第77話 貧民街の悪夢

領主コルネリスが病に倒れたらしいという話は、迷宮消失により動揺していたオースレンの人々を一層、不安に陥れた。


不滅と思われていた迷宮の相次ぐ消失と領主の身に降りかかった災い。


これらを人々は、何者かの呪いではないかと噂するようになり、口さがない者などは、民を富ませない怠惰な領主に下された天罰であるなどと放言して歩くようになった。

少し前には≪老死病ろうしびょう≫などという奇病が流行したが、それもまた相次ぐ災難の兆しであったのだとされ、迷信深い人々によってまことしやかに語られることとなったようだ。


こうした根拠も何もない無責任な噂は、長きにわたってこの地を支配してきたグリュミオールという血族の衰退の始まりではないかという憶測を呼び、街の治安と領主家の権威を著しく後退させる結果となった。


こうした事態になってくると街の治安を任され、衛兵隊を統轄する身である領主の次子ギヨームも黙ってはいられない。

根も葉もない噂の流布を禁じ、違反する者は投獄すると布告を出したり、実際に見せしめとして処罰するなどした。



ギヨームの高圧的とも言える上からの押さえつけは、表面的には効果的であったのだが、民のグリュミオール家に対する反感を募らせていく原因となってしまった。


迷宮消失により、ドロップアイテムとしてそこから産出される魔石や魔物由来の様々な資源などを生計の拠り所にしていた者たちは元より、それに関わる多くの領民たちの収入は激減しており、暮らし向きは貧しくなる一方だったのである。


そうであるにもかかわらず、何も手を打たず、これまで通りの税を取り立てようとしている領主たちへの不満に、高圧的な衛兵隊、ひいてはこれも統治者への反感が加わる形になったのだ。


とりわけ貧民街と呼ばれるオースレン北地区ではその傾向が強く、巡回中の衛兵が何者かに襲撃されるといった事件が相次ぎ、死者まで出た。



元々、この地区は貧しく、年に一度の人頭税の支払いすら困難な者が隠れ住むような寂しい未開発の土地であった。

それがいつしか人口が増え、最近更に移り住む者が増えた。

北地区にどのくらいの数の人間が住みついてしまっているのか、この街の支配者たるグリュミオール家でも把握しきっておらず、常に悩みの種となっていたのだ。


この地区に住む者たちの結束は強く、いつしかあまりたちの良くない者たちによる集団がいくつも組織され、独自の自治が為されるようになった。


無益な争いを避けたかったグリュミオール家は、北地区にあるそれらの集団の顔役たちと協議し、その地区全体からの最低限の額の税を支払うことを条件に、ある種の治外法権的なものを認めてきたのだった。


問題を起こしそうな厄介者たちを一所に集めて置けて、しかもそれを自分たちで管理させることができるなら、手間が省けるといった考え方だったのである。


北地区の民からしても、武力で排除されることは避けたかったし、この土地に住ませてもらっているという事実を認めないではなかったのだ。


オースレンに限らず、領内のすべての土地は、領主の権限下にある。

税を納め、領主の許可を得なければ、建物を建てて住むことはおろか、商売なども自由にはできず、よその土地から無一文でやって来た者や商売が行き詰った者などは、本来、冒険者になるか、あるいは物乞いにでもなるくらいしかないのだが、北地区への移住というもう一つの道が残されることになる。


このように北地区の人々とグリュミオール家は長い間、互いの利害から、何度か衝突しつつもそれなりにうまくやって来たのである。


しかし、そうした両者の関係が壊れつつあるのは一目瞭然の状況になった。


巡回中の衛兵が、意味も無く襲われることなど今まで無かったことであるし、死者まで出たというのに、その犯人の引き渡しを顔役たちが毅然と拒んだのだ。



「飼い犬に手を噛まれた」とギヨームは憤り、これまで先送りにしてきた北地区の大規模な取り締まりと巡回強化に踏み切ることにした。


そして、大勢の衛兵を引き連れ北地区の貧民街に押し寄せたその日、この世のものとは思えない恐ろしい光景を見ることになったのである。


先日、犯人の引き渡しを協議したばかりであった貧民街の顔役たち全員の死体が北地区の各所で相次いで発見されたのだ。


それらの死体はどれも、まるで恐ろしいけだものに襲われたかの如く、原形を留めない無残な姿で見つかった。


ある者は首をねじ切られ、はらわたを啜られたかのような有様であったし、またある者は手足を引きちぎられ、全身あざだらけの状態で見つかったりした。


ギヨームは、衛兵たちに周辺住民の聞き込みを行わせたが、なかなか有益な情報は得られなかった。

ようやく、その犯人を目撃したらしい男が見つかったが、怯え切った様子で、「あれは怪物だ。人じゃない……」といった内容をうわ言のように口にするだけで、具体的な特徴などを聞き出すのに難儀した。


