、個別の他の懸案事項についての報告を順に受け始めた。



(おいぼれめ。何が、出世の機会だ。いつ起こるかもわからぬこのような事案で、どう手柄を立てろというのか。姉の機嫌取りに俺を重臣の端くれに抜擢してくれたまでは良かったが、次第に疎ましく感じてきたのだろう。あの老人は、老いて弱りゆく中、俺の若さと才能が眩しくて仕方が無いのだ)


ルシアンは列の端に戻りつつ、その内心で毒づいたが、それと同時に、自らの思惑通り事が運んだことに喜びもしていた。


不興を買うリスクはあったが、自由に王城の外で活動する名目とそれに伴う権限を得た。

預言に関する解釈は、ルシアンが適当にこじつけたものであり、それらしく聞こえれば内容はどうでも良かったのだ。

民を引き合いに出したのは、下々の世界に関わることを好まない王や他の重臣たちが、この件から手を引くであろうことを計算してのことだった。


ルシアンには幼少期より秘めてきたある目標があった。


それは巫女宮ふじょきゅうに、軟禁同然の待遇で閉じ込められている姉のエレオノーラをあの老人の手から救い出すこと。


その願いを実現させるために、勉学も同じ歳の子供たちの何倍も努力してきた。

高貴な出の者たちがあまり好まない武芸でさえ、名のある教師をつけてもらい、影ながら血を吐くほどの特訓をし、身に着けたのだった。


最愛の姉をあの場所から救い出すためには、自らが王となる他は無い。


だが、数えきれないほどいる王位継承者たちの中で、母親の格からその下位の順位に位置付けられている自分ではとうてい後継者にはなれない。


王宮における二十四ある重臣の役職の末席に就く以上のことすら当面、望めそうも無かったのだ。


王の眼の届かぬ場所で、王に取って代わるだけの力を手に入れたかった。


その力がどのようなものであるか今はわからないし、そのようなものが本当に存在しているのかも特に当てがあるわけではない。


だが、この宮廷内の権力争いで行き詰っている自分が絶望してしまわないためには、一縷の光明を外に求めるしかなかったのだ。

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