第9話 「彼女」の話
彼女はまるで自慢の息子のことみたいに和泉旭のことを話し始めた。私に聞かせる為じゃなくて、自分に再確認させるようだった。
彼女は自分の目に映る目の前の人間のことを考えているのだろうか。私の顔をちゃんと見ているのだろうか。
多分見ていない。というか見れていないんだろう。
高揚した気分で話す彼女には、絶望に暮れる私の顔が見えていない。だから話し続ける。
だからもう一度言おう。彼女は自分に彼の存在を再認識させているのだ。
そうしないと、生きていけないんだ。
彼女の口は無音でパクパク動いてた。
大丈夫、君たちには聞こえるはずだよ。耳を塞いでさえいなければね。
───────────その日、私は気づけば黒板の前に立ってた。慣れていたとは思うんだけどね。引越し。
でもさ、仲良くなってもすぐ離れてっちゃうっていうか。まぁ離れてくのは私なんだけどね。
なんでまた転勤なの!?なんて何回もお父さんに聞いてたなぁ。体ポカポカ叩いてさー。
悲しいけど慣れちゃったんだよ。どうせいなくなっちゃうんなら近づかない方がいいって。
全然子供っぽくないし、可愛くもなんともなかったな。まぁそれが私のせめてもの抵抗だったのかもね。ほんの些細な、私にとっては一世一代みたいな抵抗。
でさ、悲しい別れが嫌だから、話しかけられても素っ気なくしてたんだ。
「ん、何?」みたいなさ。いや本当馬鹿だなぁ、私。
だから最初は好奇心で話しかけてくれてた子達もさ、どんどんいなくなっちゃって。そのうち、あいつウザくね?とか言い出すんだよ。
それにね、私、ちょっとそのクラスの中じゃ、まぁ何ていうの、言っちゃえばね、可愛かったのよ。他の女子より。
あ、変に思わないでね。私のこといじめてた主犯みたいな子が言ってたの。
「お前ちょっと可愛いからって調子乗るなよ」とか言っちゃってさ。まったく、ツンデレヒロインみたいだよね。
ん?ツンデレ?あぁ、知らないかー。そういう人もまぁ、いるのか?わかんないけどさ。適当に漫画パラパラやってれば大体理解できるよ。いや、待って、理解は出来ないかもしれない。まぁいい機会だから調べてみなよ。知識の補充は大切。
でも、ほら私さ、その時悟ってたから。ね?
どうせすぐ転校だから、とか思っちゃって。そんでそいつらの出すちょっかいにもさ、素っ気なくしちゃったわけだよ。
ほんとバカらしいよね。そんでそのちょっとのちょっかいがだんだんいじめになってくの。仲間内だけで無視するとか、そのくらいですんでたのがもっと大きな、そうだなぁ───上履きを隠されるとかそれくらいになってくの。
でも私は何も言わないし、上履きを履かないままで普通に授業を受ける。
先生もさすがに気にして、大丈夫?くらいは聞いては来るんだよ。でも私は、大丈夫です。とか言っちゃうからさ。それでおしまい。
先生も心配してるフリしてどっかホットしてたんだろうな。私がいいって言ってれば何もしなくていい、みたいな。結局自分のことだけ考えてんだよね。面倒にならなくて良かった、的な?
そんで私はムキになって我慢するし、アイツらはムキになっていじめをエスカレートしていく。それこそ今私がやられてる感じの。
でも私も限界だったんだろうね。まだ分数の掛け算に戸惑ってるくらいのガキだったし。
ん?あぁ、いや。そんな事言わないでよ。今だったら連立方程式くらいまでならできるし。まぁ君は頭がいいからね。私たち馬鹿のさ、どこが分かんないのかが分かんないんでしょ。
多分花ちゃんみたいな人種は一生たっても理解できないと思うよ。私たちの頭の作りを。
それでさ、私学校行くの怖くなっちゃって。だからいつの日かお母さんに言ったんだ。
───学校行きたくない。
でもさー、その時のお母さんの顔がさ。今でも簡単に思い出せちゃうのよ。すっごい不安、ていうか、なにかに怯えてるような顔しててさ。何も考えずに自分の言ったこと取り消しちゃったもん。
それからはもう言い出せなくてさ。耐えるしかないかぁ、みたいな。
お母さんもどっかで気づいてたんだと思うよ。でもさ、私も親になったことなんかないから分かんないだけどさ───
いや、笑うとこじゃないよ?
