3話 儚い星
週末が開けて学校に登校する。
校門の前にはいつも孤独な狼の様な美しい先生が立っている。
「なつきくんか。おはよう。遅いじゃないか。」
「おはようございます。少し遅れたわ。今日は学校に行く気分ではなかったの。」
「そうか。たまには授業を放棄して先生の隠れ家に来てみないか。勿論、なつきくんと私の秘密だ。」
隠れ家という響きに子供な私は惹かれてしまった。
「隠れ家なんて素敵ね。ぜひ、連れて行って欲しいわ。」
狼のような先生は校門の鍵を閉めて、私を隠れ家へ案内してくれた。
そこはプールの裏にある楠が立ち並ぶ林だった。
「ここが隠れ家なのかしら。少し窮屈ね。」
先生は余裕があり、落ち着いた笑い声を林に響かせた。
「林の中を隠れ家なんて言わないさ。あれだよ。」
先生が指した先には古びた廃倉庫があった。
扉は壊れており中が筒抜けになっている。
「こんな所に倉庫があったなんて。気づかなかったわ。」
「まさに隠れ家だろ。私もよく仕事を抜け出してここで珈琲を飲みながら休憩することがあるんだ。」
中には椅子が二つに工具が立ち並んでいた。
片方の椅子には灯っていないランタンが置いてある。
「さあ、ここに腰掛けたまえ。落ち着くぞ。」
先生はランタンに光を灯し、倉庫内の中央に設置してくれた。
「林の綺麗な空気に夏の風物詩のようなプールの匂い。とても良い場所ね。」
「夏の風物詩か。私も幼い頃に憧れていたな。懐かしい。」
「幼い頃の先生にとって夏の風物詩は何だったの。」
「私は幼い頃に夏を楽しめなかったんだ。夏祭りや花火。七夕にお盆。どれも当時の私にはつまらない事に思えたんだ。そのつまらない事を全力で楽しめる夏の風物詩の様な少し年上の少女に出会った。私はその少女に夏の楽しみ方を教えてもらったんだ。幼い頃の私はその少女だけが世界の全てで憧れだった。そして彼女が夏の風物詩だったんだよ。」
「その少女は今でも先生の憧れなのかしら。」
「もちろんだ。彼女は大人になる前に天国へ旅立って行った。彼女だけが世界の全てと思っていた私は彼女がいなくなっても世界が動いていることが許せなかった。そんな時に港を歩いていたら彼女が立っていたんだ。生前、彼女は港で美しい夜空に浮かぶ星を見るのが好きだった。私は走って彼女に触れようとしたんだ。手が通り抜けた。彼女は振り返り最後に満面の笑みを見せて消えてしまった。その日からこの世界のどこかに彼女は生きている。そんな風に考えるようになったんだ。今でも彼女の背中を追っている。いつまでも憧れの存在だ。」
「とても素敵なお話ね。いつかまたその少女にきっと会えるわ。」
港の話で不意に思い出した。
「そういえば昨日、港に散歩に行ったのよ。その時にこんな物を拾ったわ。星のような模様が書かれているコインよ。」
先生は見たことの無い表情を見せた。
「これは彼女の書いた星だ。私たちは一度行った場所に目印として星を書いていたんだ。これは間違いなく彼女の書く星だ。どこで拾ったんだ。詳しく聞かせてくれ。」
少し強引な先生に私は驚いてしまった。
「港までの堤防沿いの道で拾ったわ。日差しに照らされてとても輝いていたからすぐに気づいた。」
涙を流した先生は私の肩に手を置いた。
「そうか。そんな所に落ちていたのか。きっと彼女が港に向かっている途中で落としたのだろうな。拾ってくれてありがとう。すまない。取り乱してしまった。」
私も頬を濡らしてしまった。
「先生に見つけてもらえて天国から喜んでいるはずよ。」
先生はコインを大切に胸ポケットに入れてハンカチで涙を拭いた。
「何かお礼をさせてくれ。私に出来ることなら何でもする。」
「そんな滅相もないわ。素敵なお話を素敵な隠れ家で聞かせてくれた。それだけで十分よ。」
落ち着きを取り戻した先生は優しく尋ねてきた。
「そうか。困ったことがあればすぐに私に言ってくれ。いつでも力になるからな。」
「困っている事。一つあるわ。私、大人になりたいの。どうしたらなれるのか。考えて夜も眠れない時があるわ。先生にとっての大人は何かしら。」
「なつきくんは大人になってどうしたいのだ。」
先生の言葉に戸惑ってしまった。
「いつまでも子供ではいられないわ。でもずっとこのまま大人になれないのじゃないか。そんなことをずっと考えてしまうの。」
「誰がどう見るかで全て決まるんだ。例えばなつきくんから見れば私は大人だろ。知識と経験が違う。でもなつきくんよりもそれらが未熟な人から見ればなつきくんは大人なんだよ。私は夏の風物詩のような彼女を今でも大人だと思って憧れている。つまりそういうことだ。なつきくんはこれからたくさんの知識と経験を得る。それを拒まず自分のものにできた数だけ大人になれるさ。焦らなくていいんだ。ゆっくり大切なものを蓄えていけばいい。」
先生の言葉で気づいてしまった。
大人になろうと必死でゆっくりと着実に知識や経験を得る事が頭に無かった。
「焦ればいいものではない。ゆっくり一歩ずつ大人になればいい。少し不安が解消されたわ。ありがとう。」
校舎から鐘が鳴った音が聞こえてきた。
「そろそろ仕事に戻らないと怒られてしまうな。なつきくんはどうするのだ。」
「今日は帰ることにするわ。普段の授業の何倍も素敵な時間を過ごせたわ。ありがとう。」
「そうか。気をつけて帰れよ。」
そう言って狼のような先生は校舎へ戻った。
隠れ家に一人残された私は倉庫内を捜索してみた。
大きなシャベルの裏に何か隠されているのを見つけた。
「こんな所に本があるわ。満天の星に消え行く子。彼が読んでいた小説じゃない。何故、こんな所にあるのよ。」
動かしたシャベルを元の位置に戻して本を隠した。
「もしかして彼はこの場所を知っているのかしら。」
気になった私は教室に行くことにした。
教室に着くと彼は静かに座っていた。
「ごきげんよう。真羅くん。」
「なつきさんじゃないか。今日は休みかと思ったよ。」
「ある場所で油を売っていたの。それよりあなたが以前読んでいた満天の星に消え行く子。まだ持っているかしら。」
彼は鞄から本を取り出して答えた。
「今日も持ってきているよ。この本がどうかしたかい。」
隠れ家に本を隠したのは彼ではないことが確立した。
「事情があってこの本について知りたいの。あらすじを教えてくれるかしら。」
「星空が好きな少女が星を手に入れるために色々な所へ旅をする物語だよ。」
どこか聞き覚えのある話に食い気味に言ってしまった。
「もう少し詳しく聞かせてほしいわ。」
「少女が旅をする中でいくつもの星を見つけるんだ。満月に星が満ちた夜。旅の途中で見つけた星は全て元の場所に帰ってしまった。その事象に耐えられなくなった少女は自ら命を絶ってしまった。ある日、満天の星空が輝く夜に少女は常世から帰ってきた。各地に落とした星を拾う為に。ただ、生命力を失った彼女は三日間しか存在することができない。彼女は全ての星を拾う事を諦めた。旅の中で最も印象に残った場所に行くことにした。それは星空が見渡せる美しい港だった。彼女はそこで三日間を過ごし、生前より世界の素晴らしいさを知った。そして儚く消えてしまったんだ。」
頭の中で全てが繋がった。
「ありがとう。あなたのおかげで事情が全て解決したわ。その本、少しの間貸してくれないかしら。」
「もちろんだよ。君にも読んで欲しかったんだ。」
本を持った私は彼に手を振って教室を出た。
校門を出て、港へ向かって歩き出した。
正午前の町。
道中には誰もいない。
「とても落ち着くわ。私は静かな方が好きなのよ。学校は騒がしくて疲れるわ。」
しばらく歩いているとバス停が見えてきた。
長椅子と屋根がある簡易的な小さなバス停だ。
私はそこに座って彼に借りた本を読み始めた。
静かな美しい街に涼しい潮風。
物語に夢中になっていた私はいつの間にか眠ってしまった。
「あなたがなつきちゃんね。」
彩り鮮やかで広大な花畑に一棟の風車。
風車の下に座っている私と少し年上の少女。
「あなたのことを存じ上げないわ。どなたかしら。」
「私は君の読んでいる本に出てくる少女だよ。」
「あなた何故生きてるのよ。先生はあなたのことを亡くなったと言っていたわ。」
少女は明るく笑った。
「そうだよ。私は死んでいる。ただこの世界では存在することができるの。」
私は何も言わずに頷いた。
「コインをあずみに届けてくれてありがとう。私がこの港で同じ星を今でも見ている。そんなメッセージだった。」
「そうだったのね。先生に伝えておくわ。」
「私も生前は君と同じ学校に通っていたんだよ。隠れ家は私が最初に見つけてあずみに教えてあげたの。」
「とても素敵な場所だったわ。」
「そうでしょ。よくあの場所で色んな事をしたよ。懐かしいな。」
少女は寂しそうな顔をしながら隠れ家の出来事を語った。
「楽しそうなことが沢山あったのね。私もその場に居たかったわ。」
「少し長くなっちゃったね。沢山のお話を聞いてくれてありがとう。」
少女は夏の風物詩のような笑顔を見せた。
「あずみに伝えて欲しいことがあるの。いいかな。」
「ええ、もちろんよ。」
少女が話し始めた瞬間、目が覚めた。
すっかり空は赤く染っていてひぐらしが鳴いている。
少女が先生に伝えたいことが聞けなかった不甲斐なさが私を襲う。
「ごめんなさい。あなたの思い伝えることができないみたい。」
聞き覚えのある声が聞こえた。
「なつきさんじゃないか。涙を流してどうしたの。」
「あなたから借りた本を読んでいたのよ。感動してしまったわ。」
彼は優しい笑顔を見せてくれた。
「よかった。心配したよ。僕も初めて読んだときは泣いてしまった。」
私よりも大人な彼に聞いてみる。
「あと一歩が届かなくて不甲斐ない自分が許せない時にあなたはどうするかしら。」
「僕なら強引にでも自分を許すかな。人間は失敗をして自分の愚かさや不甲斐なさから目を逸らすことは難しい。目を逸らすのではなく、受け入れてしまえばいいと考える。」
自分の弱さを受け入れる。
みやびのおばあちゃんの言葉を思い出した。
「私も自分を許すことにしたわ。弱さも受け入れることで強さに変わる。はやく大人になりたいわ。」
「大人になる。僕も最近よく考えてしまうんだ。」
「私もよ。眠れない夜だってあるわ。あなたにとって大人はどんな存在なの。」
「建前と真理を解釈できて、嘘をただ拒むのではなく本質を追求する事。それらができる存在かな。」
最も彼らしい答えだった。
「その理論に基づくとあなたはもう大人よ。」
私にとって彼は、先生にとっての星空が好きな少女と同じだ。
「僕にも君は大人に見えてしまう。尊敬しているんだ。憧れでもあるよ。」
彼の言葉を聞いた時、少女が先生に伝えたかった事が少し分かった気がした。
「ごめんなさい。急用ができたわ。この本はまた学校で返すわね。」
「そうか。気をつけてね。また学校で。」
彼をバス停に置いて日が落ちようとしている堤防沿いを走った。
港に着いた頃には辺りは暗くなっていた。
私は本を掲げて海の方へ少女に問いかけた。
「あなたが先生に伝えたかったこと。それは私にとって先生の存在はいつまでも変わらない。だから先生にとっての私も変わらない存在で居てほしい。」
私の肩に水気を感じた。
きっと小降りの雨だ。
私は本を抱き締めて歯を食いしばった。
そんな時だった。
「なつきくん。君もここに来ていたのかい。」
「聞いて欲しいの。少女の夢を見たの。私、伝えないといけないことがあるの。」
「一度、落ち着いてくれ。少女の夢を見たのか。」
私は涙を拭い冷静に話す。
「ごめんなさい。取り乱したわ。ええ、そうよ。先生との思い出を多く語っていたわ。隠れ家での出来事を聞いた。どれも素敵だった。星が刻まれたコイン。それは先生へのメッセージみたいよ。私はこの港で同じ星を今でも見ている。そう言っていたわ。」
コインを取り出した先生は強く握り締めて一言だけを港に残した。
「雪菜さん。あなたはいつまでも私の憧れだ。」
静かに先生は港を後にした。
私は見ていることしか出来なかった。
背後に何かを感じて振り向いた。
「あなた見ていたのね。よかった。本当によかったわ。」
涙を流している少女はまるで星空のような煌びやかな美しさだった。
私は少女の美しい涙に動かされて先生を追いかけた。
振り返った先生に力強く震えた声で伝えた。
「私にとって先生の存在はいつまでも変わらない。だから先生にとっての私も変わらない存在で居てほしい。」
先生は立ち止まって涙を流し私の目を見つめた。
「君は夏の風物詩だ。なつきくん。ありがとう。」
私は満月に星が満ちた空を眺めた。
まるで星空が好きな少女のように。
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