第63話 悩める者、ほくそ笑む者

D級ダンジョン≪悪神の問い≫の消滅の事実は、オースレンの街全体を揺るがす大ニュースとなった。


迷宮に潜り、そのドロップ品を資源として採集することを生業としている者たちばかりでなく、市井に暮らす街の人々の暮らしにも多大な影響を与えることになるからだ。

宿屋や武具屋など、この街に集まって来る冒険者たち相手の商売をしている者たちは元より、燃料や照明など様々な用途に用いられる魔石などの資源の生産力の低下がその他の商売人たちにも影響を与えるのは明らかだった。


この話が末端の人々に知れ渡る頃になると、冒険者ギルドに所属する中堅クラスを中心に全体の三分の一ほどがオースレンを去ることになった。


初心者向けのG級、F級の二つのダンジョンだけでは実入りが悪く、もう一つあるB級ダンジョン≪悪神の偽り≫は危険すぎて、並の冒険者がおいそれと挑めるような代物ではない。

ただ複合迷宮の四つあるダンジョンのうちの一つが欠けたという程度の話にはとどまらない大事件であるのだ。


オースレンの人々の話題の中心は、このD級ダンジョン≪悪神の問い≫の消失について持ちきりとなり、いつしか≪老死病ろうしびょう≫騒ぎなどどこ吹く風と言った状態になってしまったようだった。


というのも、あれほど相次いでいた老人のような特徴を持つ死体が発見されること自体がなくなってしまったのだ。



領主コルネリスの関心もすっかり≪老死病ろうしびょう≫から迷宮消失問題に移ってしまった。

コルネリスはルカに迷宮消失の原因を追究するとともにその防止策を見つけ出すように強く命じたのだった。


この件については、ルカも大いに関心があり、≪老死病ろうしびょう≫騒ぎの解決がもはや喫緊の問題ではないという風潮もあって、次第にその軸足を迷宮消失問題に移さざるを得なくなった形であった。


ショウゾウに張り付けていた従騎士からの報告も特に変わったものではなく、成果は上がっていなかった。


「ショウゾウは毎朝早くに近所を散歩し、その後ゆっくりと宿の食堂で食事を取った後、冒険者ギルドに向かいます。パーティメンバーとF級ダンジョン≪悪神のたわむれ≫に向ったり、迷宮外の仕事を受注したりとごく普通の冒険者であるように見受けられます。魔法院を訪れ、子供たちに菓子などを振る舞い、そこで魔法の研鑽などを行う日もありますが、取り立てて変わった動きを見せることは無く、むしろ善良な老人である面ばかりが目につきます」


「善良というのは?」


「はい、最近はオルディン神殿にも足繁く参拝しており、その帰りに神殿の養老院 ようろういんや孤児院などの救護施設を慰問に訪れたりしています。冒険者として得た報酬をそれらの施設に寄付したり、物乞いなどにも施しを行ったりしているようです。暮らしぶりも宿屋こそ程度のいい場所に移ったようですが、これは冒険者としての生活のめどがある程度たったからだと思われます。夜は早くに部屋の明かりが消えますし、特に贅沢することも無く、堅実で善良な暮らしぶりであると言っても過言は無いかと……」


「そうか、ご苦労だった。ショウゾウという老人に何かあると考えていたのだが、私の勘違いだったのかもしれない。ギヨーム兄さんが頼んだという祈祷が本当に効いたとは思わないけど、被害者が出ていない以上、こちらも捜査を続けることはできない。父上から迷宮消失の原因究明を厳命されているし、君も明日からはこちらの調査に加わってほしい」


ショウゾウの尾行を命じていた従騎士は「はっ」と短く応えると、一礼してルカの執務室を出て行った。


ルカは、椅子の背もたれに頭を預け、天井を見つめたまま大きな溜息を吐いた。


「どこで間違えたのだろう。真実のすぐそばまでたどり着いていた実感が確かにあったのに……」


ショウゾウを犯人であると見込んだのにはいくつかの確たる根拠があり、決して勘や思い込みによるものではなかったはずだった。


ショウゾウがオースレンの街を訪れた時期、そしてその日から今日にいたるまでの足取り、≪鉄血教師団ティーチャーズ≫事件のあらまし、迷宮と街を往復するという冒険者特有の生活形態などから導き出した推理であったのだ。


被害者に外傷が無いのは、犯人が油断をさそうような外見的特徴を有しているからで、ルカはそれを子供、あるいは老人であると考えた。


あのショウゾウという老人は、ルカの目から見れば違和感の塊のような存在であった。


齢八十八歳ということだが、長寿者が多い魔法使いであるということを考慮に入れても若々しすぎる。


見た目こそ皺や染みだらけであるが、その歩き方、戦闘時の動きなどはどうみてもそれよりはるかに若い印象であったのだ。


もし、暗がりで対峙したならば、その身動きからだけでは老人であるとは思えないのではないのだろうか。


それに年齢から誰も気にしていなかったが、ショウゾウはこの辺りの人種ではないように見受けられた。


髪も眉も白いから目立たないが、彫りが浅く、ややもすると少し神秘的な感じさえあるあの独特の顔立ちは東の海洋民族などに近い気がする。

このオースレンにも時折、行商人がやって来るが身体的特徴がだいぶ近い気がしたのだ。


だがそうした印象にとらわれすぎていたのではと今は少し反省していた。


魔法使い、そしてその余所者に対する差別的な意識が私の中にも少なからずあって、それが推理の目を曇らせでもしたのだろうかと。


冷静になって考えてみると、ショウゾウに尾行をつけたのは時期尚早であったのかもしれない。


ショウゾウを犯人と推定するには、動機や実行性などの面で不明なことがあり過ぎる。

この大きなオースレンの街において、同様の条件に該当する、怪しむべき者はもっとたくさんいたにもかかわらず、あれほどショウゾウを注視してしまったのはなぜなのだろう。


いずれにせよ、もし一連の事件が私が考えるように人為的なものであるならば、どこかで今の状況をほくそ笑む者がきっといるはずなのだ。


多くの命を奪い、それに微塵の罪の意識も持たざる恐るべき悪人。


迷宮、人、物資、土地、そしてありとあらゆる富。

このオースレンの全ては、我らグリュミオールのものだ。


それを脅かす存在は何者をも許すわけにはいかない。


幼き日から、そうした一族に連なる者の心構えを叩き込まれている。



扉がノックされ、外から声が聞こえてきた。


「ルカ様、コルネリス様がお呼びです。商業ギルドや街の有力者が今後の対応につき相談に来ていて、その応対にルカ様も同席してほしいとのことです」


どうやら迷宮消滅の余波が街全体を揺るがし始めたようだ。


「わかった。父上にはすぐに行くとつたえてほしい」


ルカは、寝不足で重い頭をようやく支えながら、立上り、身支度を整え始めた。

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