幽霊屋敷⁉︎
旦那様に異動を命じられた翌日。そう多くない荷物を持ってソフィーは馬車に乗り込んだ。
門の前には今までお世話になったメイド長以外にもお嬢様を始めとした屋敷の全員が集まってくれて見送りをしてくれていた。
「ソフィー、達者になさい」
「はい、奥様」
「次のお屋敷の主人は良い方だよ……噂しか知らないのだけれど」
「どんな方が主人だとしても精一杯頑張ります」
「あなたがいなくなると思うと寂しいわ。けれど、ええ、頑張ってちょうだいね。これは使用人一同からの贈り物よ。よければ受け取って」
「ありがたく、ちょうだいします」
奥様、旦那様、メイド長。次々にソフィーに言葉を投げかけ、そして使用人一同よりと言って大きな色とりどりの花束を渡された。
異動を命じられた時点で覚悟は決めていた。けれど、実際にそのときがくると込み上げてくるのは寂しさだ。何年も仕えた屋敷を、何年も時を共にした人たちと離れ離れになるのはやはり寂しい。
ソフィーは涙を堪えて花束を受け取った。あまりにも涙を堪えるのに必死だったので、歯切れが悪くなってしまったのは許して欲しいところだ。
「ねぇ、ソフィー。ソフィーならどこのお屋敷でもきっと大丈夫! わたしの大事なソフィーを泣かしたりしたらあのおじいさまを殴りに行くのだわ! だから……だから大丈夫、なのだわ!」
馬車の中にいるソフィーに声をかけるために使用人に持ち上げてもらって、お嬢様はソフィーに笑いかけた。
この元気で明るい声がもう聞こえないと思うとやはり寂しい。けれど、
「……はい、ソフィーは頑張ります! だから、お嬢様も好き嫌いはほどほどに、ですよ」
本当は寂しくて泣きそうなのはお嬢様も一緒なのだ。涙を飲み込んでソフィーを笑顔で見送ろうとするその健気で幼い主人に辛気臭い表情を見せるわけにはいかない。
ソフィーも涙を飲むと笑顔を見せた。
悲しい顔でさようなら、なんていやだ。せめて笑顔でさようならをしたい。
御者の声かけで馬車が動き出す。
がたりがたりと馬車が揺れて、しかしながらも、その揺れる窓縁から見える光景にソフィーは笑顔で手を振った。
お嬢様は使用人から降りて自身の足で馬車を追いかけ、少し屋敷から離れたところまで、彼女の体力が保つところまで走りながら笑顔で手を振りかえし続けてくれた。
これだけで、ソフィーは頑張れる。
貴族の子として走るなんてはしたない、なんて普段なら奥様や教育係に叱られてしまうだろうが、そんなことはなくみんながみんな笑顔で見送ってくれた。
これは見捨てられて屋敷を異動するのではない。みんなに心から応援されて送り出されたのだ。その期待に応える。それがソフィーの仕事だろう。
「どんな方が次の主人になるのか知らないけれど……ええ、大丈夫。お嬢様も大丈夫だって言ってくださったもの。だから私は大丈夫だわ」
異動は本当に急なことだったので、次の主人や屋敷がどんなところなのかソフィーはあまり情報を伝えられていなかった。しかしやると決めたからには立派に仕事をこなすつもりだ。
侯爵家の侍女はこの程度か、などと言われてしまってはソフィーを大切に育ててくれた侯爵家の評判に泥を塗ってしまうことになる。そうならないように、ソフィーは今まで通り、いつものように、自分にできることを精一杯頑張ると深く心に決めた。
がたりがたりと馬車は揺れ続けている。
馬車は街並みを抜け、豊かな自然を通り過ぎ、そしてまた町を通り、森を抜けて、街を通る。
日程にして二日。馬車で一度夜を明かしてたどり着いたのは、豊かな自然に囲まれながらも人の多い街並みを通り過ぎた森の中にポツンと建った大きな屋敷だった。
