第12話 階段の少女
元気のあり余っている小学生のはるかな喧騒を横耳に、人通りのほとんどない渡り廊下を見渡す。
元気だなぁ。
───うん。青春に関する語彙力が私には欠如してしまっているみたいだ。
現実味が無さすぎて、言葉になるよりも先に嫌悪感が脳内を駆け巡る。
ほんとに尊敬するよ。
嫌味とかじゃなくってね。
彼らの声に負けじと、葉を赤くし始めた木々達が風に踊る。踊れば踊るほど体の一部を撒き散らす彼らに同情の念を向けた。
君たちはどうやっても死の季節に抗うことはできないのだね。
でも私は好きだよ。自分の全てを削ぎ落とした歴戦の猛者みたいな感じがして。
結局同情なのかもしれないけれどさ。
窓の外を見つめながら、そろりそろりと誰もいない廊下を歩く。窓が多い場所を歩くと、視界がいちいち閉ざされる。それが何故か心地よい。
なんでだろうか。自分が景色を支配しているように思えて。
分かるかい?電車に乗っているときもたまになるんだよね。
言ってもみんな分かってくれないんだよね。
私のこの目を通して景色を見ればすぐに分かるのに。
まぁでも、諦めないで伝え続けてれば、君たちも分かってくれると、思っているよ?
それは理解じゃなくて洗脳の類なんだろうけどね。
まぁ実際私は理解したし。彼女の言ったこと。
「私は好きだよ。誰もいない教室」
本当は分かっていなかったみたいだ。何にも分からないのに分かったようなフリして。
でも私は理解した。今さっき。
理解できなかったこと理解できるのはとても気持ちが良い。喉奥に刺さった魚の骨が取れるみたいで。
チクチク、それもそこまでではないが気にしてしまうくらいには痛みを感じるあの感じ。
あれが取れた時はなかなかにいい気分だよなぁ。
そんなこと一度もないけど。
まず私は魚が嫌いだ。
あの無機質っぽい顔しといて肉に脂がのっている感じ。心底嫌いだなぁと思う。
多分アイツの良さを理解できる日は来ないんだろうと思う。
あぁ残念、例外を見つけてしまった。
諦めないで伝え続けても伝わらないもの。
日々の幸せがひとつ減った。
そんなことより、だ。誰もいない教室はいいよねって話。
私だって最初、彼女は一人でいるのが好きなんだろうなぁ。くらいにしか思っていなかった。でも、実際はそんな簡単なことでもない。
いつもは耳を塞ぎたくなるほどの「声」、もとより雑音が空間を圧迫している学校、という建物。
そこに誰一人見えない。
いつもみたいに自分が耳を塞いでいる訳でもない。意識したこともなかった鳥の声だって、意識しないと聞こえない風の音だって勝手に耳に入ってくる。
ただそこに人がいないだけ。人の話す声が聞こえないだけ。
それなのに私は高揚した気分になるのだ。
いつも嫌っているヤツらがいないだけで、その空間は、現実と断絶された一つの「世界」のように思えてしまう。
そしてそこにいるのは私。ただ一人。
無人の国の王様みたいだな。
昔読んだ小説を思い出した。
その時は、どう思ったんだろうか。
その王様のことを悲しんでいるような記憶もある。この人、寂しいだろうな。って。
でも、もうそんなつまらないことは考えない。
だってそれは、こんなにも素晴らしいものだからね。
世界はこんなにも美しい。
手を広げて宙を仰いでいた私は、二十メートルほど離れた場所からこちらを見つめる姿を視界に収めた。数秒目が合う。
そして──────
何事も無かったように回れ右をした。
「我に帰る」っていうのはこういうこと。
足早に逃げる私は、目的の場所から徐々に離れていく。そんなことを気にしている場合ではないのだ。緊急事態。そう、正しく緊急事態。
さっき通ったときには私に気づいていなかった文化クラブの方々も、ドタドタ音を立てるこの不審者には気づいたみたいだ。
目が合う。
苦笑いで会釈をしてくる。
私もそれに習った。
これが陰キ───文化人の基本的なコミュニケーション。この感じは久しぶりだね。
「強く生きろ」
私はその場所からも逃げてしまったからね。
とっくに後ろの方になってしまった教室にエールを送って、ちょっとだけ歩くペースを落とした。
ちょっと遠回りになるけど、一回下の階に行ってからぐるっと移動しよう。
そう思って階段の手すりを掴んだ。
その手を掴まれた。
ん?
