見えない

 後ろの正面には、立て付けの窓がある。

 昼間だというのに、型ガラス越しの陽射しは仄白く。床のタイルをぬらぬらと照らしていた。

 再び、鏡と向き合うと。左奥から、ひっそりとした気配を感じる。

(何だ?)

 振り返ると、そちらにふらっと身体が傾いた。

 右側に鎮座する、縦長の陶器を横切り。室内に、靴を擦る音を響かせる。

 いつからから、小さな耳鳴りが訴えかけていた。


『キタ・・・』


 個室の前に立つと。徐ろにギィっと扉を引き開けた!

 暗がりの中には、特に変わったものはない。


『イイコ・・・』


 誰かに操られるように、次は隣の扉へと足が運ばれる。

(どうなってんだ)

 されるがままに繰り返され─案の定。

 残すは、一番奥の個室のみとなった。


『オ・・・イ』


 スッと円筒のノブが握られる。咄嗟に、手首が捻られる、と力を緩めた瞬間。

 くるっと右に回った手が、ぴたりと止んだ。

 これ以上、押し返すことのできない。鈍い反動が伝わり。

(鍵が掛かってたのか・・・!)

 ふーっと息を吐き、手を退ける。

 あるのは、青色の表示で─空室だ、と知らせていた。


(故障か?)

 思い違いかとガチャガチャ試みるも、結果は同じである。

(・・・あれ、なんで開けようとしてんだ?)

 もし利用している人がいたら。個室の中からは当然、外側の表示は、赤色だと疑わないだろう。

 それに、俺はノックをするタイミングを逃している。

「すみません!確認しただけです」

 さっとその場を離れようと背を向けると。


『誰?』


 か細い声に、すんっと鼻をすする音。

 扉越しに。中にいるのは子どもだ、と直感する。

「杉本 直雅です。中学生です」

『・・・ぼくに、何の用事ですか?』

「えっ、と。泣いてるのかと思って。声を掛けました」

『・・・ねぇ、はちみつじまんって知ってる?』

 どこかで、聞いたことがある。

『怪しい人に。付いて行っては、いけないんだよ』

 そうだ。不審な人物を見分けるための、頭文字のことだ。

 確かに、扉の前で待ち伏せている状況にも思える。俺は、改めて自分の姿を見下ろした。

「怪しいかもしれない」

『ほら!警察呼ぶよ』

「すみません・・・」

 紛らわしい制服を着ていることは事実である。憧れの職業に対する信頼性を、損ねてはならないが。

「知らない人に・・・どうして、話しかけてくれたの?」

 しんっと個室が静まり返る。

「もしかして、俺に気付いてほしいこと。ある?」

 返答がなければ、そのまま立ち去るつもりでいた。

『鍵、掛けてない』

「え?」

 それきり。続く言葉は、なかった。

(まさか、閉じ込められてる?)

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