第25話 月乃さんは小さい

 芦屋陽乃という人は、俺たちより一学年上の二年生だ。


 あの宮下秀志のいとこであり、高校も同じ座敷山西。


 理由はわからないが、風紀委員に所属していながら、現在は登校できていないという。


「――ここか」


「そう……みたいですね。メモの通りだと」


 西城先輩に渡されたメモを頼りに歩き、俺と楓は一軒の家の前に辿り着いた。


 玄関付近の表札には、『芦屋』と書かれている。


 この家の中で、今も芦屋陽乃さんは生活してるようだ。


 顔は知らないし、名前も聞いたばかり。


 インターフォンを押すのに少々ためらいがあったが、ジッとしてても事は動いていかない。


 俺は少し間を空けて、ボタンを押した。


 上品な音が耳に伝わってくる。


『はい。どちら様でしょう?』


「あっ……!」


 これは……お母さんか?


 一瞬、何て言っていいのかわからなくなる。


 芦屋さんとは友達でもないし、顔見知りでもない。どう自己紹介すればいいんだ。


 今さらながら混乱する俺だったが、


「私、座敷山西高校の小祝楓と言います。風紀委員長の西城さんからお渡ししたいものを預かってて、今日はそれをお渡ししに来ました。陽乃さんはいらっしゃいますか?」


 楓が流暢に言ってくれた。助かる。


「……ありがと」


 こっそり礼をすると、軽く微笑んで返してくれる。


 昔からそうだ。俺が困ってる時、何かと頼もしいフォローを入れてくれるのが楓だった。また一つ懐かしいシーンに巡り合えた気分だ。


『風紀委員の方から……ですか。ええ、陽乃はいますが……』


「「は、はい」」


 俺と楓の声が被る。


 顔を見合わせ、すぐにインターフォンの方へ視線を戻した。


『…………ごめんなさい、申し遅れました。私は陽乃の母の月乃つきのと言うのですが……私がそちらの方へ今出て行ってもよろしい?』


「え、お、お母さんが、ですか?」


 俺が疑問符を浮かべると、横にいた楓が、


「はい。構わないです」


 またしても答えてくれる。


 しかし、大丈夫か? 陽乃さんじゃなく、お母さんが俺たちの相手だなんて。


『それでは、すぐに行きます。そこで待っていてください』


「わかりました」


 楓が了承したところで、インターフォンのマイクが切れた。


 俺はすぐに楓の方を向いて、


「か、楓、本当に大丈夫なのか? 陽乃さんのお母さんって、俺たち何を話したらいいんだよ?」


「大丈夫ですよ、夏樹くん。たぶん、なんとなく、こうなるかもしれないって私思ってましたから」


「こ、こうなるかもしれない……?」


 お母さんが出てくることを予想していたってことか……?


 だったら、それは何でなのか。重ねて質問しようとしたところ、だ。


 ガチャ。


 玄関の扉が開き、遠慮がちに陽乃さんのお母さんであろう月乃さんがひょっこり顔を見せる。


 ――ち、小さい……。


 それが、月乃さんの姿を見た率直な感想だった。恐らく、身長は145センチほどだ。


 声の感じはマダムっぽかったのに、少し驚いてしまった。もしかして、陽乃さんもこれくらいの小さい方なんだろうか。会ったこと一度も無いんだが。


「は、初めまして~。私、陽乃の母の月乃です~」


 アセアセと玄関扉を閉め、ぺこりと俺たちへ頭を下げる月乃さん。


 それに釣られ、俺たちも遅れて頭を下げた。


「ごめんなさいね。私が出てきちゃって。お化粧もしてないのだけれど」


「あ、い、いえ。それは全然。若々しくてお綺麗なので、化粧する必要なんてないと思います」


 口走った瞬間に失礼だったんじゃないかと思いヒヤッとしたが、


「あら~、本当に~? ふふっ。でも、よく近所の奥様にも言われるの。お若いですね~って」


 上品に口元を抑えながらクスクス笑う月乃さん。


 その『お若いですね~』はたぶん幼い印象があるから出た言葉だと思うのだが……まあ、そんなの絶対言えないので、作り笑いを浮かべておく。失礼が無いようにしないと。


「でも、今日はお二人ともわざわざ来てくださって本当にありがとうございます。陽乃に渡したいものがあるとのことでしたよね?」


「あ……そ、そうなんですけど……」


 直接陽乃さんと会話してそれからがいい。


 なんてこと、到底言えるはずも無かった。


 ただ、西城先輩にも言われてたのだ。陽乃とある程度話し手から渡してくれ、と。


「私から渡しておきます。陽乃は……申し訳ないのですが、今人と会うことをすごく拒んでる状態ですので」


 まあ、だとは思う。


 そうじゃなければ、お母さんが出て来るなんてことないだろう。


 俺は心の中で西城先輩に毒を吐いた。こういうことになるの、予想できなかったのか、と。


「すみません。でしたら、書類を渡す前に少し伺ってもよろしいですか?」


 楓が言った。


 いつもと違う口調。


 ハキハキしてて、ここぞとばかりに前へ出ていた。


 月乃さんは頷く。「はい」と。


「陽乃さんは……何があって学校に行けなくなったんでしょうか? 私たちは後輩で、一年生なので、何も知らなくて」


 踏み入ったような質問。


 月乃さんはすぐに答えることなく、柔らかかった表情を少し固くさせ、ジッとこちらを見つめていた。


「もちろん、言えないようでしたら深くは聞こうと思いません。けれど……この書類は、風紀委員長から『陽乃さんとちゃんと会話してから渡すように』と言われてまして」


 俺がためらっていたことをすべて楓が言ってくれた。


 それを聞いて、月乃さんは間を空けてから口を開いてくれた。


「……陽乃と今すぐに会話するのは厳しいと思います」


「……っ」


 やっぱりダメなのか。ここまでハッキリと楓は言ったのに。


「……けれど、何があったのか。これを話すくらいはしてもいいはずだと思うんですよね」


 言って、苦笑する月乃さん。それから、彼女は玄関から上の方。二階の方だろうか。そっちを見上げてから続けた。


「うん。大丈夫。わかりました。でしたら、お二人とも。今から少し別の場所へ行きましょう?」


「別の場所……?」


 疑問符を浮かべると、彼女は頷いて、


「近くのカフェでもいいわ。ここだと落ち着いて話せないから。陽乃のこと」


 確かにそう言ってくれるのだった。

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