第26話 心の傷
「それじゃあ、お二人さん。好きなものを注文していいですからね。わざわざ私が連れて来たんだもの。御馳走させて頂戴」
芦屋さんの家から少し歩いたところにあるファミレス。
そこで、俺と楓は、彼女の母――月乃さんから話を聞くことになった。
「えっと……じゃあ、俺はドリンクバーをお願いします」
「わ、私も同じで……」
人見知りの幼子が誰かの後をついて行くように、楓が俺に続いて言った。
月乃さんは、そんな俺たちの要望を聞き入れ、呼び鈴を押す。
店員さんへ注文した後、気遣うように苦笑した。
「ごめんなさい。最初は私、カフェに行こうって言ってたのにね。おばさんからしたら、ここもカフェって括りなのよ。少し騒々しいかしら?」
「いえ、そんな。声は普通にこのくらいの大きさでも問題なく聞こえてます。気にしないでください」
ちなみに、周りにもまだあまり人はいない。
夕飯時一歩手前といったところだから、小さい子どもを含めた家族連れの姿は見えず、俺たちと同い年くらいの制服を着た奴らならチラホラ見える。
そいつら何組かが楽しそうに会話してるくらいだ。教室の中にいるよりも少し静かだと思うレベル。全然騒々しいうちには入らない。
「けど、客層的に高校生くらいの人が多いですから、今からしていただける芦屋さんの話は周りに聞こえない方がいいですよね? 席とか、ここでよかったですか?」
俺が問うと、月乃さんは「心配しないで」と首を横に振った。
「その辺りは理解してるつもりです。陽乃のこともありますからね。母親が娘の株を下げることなんてしちゃいけないでしょうし、少し小声で喋る時もあるかも。そうなったら、ちゃんと言って? 聞こえませんよ、って」
また苦笑しながら彼女は言う。
苦笑いを浮かべるのはこの人の癖なのかもしれない。
基本的に控えめな人なのかな。
「わかりました。ちゃんと言います」
「ええ。意見はハッキリね。そういうタイプの方が私もやりやすいですから」
「ははっ。ですね。俺もそう思います」
言って、俺は立ち上がる。
「じゃあさっそくですけど、俺、ドリンクバーのジュース淹れてきますね。三人分取ってきます。何がいいですか?」
「うふふっ。いい調子ね。私はコーヒーをお願いします」
了解した。すぐに俺は楓の方へ視線をやって、
「楓は……オレンジジュース?」
「あっ……。う、うんっ」
察してもらえたのが嬉しかったからか、楓は満足げに笑み交じりの柔らかい表情で頷いた。
それを見て、月乃さんがクスッと笑う。
「あなたたち、仲が良いのね」
「まあ、はい。幼馴染なので」
●〇●〇●〇●〇●
ドリンクバーの飲み物を取って来て、ようやく席が落ち着く。
俺たちはそれぞれコップに口を付けて一息。
話が本題へ入って行く。
「なら二人とも、私のお話を聞いてくれる?」
楓と一緒に頷き、わずかに気を引き締め、小さく咳払い。
俺は月乃さんの顔をジッと見つめる。
「陽乃のことなのだけれど、あの子が学校へ行けなくなっちゃったのは、とある男の子とトラブルがあったからみたいなの」
「トラブル……ですか」
「ええ。穏やかじゃないでしょう? そうやって聞くと」
頷きづらい。ただ、頷くほかない質問のされ方でもあった。
トラブルと聞けば、喧嘩か何かか。一方的に何かされたってのもあり得るけど。
「実際、陽乃は穏やかな方ではないと思うわ。母親の私からしてみても」
「そう……なんですね」
「何かとルールを守ることを大事にしてる子で、その道から外れてるような人がいたら、真っ先に注意するタイプと言えば想像がつくかしら。ほら、規律に厳しい委員長タイプの人っているじゃない? そういう感じなの、うちの娘」
いたずらっぽく口元に手を添えておっしゃる月乃お母さま。
けど、いいんでしょうか。さっきは娘の株を母親が下げるべきじゃない、とか言ってたのに。思い切り下げてる気がしますが……。
