私、なにもしてない……

 ソフィーがルゼルの妻となって一ヶ月。とくに変わったことが起きるわけでも、ルゼルの妻に立候補していた女性が乗り込んでくることもなく平穏に時間は過ぎ去った。


 そう、本当になにも起きることはなく。


「やることが……やることがなーい!」


 ソフィーはついに耐えきれずに庭で大声を上げた。

 魔法とはなんとも便利なもので、家事の類いをする必要がない。つまり、使用人としての仕事がない。


 申し訳程度で庭の薔薇をいじっていたが、それもルゼルの魔法を使えば頻繁に世話をする必要もなく、ソフィーは常に手持ち無沙汰だった。


 なに不自由なく暮らせる、とルゼルはソフィーを妻に娶った日に言った。その約束通りルゼルはソフィーに家事などの面倒ごとをさせようとはしなかった。


 しかしそれは今まで使用人として生きてきたソフィーにとっては水を奪われた魚のようにつらいことだった。

 常になにかしらの仕事をしていたソフィーにとってなにもしなくていい、は難しい注文だ。


 せっかく楽できるんだ、少しは遊ぼうともしたがすぐに飽きてしまった。街に遊びに行っても、ルゼルのお金で買い物をするのは気が引けて、なによりソフィー自身に物欲というものがあまりなかったので楽しくない。


 自分はこんなに仕事人間だったのかと少し驚きながら、ソフィーは風で木の葉を揺らす木の下で横になった。

 ルゼルは忙しいようで、ここ数日姿を見ていない。

 しかし物音はするので屋敷に帰っては来ているようだ。ちなみになぜ物音がしたらルゼルがいるとわかるのかというと、この屋敷にはソフィーとルゼル以外の人間が住んでいないからだ。


 最初は使用人の一人や二人、少なくとも住み込みではない使用人が一人はいるだろうと思っていたのだが、本当に誰もいない。

 ルゼルが一人いれば庭師も調理人も使用人も必要ない。だって、ルゼルには魔法があるのだから。

 不思議な力でささっと片付けや調理をしてしまう。魔法とはなんとも使用人泣かせな技だとソフィーはため息をついた。


「暇の潰し方がわからない……」


 主人の世話をする必要はない。家事をする必要も、買い物に行く必要もまったくない。

 なにをすればいいのかわからない。このままでは泥のように溶けて地面と融合してしまいそうだ。


「魔法、すごい……私、なにもしてない……」


 ただぼぉっと、枝に留まってさえずる小鳥たちを見つめる。

 小鳥たちはソフィーの視線に気がつくとばさばさと音を立てて飛び立っていてしまった。


「ああ……」


 夫婦か親子かはわからないが、団らんの時間を邪魔をしてしまっただろうか。

 ソフィーは力なくため息をこぼした。


「なにか……なにか仕事をぉ……」


 ソフィーはゾンビのようにふらふらと立ち上がると屋敷の中に入った。窓の縁、廊下の隅、どこにも埃は溜まっておらず、相変わらず綺麗な屋敷だ。


 厨房に行くと、そこは生活感を感じさせないほど綺麗だった。ソフィーが食べる料理はいつも間にかルゼルが用意してくれているもので、顔を合わせて食事したのはまだ両手で数えるほどだ。

 ルゼルはどれだけ忙しくても、ソフィーの食事をしっかりと用意してから出かけている。彼の気遣いに感謝を覚えるとともに、そこまでしなくても自分の分くらい自分で用意できるという申し訳ない気持ちが混じって複雑な味だ。


「タルト……」


 少し気が滅入る、そんなときはやはり甘いものだろう。

 ソフィーは数少ない物欲、食欲とも言える甘いものを求めて屋敷を出た。

 金銭の類いはルゼルが不自由ないようにと多めに用意してくれている。それを全部使う気も、贅沢をする気にもならないが、こうして時折甘いものを求めて街を歩くのはいい気分転換だ。


 何度も来て、ある程度の地理を覚えた街の中を歩く。

 屋敷のある森から街までは少し遠いが、ルゼルが整備しているのか道がボコボコしていないのでたいして負担にはなっていない。


「ここの角を曲がったら〜」


 洋菓子店がある。

 ルゼルがたまに土産に買ってきてくれる異国のお菓子も美味しいが、こういった地元で作られたお菓子もきらいではない。

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