第二章 潜む悪と包囲網

第41話 老死病と追跡者ルカ

皺だらけで、痩せこけたその遺体は、とても穏やかな死に顔をしていた。

目を微かに開け、恍惚としているようにさえ見えるその弛緩した表情からは無念さや死の苦痛を感じ取ることはできない。


実際にこの遺体には外傷は無く、周囲にも争った形跡はない。


「ルカ様、そのようにべたべたと触れてみたりして、恐ろしくは無いのですか?」


「……恐ろしい? 何が?」


ルカと呼ばれたその若者は、話しかけてきた従者の方を一瞥もせず、そう問い返した。


老死病ろうしびょうですよ。ルカ様はご存じないのですか。最近、このオースレンでは、これと同じような遺体が立て続けに発見されているんですよ」


青ざめた顔の従者は遺体の傍らにしゃがみこんだルカから少し離れた場所におり、決して近づこうとはしなかった。


遺体が発見されたのはオースレン北地区の貧民街と呼ばれる一画。

貧民街と言っても、最初は手付かずの広大な空き地に勝手に人々が住み着いて、それが集落のような様相を呈しただけなのだが、いつしかそのような呼称で呼ばれるようになり、領主もその扱いに困るほどの規模と人口になってしまったのだ。


バラックの様な粗末な住宅が建ち並ぶこのエリアには、家族分の人頭税の支払いすら困難な低所得層が自然と集まって来ており、その上、犯罪を生業とするような組織だった者たちの存在も噂されるようになっている。

誤って足を踏み入れた者が犯罪に巻き込まれたりするケースが頻発するなど、その治安は決して良いとは言えない。


衛兵による見回りを強化中であり、ゆくゆくは大規模な取り締まりと再開発が検討されていた地域だった。


「もちろん、知っているとも。だが、老死病ろうしびょうだって? モリス、君はこれが病によるものだというのか。警邏中の衛兵がその任務を行っている最中にその老死病とやらを発症して、ここで死んだとそう言いたいのか。老人になる病気。そんなものはあり得ない。老いることは病ではないだろう」


そう、この遺体はオースレンを統治するグリュミオール家の紋章が入った衛兵の鎧を身に着けていたのだ。


衛兵の任務は危険が付きまとい、しかも体力勝負だ。

このような高齢の衛兵など有り得ぬことであるし、何よりその装備品の重量にこの体格では耐えきれまい。


「し、しかし、病気ではないなら、これは何なのでしょうか」


「わからないな。呪い、あるいは魔法のようなものなのかも。かつてヨートゥンがこの世の半分を管理していたという大昔には、人間の精気を吸い取る魔物がこの地上にも存在したというが、あれは所詮おとぎ話。そういった厄介な魔物は上位の迷宮ダンジョンにすらいると聞かないし、現時点ではやはりわからないと結論付けるのが妥当だろう。何かであると決めつけてしまうことは安易な道だが、それは思考から柔軟性を奪い、選択を誤らせる」


「そういうものでしょうか。しかし、いずれにせよ、このような怪しげな事件にあまり首を突っ込まない方がよろしいかと。それにこの辺りは治安も悪く、お父上の領内とはいえ、長居は禁物……」


従者のモリスは不安そうな視線を周囲に巡らした。


「ルカ様、やはりこちらにも同様の遺体が見つかりました!」


従騎士のサーコートを着た男たちが大声を上げて、近づいてきた。


「ルカ様の仰った通りでした。ここから先の路地を一本隔てた先の物陰に衛兵と思われる死体が……」


「衛兵は二人一組で任務にあたっているはずだからね。しかもこの近辺はモリスが言ったように治安が決して良いとは言えない。これは我らグリュミオール家がいたらぬその結果であるわけだが、そのような地区に単独で見回りを行っているとは考えにくかったからだ。もし見回りの相棒が死んだとなれば、詰め所に報告するだろうし、この辺りにすでに大規模な捜索が及んでいても不思議ではなかった」


「なるほど……」


「だが、問題は二人一組で巡回していたのになぜ違う場所で死んでいたのか。その答えはこの遺体の手の中にある」


ルカが指摘したのは、老いさらばえた遺体の右手が握りしめていた銀貨だった。


「おそらく賄賂だろう」


「賄賂ですと! 誇り高きグリュミオールに仕える者が賄賂など」


従騎士の一人が憤慨して見せたが、ルカは表情を変えなかった。


「何者か……不審人物を発見し、この衛兵はその人物をこの場所に連れ出した。その人物から口止め、あるいは見逃すことの見返りに賄賂を要求した。その人物は抵抗することなく銀貨を手渡し、油断したところを殺した。そして、顔を見られたもうひとりの衛兵を始末しに戻った……」


「ルカ様は、これが何者かの仕業だとお考えなのですか?」


「いやいや、まさか。可能性の一つを口にしてみたまでさ。争った形跡は無いし、外傷もない。なぜ、老人の様な姿で死んでいるのか。この謎が解けない限り、答えは迷いの森ドリュアスのもりから抜け出ては来れない。老死病ろうしびょうだったか。いずれにせよ、これだけの騒ぎになっているのならお父上と兄君たちの耳に入れないわけにはいかないだろうね。まあ、もうすでにご存じかもしれないが……」


「それがよろしゅうございます。流行り病などがあっては、この地区の取り締まりなどしている場合ではございませんし、一先ず視察は切り上げて城に戻りましょう。帰りにオルディンの神殿によって、身を清めなくては。妙な病気をうつされてはかないませんからね」


小柄なモリスはひょろりと長身のルカの背後に回ると、その腰の辺りを押し、急かしたてた。


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