第99話 処女姫の預言

巫女宮ふじょきゅう


そこは人間が造り上げた建造物の中で最も高き場所にあった。


ノルディアス王国の王都ゼデルヘイムの中心に在る王城にあって、その頂となる塔の最上階部分。


巫女宮は、たとえこの国の王であってもおいそれとは足を踏み入れることのできぬ神聖な場所とされており、そこには一人の高貴な姫が選りすぐられた数名の処女からなる侍女たちと共に暮らしている。


その姫も、侍女たちも、国王による特別なでもない限りは巫女宮から出ることを禁じられており、唯一、下階への出入口となっている階段前の扉には衛兵たちからなる厳重な警備が置かれているなど、不自由な生活を強いられていた。


「エレオノーラ様、国王陛下が昨夜の預言について詳しく聞きたいと仰せのようで、玉座の間にてお待ちになっているとのこと……」


預言。


それはノルディアスを治める光王家こうおうけの血筋の中で女性、それも処女に稀に宿る異能とでもいうべき力であった。

光の神にして、イルヴァースの主神たるオルディンと交信し、その言葉やある種のヴィジョンを神託として授かることができる。


「……わかりました。すぐに参りますと陛下にお伝えください」


エレオノーラは侍女長にそう言うと、謁見のための身支度を他の侍女たちに命じた。


まだ十五歳にも満たないエレオノーラの瞳には光無く、表情はまるで無表情のままであった。

光王家の血を色濃く引くことの証明でもある白金色の地面にまで届く髪に、病的なまでに白い肌を持つこの姫は、一族でも稀に見る美貌を持ちながらも、その感情の乏しいこともあって無機的な印象を与えてしまう。



警護の兵に守られ、二人の侍女を伴ったエレオノーラは、極上の≪照明石≫によって照らされ、白く輝く大理石の階段と≪真白しんぱくの道≫と呼ばれる廊下を通って、玉座の間へと足を運んだ。


エレオノーラにとって、巫女宮から出たのは数カ月ぶりのことである。


「おお、処女姫しょじょきエレオノーラ。我が愛しの孫娘よ。その美しい顔が見れて、余はとても嬉しいぞ。なにか不便に感じておることなどは無いか? 何でも叶えてやろう」


そう言って、玉座から笑みを作ってみせたのは現国王にして、齢七十二歳になるヴィツェル十三世だ。

この年齢で両手両足の指の数を超える妾を持ち、エレオノーラは五十人を超える孫の中の一人だ。

幼少期に、「預言」の力を発現し、それ以来ずっと巫女宮で暮らしている。


「いえ、陛下。わたくしが望むものは何もありません。侍女長以下、身の回りの世話をしてくれている者たちも、とても良くしてくださっております」


王の前で跪くこともせず、こうして玉座の主と対等に振る舞うことを表面上は許されている巫女姫の立ち居振る舞いはその若さに似合わず、堂々としたものであった。


「……そうか、ならばよい。それで、おぬしを呼んだのは他でもない。お前が昨夜得たという預言の話だ」


「はい、それならば侍女長を通じて、お伝えした通りでございます」


エレオノーラが得た預言は、『王都の西。日が沈む方角から、闇と災いがやって来る。その闇は、今は小さく、塵芥の如きものであるが、侮る勿れ。その闇は、一滴の毒が如く、大いなる巨人ノルディアスを必ずや蝕むものであろう』というものであった。


「お前の口から直接聞きたかったのだ。それと得られたのは言葉だけか?何か他に感じ取ったり、視えたものはなかったか? もっと詳細を聞きたいのだ。少し、気がかりなことがあってな……」


「気がかりなこと、でございますか?」


「確か半年ほど前にも、お前は、西から災いがやって来ると預言を得ていたな。その災いと今回の預言は関連があるのか?」


「私の≪預言≫は文字通り、オルディン神の神託を受けるだけのもの。その解釈については、何ともわかりかねます。ただ……」


「ただ、なんだ?」


「はい、前回の預言のときは、朧げで不確かな感じがしたのみであったのですが、今回はある心象ともいうべき不思議な光景を垣間見ましてございます」


「どんな光景だ? なぜ、それを余に伝えなかった」


「はい、それは口にするのも憚られる悪夢のようなものであったからです。≪預言≫との関わりも定かではございませんでしたし、何よりわたくしが、そのような心象を抱いたなどと認めたくは無かったのです」


「いいから申して見よ。これは余の命令である」


代々の巫女姫もそうであったのだが、エレオノーラが持つ神秘的な力は、オルディン神からの神託を受けることだけに留まらず、少し先の未来を言い当てたり、失せ物を見つけたりと多岐にわたる。

占いなども得意で、予知夢や預言を受託する際の心象にも何らかの意味が必ず伴っていたことを祖父でもあるヴィツェル十三世は、よく知っていたのだ。


その巫女姫の霊能力ともいうべき力を歴代の王たちは、まつりごとや紛争の解決に活かしてきた。


「それでは、御耳汚しではありますが……」


エレオノーラは胸の前で両手の指を組み、目を閉じて、ぽつりぽつりと語り始めた。


「私が見たのは、このノルディアス全土を鳥のように上空から眺めているかのような光景でした。何かを嘲笑うような声が聞こえて、雲間から、その国土の、王都からそれほど遠くはない西のある地に、溶いた墨のように黒いものが一滴こぼれたのです。その黒い染みはやがて、一つ、二つと増えていき、やがてゼデルヘイムを包囲し始めました。黒い染みはやがて、滲みながら大きくなり、ノルディアスを蝕んでいきました。そして、最後にその黒い染みが向かったのはこの王城でした。黒い染みは浮き出て、蠢く闇となり、瞬く間に城の壁を這い上り、私の住む巫女宮に……」


「そして、次は何を見た? 言え。正直に、視たままを言うのだ」


「……闇は、巫女宮に押し入り、私の手足の自由を奪うと、圧倒的な力でその懐に引き寄せ、……凌辱しはじめたのです。辱めを受けているにもかかわらず、その心象の中の私は、胸躍り、喜びに打ち震えていました。おそらく、正気を失っていたのだと思います。肉体を引き裂かれ、魂をすりつぶされるような目に遭いながら、生き生きとした笑みを浮かべていましたから……」


「なるほど、悪夢というより、淫夢だな。血のつながりのある余の前で語ること、さぞ心苦しかったことであろう。もういい。下がっても良いぞ。余はこれからこの神託の対応を家臣たちと協議せねばならん。抽象的ではあるが、≪預言≫は絶対だ。それを避けるべく努めなければ、必ずや悪しきことが起こる」


預言を託された時に視た心象を語る際にも表情一つ乱すことなかったエレオノーラは、王に向かって静かに黙礼をすると侍女たちを連れ、玉座の間から出て行った。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る