はぁ、君さ。───まぁいいや。
でね、多分怖いんだと思う。自分の子供の口からさ、いじめられてる、って聞くの。しかも結構追い詰められてて。
それにうちのお母さんすっごい弱くて。なんか、ショックなことあると倒れちゃう?みたいな。
結構あったなぁ。私がさ、いやわざとじゃないんだけどさ、友達に怪我させちゃった時あったんだよね。その時なんかもう、すぐ体調崩しちゃってさ。病人みたいに布団で横になってて。
だからお母さん、聞きたくなかったんだと思う。私が本当は学校でどうやって過ごしてるのか。
落書き書かれた机に座って授業聞いて。
朝に教室のドア開けたら目の前から水でいっぱいのバケツが降ってきて。
移動教室は絵の具で汚れた靴下だけで移動して。
そんで下の学年の子に笑いものにされるの。
こんなの聞いたらほんとに死んじゃいそうじゃん。お母さん。
だから私は黙ることに決めた。お母さんのために。それに転勤も近いだろうしって。
でもね、そんな簡単じゃないの。
そういう時に限ってお父さん全然不動産の資料持ってこないの。それどころかさ、もう一年くらいここにいるって言うの。
分かる?その時の私の気持ち。自分に嘘ついて強がって、いつか終わると思ってたそれをこれからも続けないといけないってわかった瞬間。
もうだめだったね。私は。
生きてるのか死んでんのか分かんなくて。
朝目覚まし時計ぶっ壊すくらいの力で叩いて起きてリビング行って味のしなくなった朝ごはん食べて美味しいねぇってお母さんに笑いかけて食べ終わったら顔洗っていつまでたっても洗った心地がしなくて鏡がずぶ濡れになるくらいまで洗ってそれが終わったら歯磨いて歯ブラシの毛先がこれでもかって開くくらいまで磨いて目の前の自分に笑いかけるの。
今日は何回泣くか分かんないから笑顔の準備しとこ〜。はい、可愛い。
少ししたら涙出てこなくなっちゃったけどね。悲しくても痛くても体調悪くても体がどうしても学校に向かわなくなった時だって私は笑顔だった。
そんで自分の体と勝負するの。大体私が勝って学校にとぼとぼ向かう。
いやー、偉かったと思うよ。その時の私。
じゃあやっと本題だ。
いじめが始まって、ざっと三ヶ月くらい経った後だったかな。彼が話しかけてきて。
もちろん私は無視したよ。思いっきり蹴られたって声出さなかったんだから。
我慢することだけ覚えちゃったから、私。
でも彼はさ、旭くんはね。すっごい優しく肩に手を置いてね、ごめんね。って何回も言うの、みんな教室にいるんだよ。それでも旭くんは続けてさ。
ごめんね、ごめんね。辛かったよね。酷いよね。僕も。今の今までさ。本当にごめんね。
もう怖かったもん。実は私の感覚がダメになってて、ほんとは肩殴られてんのに痛み感じない。っていう可能性を真面目に考えちゃうくらいにはね。
多分私はさ。強がってて、自分に嘘いてまで強がってたのにさ。そういう存在が欲しかったんだろうね。拠り所みたいな。
その点彼は上手だったな。タイミングもバッチリで。私もコロッと傾いてさ。彼の愛犬みたいになっちゃった。
それからだったね。旭くんが私に色んな場所教えてくれたの。公園に毎日集合して。彼がリードを引っ張って、私は忠実について行く。
───あ、言ってなかったっけ。そう、その時の転校先がここ。もしかすると私たち、もう出会ってたのかもね。何年か前に。
そう考えるとなんかエモいね。
やっぱなし。ダサいわ、今の。
花ちゃんを前に連れていったのも彼が教えてくれたところ。
裏山の裏の場所とか。ゴミ捨て場とか。
だから、そうだね、私が彼から伝承したものを君に伝えた、みたいな感じかな。
うん、エモーショナル。これはいけるかもしれない。略さない方がそれっぽいや。
───次は、君だ。
なんちゃってね。
私はなんとなく浮かれてたんだと思う。もう送れないと思ってた青春が、いきなり目の前に顔を出したみたいで。
夢見てるみたいにプワプワしてて。
