第5話 縛り
「今日からみんなの新しい友達になる──────さんです。まだ分からないことも多いと思うからみんな優しくしてあげてね」
小学生みたいな紹介で教室に足を踏み入れた彼女。その顔は勝ち誇ったような表情で、二人で目を合わせては微笑むことを繰り返した。
私の負けかー。
なんて心で呟いては、それがこの世で最も喜ばしい負けであることを確信した。
第一私たちは何を勝負していたのだろうか。
そんなことを思い浮かべながらもすぐに頭を振る。別に幸せなんだから何も関係ないじゃないか、と。
彼女はすぐに新たなクラスにうちとけ、予想通り孤立した。
実際は私もいたからふたりぼっち、といった感じだったが。
最初のうちはいいのだ。
クラスという共同体は異物を一定時間可愛がる習性を持っている。
何より彼女は、そのクラス内の誰よりも可愛かったのだ。最初は積極的に彼女の空気を侵していた女子たちも、彼女に向けられる男子の視線の数々を知ってしまえば、以前のように彼女に接することはなくなった。
元々彼女の周りには人がいなかったかのように机の周囲は閑散としていた。
寂れたシャッター街みたいな落書きのあと。
ゴミだまりみたいな教科書の束。
その全てが現在の中学生の実態を表していた。それを見た教師は最初のうちは見えない敵相手に奮闘していた。でもそれはただの外面。
「頑張っている私」というバリケードで自分を囲うだけで、具体的な解決を行おうとはしない。
本気でなくそうとするなら学級会なんて形をとらない。分かるか?自分では何もしないで生徒に裁判を行わせるんだ。
そう、実行犯である生徒に!
そりゃあ生徒は知らん顔をするし、責任の擦り付け合いをするし、最終的には女子が泣き出して終わり。最初から誰も話し合いなんかしていない。
解決策なんかひとつも出ずに、締めに教師が、
「自分がされて嫌なことは人にしない」
なんていう綺麗事の塊みたいな気持ち悪い言葉を並べてて、生徒は散らばっていく。
たった数秒で元の景色に戻りつつあるクラスの雰囲気を理解し、とうとう教師もが見て見ぬふりを実行し始めた。
それ以上は問題になることもなく、そのいじめは闇に葬りさられる。
問題にならなくなっただけでなくなったわけでもないいじめは、クラス内の常識と変貌していった。
日に日にエスカレートしていくいじめ。机には、チクリ魔!とか、色目使いやがって!とか、だっっさい言葉が並べられていて、それを見る他クラスの教師も、そのうち彼女を風景として認識するようになっていく。
「私の味方は、やっぱり君だけだね。まあこうなる覚悟は出来てたけどね。それにしても手が早かったね」
「ダメだよ。そうやって何も言い返さないから、あいつらだって面白くなくて、嫌がらせをやめないで、どんどんエスカレートする。このままだと、私ももう───持たないよ」
できるだけ平然を保とうとする彼女の顔には、隠しきれない不安や、苦悩の感情が溢れ出していた。
それでも私の前では笑顔を壊さず、私の憧れの彼女であり続ける。
私はそんな君を見ていられず、今にも逃げ出したくなる。それでも前に彼女がしてくれたみたいに、ただ隣にいることだけでも彼女の救いになると信じて、黙って隣に座る。ふりをする。
彼女がなんでこのタイミング───中学一年生の夏に転校してきたのか。なんで一人で公園にいたのか。なんで私を見つけて連れ出したのか。
考えてみれば簡単な事だった。あの時の彼女の服は、彼女を強く見せて敵から身を守るための正装だったんだろう。
不安でいっぱいで、それでも勇気を出して、その目で私を見つけてくれた。自分と同じような目をした私を見つけてくれた。
私になら自分を託せる、なんて思ってくれたのかと思うと、嬉しさとも喜びともつかないその感情が、心の奥底から込み上げてきた。
でもそれなら、彼女がたくさんの場所を知っていた理由が見つからない。はるか昔から知っていたかのように私を連れて走り回って、長年の秘密基地みたいに私を招待していた。
でも彼女はここに住んでいたわけでもなく、ほんの最近やってきたんだと思う。
多分、彼女は何か隠している。私に言えないような何か。窓の外を見つめる彼女の虚ろな目は、その仮定を裏付けるようにただただ不安定だった。
それがわかったところで、彼女にそのまま聞く勇気なんか、その時の私は持ち合わせていなかった。
彼女が私に話したくなるまで待とう。
心の中にしまっておこうと決めた。
「その、通りだね。でも、君だって何にも言ってくれないじゃないか。彼らに向かって一度も」
急に温度が下がった。時間は圧縮されたみたいで、ゆっくりと溶けていくように過ぎて行く。その時の私がどんな表情をしていたかは、彼女の慌てざまを見れば想像するのにたやすかった。
「違う、違うんだ。そういうつもりじゃなくてね。あぁ違うの、違うの。ごめんなさい、ごめんなさい。許して、お願いだから───私には君しかいないんだよ、だからお願い───」
彼女は私に縋りついて、服の裾を掴んで離さない。
彼女が初めて私にみせてくれた泣き顔は、可哀想この上なくて、守ってあげたくて、それでいて私の閉ざされていた何かを叩き起した。
それは金切り声をあげる目覚まし時計みたいに。乱暴に私の睡眠を邪魔してくる。怒り狂う私の感情は、その目覚まし時計をありったけの力で押し潰そうとした。
気づけば私は彼女を乱暴に抱きしめていて、脳の奥に響くような声を彼女の耳元で囁いていた。
「大丈夫。君は大丈夫だ」
いつの間にか私たちの立場は入れ替わっていて、あの時の彼女の作り物みたいな笑顔の真意を、彼女を腕の中に収めながら理解した。
言ってる本人が一番怖いんだよね。本当に大事なものを手放してしまいそうで。
それでも私は彼女を抱きしめる。できる精一杯の力で抱きしめる。
もう何も失いたくない。だから手放さない。
でも、もう私も気づいている。
もう、君は私から離れられないって。
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