馬車は門をくぐり抜け、綺麗に手入れされた庭を横目に動きを止めた。
「着きましたよ」
「ここ、ですか」
「はい」
御者はソフィーの荷物を下ろすのを手伝い、忘れ物がないか確認すると街の方へと走り去ってしまった。
門から屋敷の入り口まで空間には噴水があった。
そこに一人取り残されたソフィーは喉を鳴らして屋敷の玄関に近づいた。
「……」
少々行儀が悪いかもしれないが、ソフィーは扉に耳をくっつけて中の様子を探る。しかし物音どころか人の気配すらしない。
「……えっ、本当にこのお屋敷で合ってる?」
綺麗に手入れされた庭。噴水は苔が生えることなく、綺麗な白の塗装がされており、水も絶え間なく流れている。
立地はともかく、とても綺麗で清潔感のある立派な屋敷だ。
「けど……」
あまりにも人の気配がなさすぎる。これだけ大きな屋敷なのだ。庭に使用人や庭師がいてもおかしくない。なによりソフィーの迎えに一人くらいは顔を見せてくれても良いのではないだろうか。
「まさかここは……幽霊屋敷⁉︎」
昔読んだ本の中に幽霊屋敷の話があったのを思い出してソフィーは戦慄した。
本の中の幽霊屋敷はとても綺麗な外観で、そこを訪ねた旅人は嵐がおさまるまで、一日だけでいいのでここに泊めてくれないかと屋敷の主人に言ったのだ。
すると屋敷の主人は快く旅人の宿泊を許可して、美味しいご馳走まで用意してくれた。至れり尽くせりで幸福感に満ちながら旅人がベッドに横になって、雨風でガタガタと揺れる窓の音を聞きながら眠りにつくと、どこからか悲鳴のような声が聞こえてくる。それは徐々に旅人の泊まる部屋に接近してきて、旅人は扉の向こうに人の気配を感じて飛び起きた。
そぉっと扉を開ける旅人。すると扉の向こうには体を半透明にした屋敷の主人がいて旅人に襲いかかってくる。
一目散に逃げ出して、旅人は雨と強い風の中麓の集落へ転がるように逃げ込んだ。
そして泥まみれになった旅人に言ったのだ。あそこの屋敷は一家心中が起きて以降誰も住んでいない、と。
嵐のおさまった翌日、旅人が集落の人間と共に屋敷に向かうとそこには絢爛豪華な屋敷――ではなく植物が多い茂り、一部の塗装が剥がれたボロボロの屋敷があったという、そんな怖い話だ。
あの屋敷にいた主人は誰だったのか、なぜ年季の入った屋敷が旅人には綺麗に見えたのかそのすべては謎であり、その本を読んだ当時十歳のソフィーは母親の膝の上でガタガタ震えていたのを覚えている。
「いっ、いや! あれは物語、ただの作り話だわ。たしかに外見に比べて人の気配はまったくと言っていいほどしなくて不気味に感じはするけど、たまたまよね!」
半ば言い聞かせるようにしてソフィーは深呼吸すると屋敷の扉を叩いた。
「こんにちは、ソフィーと申します。本日よりこの屋敷で働かせていただくことになりました。どうかよろしくお願いします!」
返事は、ない。
「あのぉ……」
もう一度、ノック。しかし反応はない。
「だ、誰かいませんか?」
ソフィーがそう言ってドアノブに手をかける。すると簡単に扉が開いた。
「え」
屋敷がソフィーを中へと招き入れようとしている。そう感じてソフィーは思わず後ずさった。
「あれ、きみは……」
「はい⁉︎」
後ずさった直後、背後から声が聞こえてソフィーは声を裏返しながら慌てて振り返った。
そこには紙袋を抱えた一人の男性が立っていた。
色素の薄い青色の髪。きらきらと輝く
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