証言によれば、この複数の殺人を行ったらしいその存在は、月も雲で隠れた暗い夜道に突然現れ、目にも止まらぬ早業で、目の前を歩いていた顔役の一人を鉈のようなもので、生きたままバラバラに解体して見せたというのだ。


異形ではあったが辛うじて、人の形はしていたのだという。


背丈は普通の成人男性ほどであったが、異様に肩幅が広く、筋肉の塊のような体つきであったのだとか。

被り物かもしれないが、その頭部は何か獣のようで、目が赤く光って見えたそうだ。


「馬鹿な!それではまるっきり魔物のようではないか。このような街中に、そんな化け物がいるはずが無かろう。俺をたばかろうというのか?」


いきどおるギヨームに、目撃者の男は再び怯え切り、それ以上のまともな話は聞けなかった。


「まあいい。顔役たちが皆死んだのは、好都合だ。これを機に北地区の住民を全員追い払ってしまえば、父上が意識を取り戻した時に、良い報告ができよう」


喜々とした顔で副官に話しかけたギヨームのもとに、慌てふためいた衛兵がすごい勢いでやってきたが、足がもつれ、その手前で転んでしまった。

よく見ると頭を怪我しており、片腕も負傷しているようだ。


「なんだ? 騒がしいぞ」


「ギョ、ギョ、ギヨーム様……」


よほど全力で駆けてきたのか、息が切れていてなかなか先を言わない。


目くばせすると副官が皮の水筒を取り出し、それを足元の衛兵に飲ませてやった。


「大変です。何者かの襲撃を受けました。私の班は、班長以下、私以外は全滅。応援に駆けつけてきてくれた者たちもあの様子ではそうは持ちそうにありません。急ぎ加勢を! あれは人ではありません。すぐに加勢を……」


衛兵はそれだけをようやく言うと気を失ってしまった。


「パウエル、俺たちも行くぞ」


ギヨームは周囲の衛兵をかき集め、戦闘の音が聞こえている方向に向かった。


戦闘の音というよりは、もはや男たちの悲鳴の合唱と獣の遠吠えのようであった。


先ほどの衛兵から場所を聞きそびれたが、その方向がわかるほどに外は騒がしい。

住民たちも異変に気が付き外に出てきたようだ。


「邪魔だ。どけ! 」


ギヨームは目の前を塞いできた老婆を蹴倒し、先に進む。


ようやく到着してみるとそこはもう酷い有様であった。


多くの屈強な衛兵たちが地面に転がっていて、中には息絶えている者も少なくなかった。


その中心に、それはいた。


猪のはく製のような頭部の被り物に、はち切れそうな筋肉の上半身。

右手には大きな鉈を持ち、蛮族のような出で立ちであった。


血に濡れた刃は、厚くて幅が広く、やや弓形をしていた。


その全身からは、ギヨームがこれまで感じたことのない不気味で、異様な圧力のようなものが感じられ、思わず後ずさってしまった。


「お前たちぃ! 何をしている。かかれっ、かかれー」


ギヨームは、おのれが臆していることを悟られまいと必死で声を出した。


化け物だなどというが、見たところ人間であることにはかわりがないようだ。

そう言い聞かせ、心を落ち着けようとする。


ギヨームの命令に、集まった兵士たちは我に返り、一斉に飛び掛かる。


どんな豪傑であっても、全員で組みつき、身動きを止めてしまえば何とかなる。

そういった意図が、訓練された衛兵たちの間では共有されていた。


猪の被り物をした男は、ニィと歪んだ笑みを浮かべると鉈を腰の鞘に戻した。


そして力比べをするかのように、衛兵たちの好きにしがみつかせた。


腕や足や腰に、衛兵たちがしがみつくが、男の表情には余裕があり、次の瞬間、身を無造作によじったかと思うと全員が吹き飛ばされてしまった。


そして、ギヨームが「あっ」と声を出すより早く男が駆け寄ってきて、首を掴んで持ち上げた。


恐るべき握力と腕の力だと、ギヨームは戦慄した。

大柄なギヨームを涼しい顔で軽々と持ち上げている。


直感だが、このままのどを握りつぶすことなど容易いのではないかと思わせる手の感触だった。


「……ぐっ、離せ。俺を誰だと思ってる。グリュミオール家の人間だぞ。逆らったら……」


「ごわがるごとはない。あんじんじろ。おまえはごろさない。だが、にどと、ごこにはあじをふみいれるな。いいな? づぎはない……」


男は、被り物で口元以外が覆われた醜い顔を近付けてそう言うと、ギヨームを無造作に放り投げ、自らはましらの如きすばしっこさで壁を蹴り、屋根に飛び乗るとどこかに去っていった。


背を打ち、悶絶しながらギヨームが体勢を起こした時には、男の姿は無く、地面に倒れた衛兵たちの哀れな姿だけがその場に残っていた。


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