「そんな性格だからね、昔から何かと他の子と衝突することも多くて。よく相談を持ち掛けられたわ。〇〇ちゃんと喧嘩になったんだけど、どうしたらいいと思う? って」
「でも、そういうのっていいんじゃないですか? 困ってることを素直に親へ相談するって。俺、なかなかそういうことできなかったですから」
それは今も、だ。楓のことなんて父さんに相談しようとは思えない。さすがに無理だ。
「うふふっ。ありがとう、敷和君。あなた、人を褒めるのが上手ね。今のセリフ、陽乃にも直接聞かせてあげたかったわ」
「い、いえ、そんな」
「ね、小祝さん? あなたもそう思うでしょ? 彼氏さん、誰かを褒めてあげるのが上手よ」
「かっ……!? あっ、ふぇっ、あぅ、か、彼氏では……ないです……まだ」
楓が恥ずかしそうに言うのを見て、月乃さんはニヤッと笑み、
「ふふふっ。いいわねぇ、『まだ』ですって。甘酸っぱーい。私も青春時代に戻りたいわー」
「うぅぅ……」
恥ずかしがる楓を見てると、こっちまで照れてしまう。
気を逸らすように足元を見て、息を吸った。
「け、けど、月乃……さん? 話を戻しますが、陽乃さんはちょっと気の強い性格なわけですよね? 俺の勝手な推測というか想像なんですけど、そういうタイプの人って簡単には折れなさそうなイメージがあるんですが」
「ええ。折れないわ。簡単には」
「……ということは、つまり」
「簡単じゃないことだったの。その男の子とのトラブル」
「あぁ……」
まあ、そうなるか。俺は口を閉じ、月乃さんから話の続きを聞く。
「簡単に言うと、好きだったのよ、陽乃。トラブルになった男の子のことが」
「それは……恋愛的にですよね?」
「ええ。けれど、ダメだったんですって。振られちゃったって」
「……なるほど」
「すごく落ち込んでたわ。付き合えると思って告白したのにダメだったみたいでね。でも、その時点では登校拒否になってなかったの。それもそうよね。失恋したくらいで学校に行けなくなるような子でもなかったから」
「じゃあ、いったい何が……?」
生唾を飲み込みながら問うと、月乃さんはコーヒーの入ったマグカップに口を付けて、窓の外へ視線をやった。
少し間を空け、それから続けてくれる。
「……何があったのかしらね」
「……え?」
「その男の子、陽乃に告白されたことを周りの仲のいい友達に言って回ったらしいの」
「は、はい……? 言って回った……?」
「私は直接男の子と会ったことがないから、その子がどんな子なのかまるで知らない。でも、陽乃言ってたわ。『氷堂君は他の男子と違って、私を鬱陶しがらない。すごくいい人』って。それはもう嬉しそうにね」
「……え……」
「そんないい子なのに、どうして陽乃を裏切るようなことをしたのか、私にはまるで何もわからないの」
「……っ」
「でも、それは私が彼のことを知らないから。本当は二人の間で何かがあったのかもしれないし、陽乃もそれ以上は私に何も教えてくれない。部屋に引きこもったまま、ずっと心の傷に苦しんでるの」
「……」
「それをどうにかしてあげるのが私の役目なのに、何も力になってあげられていない。母親失格だと思うわ。自分でもね」
苦笑し、視線を窓の外の方から俺の顔へ戻してくれる月乃さん。
俺は、そんな彼女の目を、見開いた瞳でジッと見つめ返した。
「……あの、月乃さん」
「……? どうかした?」
「月乃さんは……母親失格じゃないです……」
「……ふふっ。こんな時にもそうやって慰めてくれるの。ありがとう。でも――」
「いえ。これは本心です。だって、氷堂からは――」
――楓も心に傷を負わされてますから。
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