第3話 魔導の書

森の中にひとり、取り残された不破昭三ふわしょうぞうは、本には目もくれず、まずは麻袋の中身を確認し始めた。


中に入っていたのは、衣類、皮靴、火打石、数日分の携帯食料、硬貨が入った革袋、短剣、それと毛布だけだった。


「ふむ、これは銅貨か。それとも似て非なる金属か。少なくとも鋳造技術は低いな。この金属の価値にもよるが、おそらく大した額ではあるまい」


不破昭三は麻袋の中身にはもう興味を失った様子で今度は、凝った装飾の施された革表紙の本を拾った。


「ふん、どれどれ。こっちも大した内容ではないんだろう」


表紙には「魔導の書」と日本語で書かれていた。


そう言えばあの革帽子の男、どうみても外国人のような顔つきだったのに日本語が達者だったな。


開いて見ると最初のページには「昏く、果てしない闇の海へ舟を漕ぎ出した者のための水先案内人」という文言だけが余白たっぷりに書き綴られていた。


どこか歪んだ不気味な感じのする筆跡だった。


「紙の無駄遣いだ。次は……なんだ? 」


どうやら老眼ではなくなっているようでその次のページの細かい字も眼鏡無しで読むことができそうだった。



親愛なる邪悪、不破昭三殿。


まずはこの「魔導の書」を手に取ってくれたことを嬉しく思う。

この本には、貴殿がこの異世界を生き抜くためのすべてが書かれており、貴殿のこれからの人生に大いに役立つものであると確信をしている。

くれぐれも他者の目に触れさせることなく、上手く活用してくれることを切に祈る。


閉ざす者、終わらせる者、そしてヨートゥンの息子より。



「何がヨートゥンの息子だ。気取りおって。こんな意味が分からんメッセージなどいらんからさっさと内容に入らんか」


不破昭三はそう文句を言いながらも、次々ページをめくり、内容を確かめていった。

三ページ目にして、ようやく目次が現われて、この本は全十三章に分かれているのだということがわかった。


厚さは人差し指の長さぐらいあって、かなりのボリュームである。

全部読んでいては日が暮れてしまうので、まずは第一章だけ読んでみることにした。


不要な内容であれば、嵩張る上に重いのでここに捨てていこう。


まず第一章にはこの本の取り扱い方法が事細かに書かれていた。


「ブック!」


そう念じて唱えるとこの本を出したり、消したりできるようだ。

これは誰にも本の中身を見せてはいけないという秘匿性に絡む機能であると思われ、この機能がすでに、この本がごく一般の世間に流通している本とは全く異なる代物であることを意味していた。


自分の怪我や病気を癒したのと同様に人知を超えた何か異様な力をこの本は宿している。

不破昭三は、そう確信した。


あの革帽子の男の正体が何者であるのかなど、今はどうでもいいことであり、たとえ神であろうが、悪魔であろうが、今は使えそうな物をただ利用させてもらうだけだ。


不破昭三は、太い木の根元に腰を降ろし、麻袋に入っていた穀物の粉を固めて焼いたような食べ物に口をつけながら、食い入るように「魔導の書」を読み進めた。



「ふむ、だいたい内容はわかったぞ」


官僚時代から資料にすばやく目を通し、内容を把握するのが得意だった不破昭三はその粗末な食事を終える頃には第一章、すなわちこの「魔導の書」の使用方法をすでにつかんでいた。


老いによる衰えで、雲や霞がかかったようであった頭の中が冴えわたっていて、まるで若かりし頃に戻ったかのようであった。

しかし、それらは体内の疾患や機能不全が解消したからにすぎず、決して肉体が若返ったからではないことを不破昭三は理解していた。


自分の眼に映る両手の甲には皺や染みが刻まれていて、相変わらず醜い。


このまま何もせずに時間が経過したなら、きっと改善されていた身体機能もきっと再び老いによって蝕まれてしまうことだろう。


「チェンジ。儂に関すること、教えてくれ。できるだけ詳細に。儂の体は今どうなっておるんだ」


この本は人語を理解し、「チェンジ」の掛け声で持ち主の要望に会った内容を可能な範囲で表示してくれるらしい。


本の題字が「魔導の書」から「イルヴァース世界における不破昭三」へと変わった。


本の内容も変化していて、最初のページ目には次のように記されていた。


名前:ショウゾウ・フワ

年齢:88

性別:男

レベル:1

種族:人間

スキル:異世界言語LV1、オールドマンLV1



空白のページに現れた内容はこれだけだった。

その他のページをめくってみても何も記載がない。


「……なんだ。思ったよりもこの本、無能だな。それとも得意分野ではないのか」


不破昭三はいらだった様子で「オールドマン」の文字の部分を人差し指の先で何度もコツコツとつついた。


「このスキルというのがわからん。技術?技能? ≪異世界言語≫というのが仮にこの世界の言葉を理解する能力だとして、この≪オールドマン≫というのは何だ? 八十八歳だという年齢の表記があるのに、もう一回、年寄りと念を押している意味が分からん。それとも、儂のことを馬鹿にしているのか?燃やしてしまうぞ」


本に向かって凄んで見せるが、内容が追加される気配はない。


「こんな年寄りの脅しは通用せんか。わかった。では、チェンジだ。スキルとは何だ? ≪オールドマン≫とは何か。説明してくれ」



スキルとは、イルヴァース世界における特殊能力。神々が人間に与えたもうた恩寵ギフト

念じたり、発声することによって効力を発揮するものや、中にはある条件下で自動で発動するものなど多種多様である。


≪オールドマン≫:???


「糞ッ、やはり使えんな。肝心のオールドマンが何かわからないのでは、意味がない。こうなったら人里を探して、異世界言語とやらの効果を試すほかはないか。まあ、言葉さえ通じれば、馬鹿ども相手ならどうにでもなるだろう」


不破昭三は、「ブック」と唱え、「魔導の書」を何処いずこかに仕舞った。

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