「お姉さん、何してるんですか?」
恐る恐る首を後ろに向けていく。
私が恐れていたまさにそいつの顔が視界に入った。
さっきみたいに数秒視線があう。さっきの二百分の一くらいの距離感で。
理解が追いつかない頭に追いつかない体。制御を失ったそれはよろめき、私は文字通り階段を転げ落ちた。
あ、死んだ。
突然の死の予感にも冷静に対応し、私は目を閉じて手を合わせた。が、しかし。
抵抗を放棄して流れるに任せられていた私の体は、すぐに停止した。気づけば、勢いを殺しきれなかった私は、鏡で出来た壁に相当な衝撃を持って激突していた。
あぁ、踊り場があってよかった。安心した私は、未だに祈りの手を元に戻すことは出来なかった。普通にチビりそうだった。
鏡の中の自分と目が合う。片足だけ階段に乗っていて、大胆に足を広げる現役女子中学生が見える。
はいピース。
正直に言おう。死ぬほど恥ずかしかった。
小学校に潜入し、計画もなく突っ込んできたことに後悔し帰ろうとして、でも新たに現れた可能性に胸を踊らせ、そろりそろりと廊下を歩いていた結末がこれだ。
しかもその一部始終をこのガキに見られている。穴を掘ってそこに入りたい。「あったら」なんて悠長なことは言ってられない状況だったんだ。
君らなら分かってくれると信じている。
頭を整理し終えた私は、未だに立ちすくんでいる「このガキ」を見つめる。
年上のお姉さんが盛大に転んだにも関わらず、かの幼い容貌は無表情を貫いたままであった。まるで私のことなどどうでもいいかのように。
「お姉さん、何してるんですか?」
さっきと変わらない表情で寸分も違わないセリフをああも堂々と。いや、だから堂々なのか。
彼女のその姿を見ていると、自分の羞恥心が恥ずかしく思えてくる。あ、恥ずかしがってしまった。
これは矛盾───ではないね。
この馬鹿らしい状況を鼻で笑い、やっとのことで地に手をついた。
立ち上がった私を、彼女は小さく首を動かしながら目線で追う。
「君、名前は?」
今はこの子を知りたいと思った。
名前、年齢、身長、体重、好きな食べ物嫌いな食べ物、その他も有益なものならいくらでも。
「美希。足立美希。みきは「美しい希望」で美希。お姉さんは?」
「私はねぇ。どうしよっか。うーん───じゃあさ、はなちゃんって呼んで。私の名前は花。そう、ただの花。美希ちゃんは名前に色んな意味があっていいね。私なんかなーんの意味もないんだから」
この空間は音がよく響く。何回も反響するもんだから、新たなクラスが始まる時の苦痛でしかない自己紹介の時間を思い出した。
自分の情報を限りなく少なくして人に伝えるという文化。今すぐにでも廃止した方が良いとは思わぬかね?
「じゃあ、花ちゃん。花ちゃんはここで何をしているの?」
丁寧語がいつの間にかタメ口。人間の成長は同時に「慣れ」も引き起こすから子供は厄介。心に固く留めておいてやろう。
「私はねぇ。まぁ、そうだなぁ。じゃあ、美希ちゃん。絶対に誰にも教えないって約束するなら教えてあげる」
「誰にも教えない、ですか。じゃあ、二人だけの秘密、ってコト?」
な、なんだこの子は。
上級スキル上目遣いを巧みに操っているだと。これはちょっと危険かもしれない。
冷や汗が止まらぬまま、私は口を開く。
「そ、そうだね。秘密。二人だけの。私はねぇ、うーん、なんと言ったものか」
バカ正直に言うのも危険。だが何も言わないのも危険。今度こそ不審者と通報される危険性がある。
多分この子は私のことを分かってしまっている。私がこの学校の生徒でないことくらいは。
考えろ、考えろ、私。どうすればいい?
「お姉ちゃんねぇ、実は───スパイなんだ。今日はこの学校の調査に来ててね」
ひよったな。
通じるわけのない子供騙しを、しかも聡いこの子に言ってしまうとは。
今度こそ終わった、な。
「そうかぁ。じゃあそういうことにしといてあげる。」
あれ?見当違い。
そんな安心も束の間。
「まぁ黙っててあげるわけだから、そうだなぁ、じゃあ私も連れてってよ。おねぇちゃん?」
面倒なことに変わりはなかったようだ。私はしきりに頭を搔く。搔く搔く搔く。
よし、じゃあそういうことにしよう!
「分かった。じゃあついてきてくれるかい。助手君?」
まぁ死ぬほど邪魔で邪魔な爆弾をひとつ抱えるだけだ。見つかったら一発アウトが一発死刑になるだけ。
「そう、それでいいんだよ。おねぇちゃん。
じゃあ、行こっか」
やっと探偵らしくなってきたなぁ。
私の神様はいつになったら私を助けてくれるのだろうか。
沈む準備をし始めた太陽を睨み、彼女の後をおった。私たちの影は、最初目があった時よりも若干伸びていた気がする。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます