第32話 お前を堕とすための準備はできた

 女子との言い争いが好きな男子ってのは世の中に存在するんだろうか。


 クラスメイトの女子三人から口撃をくらいながら、俺はふとそんなことを考える。


「普通に迷惑なんですけど? 仕事が無いなら何か手伝えることないかって誰かに聞けばいいじゃん」


 いや、そんなもの好きもあまりいないと思う。


 同性との言い争いも嫌だが、異性との言い争いはさらに嫌なものだ。


 こんなことしたくない。


 でも、俺は――


「白々しいこと言わないでくれ。俺たちが仕事を求めて誰かに声を掛けたって、それに応じてくれる奴なんていない。わかって言ってるんだろう?」


 睨みを利かすわけでもなく、あくまでも表情は変えずに言う。


 が、それは目の前にいる三人に向けて、ではない。


 彼女たちの背後にいる、作業中のクラスメイト全員に向けて言っていた。


 作業中とは言ったものの、俺たちのやり取りを受け、手を止めながらこちらを見ている者がほとんどなわけだが。


 場もどこかシンとしていた。


 いわゆるクラス内カーストの三軍くらいに位置している奴らは、関わりたくないからか、俺たちの方を見ずに、仲間同士小さな声でクスクス笑いながら作業を続けている。


 それが賢明だと思う。


 こんな薄汚い俺たちに関わるだけ無駄だ。連中が一番賢い。


「アンタたちさ、ほんと何なの? いっつもは放課後になったら逃げるみたいに教室から出て行くくせに、今日はずっとここに居るとか」

「ほんとそれね。どーでもいいけど、何も仕事しないなら帰っていいよ? 皆、目前の本番に向けて頑張ってんのにさ」

「てか、そもそも今さら手伝うったってもういいですーって感じよねw ならもっと前から言いに来いよってとこあるし、ここに来て言われたってやる気ないのめちゃ伝わるし」

「やる気ない人に仕事とかあげられんわ。もう帰んなよ、ほんと」


 言い返す隙を与えてくれずに三人が続けて俺へ圧を掛けながら捲し立ててくる。


 傍で楓は怯えていた。無理もない。


 俺だって……怖い。


 一見三人を相手にしているように見えて、その後ろには三十人ほどの人間が敵意の目を向けているのだから。


「もー、何々~? 何やってんの、そこの塊諸君~?」


 そんな折だった。


 一番の目的。


 一番の敵が呑気な声を上げながら歩み寄って来る。


「……氷堂……」


 聞こえない程度の声で呟き、やや前を睨む。


 俺の前に仁王立ちしていた女子三人は、自然とその間を空けながら、こちらへ来る男を迎え入れた。


「やっ。何? どしたの? わぉ、意外な二人w 君ら放課後なのに今日は教室いるんだねw」


 わざとらしく笑いながら驚き、嫌な言い方をしてくる。


 奴は一人じゃなかった。


 橋上さんや、その他のクラスメイトも一緒に連れて来る。


 そこには小笠原と宮下もいた。


「氷堂君、この二人大して仕事もしないくせにここに居んの。本番直前で色々出し物の試運転しなきゃなのに」


 女子三人組の中の一人が氷堂へ助けを求めるように言う。


 まるで断罪してくれ、とでも言わんばかりに。


「えぇ~? それはちょっと困るね~。どしたん、お二人さん? どして今日はここに居んの? 仕事とか特に無いよ? 今さらだし」


 あくまでも爽やかな笑顔を浮かべながら言う氷堂。


 本当に嫌な奴だと思う。


 その仕草や物腰など、心の底から嫌悪感を抱く。


「……別に。仕事を特に振ってくれとも言ってない。お前らが俺たちのことを無視するのもわかってるから、文化祭直前の雰囲気を少しでも味わおうとしただけだ。青春の空気感とか、少しでも感じたくて」


「ぷっ! あははははははっ!」


 こういう反応をもらうのもわかってた。


 氷堂が吹き出し、爆笑する。


 その周りにいた連中も彼に釣られてニヤニヤしていた。


「何それw めちゃ健気なんですけどwww てか、え? 俺たち君らのこと無視しようとかぜーんぜん思ってないよ? ただ、今このタイミングで仕事させてって言われてもってこと! やる気感じられないし、そんなら最初から言ってよーって思うの普通じゃん?」


 目を丸くさせ、笑み交じりに言う氷堂。


 俺はそんな彼に間髪入れずに返す。


「だから、それは今だから言えることだろ? 俺たちが最初から協力しようとしても、お前らは入り込むスペースをまるで与えてくれない。ふざけたこと言わないでくれ。後出しじゃんけんみたいなこと」


「いやいや、敷和君! 君のいい分が後出しじゃんけんだってば! 最初から受け入れてくれてたらやってましたとか、そんなの信用できんできん! はははっ! なぁ? そう思わん、お前らも」


 言って、隣にいた橋上さんたちへ氷堂は同意を求めた。


 当然、彼の求めた反応が次々に返って来る。


 橋上さんは頷き、すぐに楓を冷ややかな目で射抜いた。


「まあ、最初からって言っても、私小祝さんとだけは仕事したくないかな? 噂通りだったとしたら、クラスの男子に陰で言い寄ってそうだし」


「っ……! そ、そんな……こと……」


 反論しようとする楓だが、怯えと共にその声は小さいものになっていく。


 代わりに俺が返した。


「根も葉もないこと言わないでくれ。楓はそんなことするような奴じゃないし、そもそもそんな信ぴょう性も無い噂を流したのはお前だろ? 氷堂」


 何の脈絡もない、核心に迫る口撃。


 その俺の言葉のせいで、場は一気に凍り付いた。


 が、その雪解けは早い。


 わかりやすい動揺とだんまりは、それを事実だと証明してしまう。


 氷堂がすぐに言葉を繋いだ。


 さっきとは打って変わって、目がまるで笑っていなかったが。


「ははは……。それ、どういうことかな? 唐突に訳の分からないことを言わないでくれる? 敷和君」


「訳の分からないこと、か。そりゃすまなかった。なら、氷堂に言われて噂を流したのは、彼のことが好きな橋上さん。アンタか?」


「はっ……! はぁっ!? マジ、何言ってんだお前!?」


 鬼のような形相を浮かべ、目を血走らせる橋上さん。


 変わりようが恐ろしい。


 でも、その姿は、俺の言ったことが事実であるということをこれでもかというほどに表してる。


 思わず鼻で笑ってしまった。


「何が面白いんだよ!? 適当なことべらべら喋って!」


「はっ。適当、ね」


「お前、マジ……!」


 笑う俺の胸ぐらを掴む橋上さん。


 さっきまで俺に圧を掛けていた女子三人はすっかり冷や汗を浮かべるだけになっており、後ろにいた小笠原と宮下もバツが悪そうに下を見てる。


 氷堂は――……笑みの消えた無表情で俺のことを見つめていた。


「敷和君」


「何だよ? 今さら謝ったって遅いからな。列車は走り出してる」


「どうでもいいよ、そんなこと」


 言って、薄っすらとまた笑んだ。


 その顔は言いようがなく不気味で、底知れぬ怖さを俺に抱かせてくる。


 彼は、こちらへ歩み寄って来た。


 俺へ身を寄せるように、耳元へ自身の口を持ってくる。






「……何を考えているのかはわからないけど、『ソレ』したら飛ばすよ? いい?」






 冷えるような声音。


 俺は生唾を飲み込み、横にいる奴の方を見ることができず、ただ前を見て強がるように笑うしかなかった。


「知るかよ。今も言ったろ。列車は走り出してるって」


 ――準備は整ったんだよ。お前を堕とすための準備は。

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