それからはいじめも少なくなってったんだよ。面白いよね。みんなの私に対する気持ちより、彼のクラスへの影響力の方が強かったっていう話だ。
旭くん、結構かっこよかったんだよ。
だから私は女子の嫉妬の方が強くなると思ったんだけどね。そうでもなかった。
というかみんなも気づいてたんだろうね。旭くんが何を言いたかったのか。なんで私に近づいたのか。
まぁ私は顔が可愛かった、そういうこと。
私はそれを言葉にしたくはないな。君も勘づいてるでしょ。そういうこと。
それがわかってたって私は旭くんに陶酔していく。ダメってわかってても深くのめり込んじゃう。
気持ちがまだ不安定な小学生はさぞかし簡単だったろうね。
難易度Cとかそれくらいなのかな。初心者より少し上のランクの攻略対象。
いじめがなくなったって私は彼といた。学校にいるほとんどの時間をほとんど彼と過ごした。放課後も当然のように一緒にいた。
すると大変。これが、私のお母さんの顔色も良くなるんだよ。
友達と遊ぶ、って連絡するだけ。たったそれだけなのに、電波で繋がった先のお母さんの顔が笑顔になってくのがね、指先から伝わってきちゃうんだよ。
ネット上だと表情が伝わらない。みたいに言う人いるけど、あれって嘘だよね。
それでね、私思ったの。これで大丈夫。もう心配することなんか何もない、って。
こんな簡単な事だったんだ、って。何度も心の中で呟いて。
でもここまで遠かったじゃないか。って振り返って。
そう、ここだけの話ね。
自分を中心に考えてる男子小学生は、不安な女子小学生より攻略が簡単ってこと。
今はそんな話どうでもいいか。君も別のこと考えちゃいそうだし。
でね、それから結構たってもう学年末。
大変なことに今度は彼が引越し。私は唯一の居場所を失うことになったわけだ。
彼がいなくなった後、私に対するいじめは、中断時からほんのちょっと過激になった。
私に旭くんを取られたことに対する恨み。
自分たちがまんまと無力になっていったことに対する怒り。
私は絶好のはけ口。
たったそれだけ。
でも私にはもう力があった。
誰かを味方につけて居場所にして、そこに寄生する力。
君は、当事者って訳だ。私の力を身をもって知ってる。
それに、今それに気づいたんでしょ。
私はあの日、世の中が嫌になってた君に話しかけた。旭くんが私の肩に触れてごめんねって何回も繰り返してた時みたいに。
それからの君は。───そうだな。旭くんが私を支配できたって、そう思い始めた時と同じような感情を持ってたんじゃないかな。
あぁ、やっとわかった?
私はよく人から虐められる。
でも私は今も元気に生きている。
だから私はここで君の隣に座っている。
つまりそういうこと。
──────これが私の君へのお話。
「どう?楽しかった?」
彼女は気味の悪い笑みでこっちを見つめる。いつかの私の顔を鏡写しにしたみたいな表情。
私は動けない。
彼女の顔を黙って見つめる。
私の世界はスローになった。
それから、公園の寂れた時計の針は変な音をたてながら二周くらいした。
体感はその三十倍くらい。
力を取り戻した私は、固まっていた腕をブランコのチェーンに思いっきりぶつけた。
ジーンとくる痛みが私がここにいると主張している。私はここで今生きている、と。
安心する。自分を痛めつける変態たちの気持ちが、ほんの少し理解出来た気がした。
気づけば空は真っ赤に燃えていて、彼女の横顔は、1枚の絵画のように完成されていた。
自信に満ち溢れたその笑顔。
壊してやる。心に誓った。
「その旭くんって人とは今はどうしてるの?」
「実はまだ文通中」
「そっか。ありがと」
それからそこを無言で去った私は、ちゃんとした目的をもってどこかへ向かったのだと理解しておいてほしい。
そう、八つ当たりだ。彼には申し訳ない。だが八つ当たりなんかそんなものだろう。
後ろ姿の私に彼女がなんか言ってる。
今は黙ってろ。
私の、ひと夏の探偵ごっこが始まった。
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