傾向と対策

 気付くと、土に手を付く感触がした。どれくらい、そうしていたのだろうか。

 徐々に目眩が引け、置かれている状況に焦点を結ぶ。

 側で、一稀が俯き加減に座り込んでいた。木漏れ日の中にいるとはいえ、直前まで休息を取っていたのだ。

 熱中症、という言葉が脳裏を過る。

「おい、一稀。大丈夫か」

「ん・・・」

 声を掛けると、瞼を擦りながら。朧気な瞳を向けた。

「あれ、オレ・・・」

 反応があり、一先ずホッとする。

「横になるぞ」

 一稀の肩に腕を回し、もう片方の手で後頭部を包むと。そのまま、背中を倒していく。

 実香が、赤ん坊の頃。首が座るまでにお世話をした経験が活きたのである。

(服は、緩めるとこないな。冷やすのは、首と腋の下と太腿のつけ根)

「え、誰・・・チカ?」

「まずいな。病院、の前に。水分補給もして」

「待っ、胸・・・当たってる」

 一稀の顔が、ぶわっと真っ赤になった。

「は?熱で浮かされてんのか。って暴れるな」

「ちょ、平気だからっ」

 一稀がペチッと、俺の頬を軽く叩き。

 肩を押し退けると、距離を置いた。

「大丈夫か」

「お前がな!どうしたんだよその格好!」

 珍しく声を荒げる。

(何って・・・)

 膝立ちをしている自分を見下ろすと。


 襟が付いた黄色のカラーシャツに。

 ブルーグレーのベストスーツ。


 全く身に覚えのない格好をしていた。

 それもそのはず。学校の制服以外に、正装を持ち合わせてないし。普段着も、オセロの如く白か黒の一択なのだから。


 そして。肩には、王族のようなモール紐が垂れ下がり。

 胸元には、盾の形に縫い付けられたエンブレムがある。

(これって、まさか!)

 咄嗟に上着を掴むと。同時に柔らかな弾力を覚えた。

 ある予感に振り返ると。タイトスカートが目に映る。

「ないものがある」

 くわっと真髄に迫ると。

「バカァ!こっちだって幻覚かと。焦ったんだわ!」

 当惑を帯びた一稀の声が、なぜか心に刺さった。

「チカ・・・。どこかで落ち着いてこよっか。これからどうするかは、後で話そ」

「顔、洗ってくる」

 あるかも分からない、水飲み場へ向かおうとして。

 積み上げていたダンボールを巻き込んで転んだ。

 散らかったものに手を伸ばす。

「いいよ、ヒマレがやるから。そうだ」

 ベンチに駆け。俺の鞄から、飲みかけのペットボトルと。タオルを放って寄越す。

「鏡。見てきたら」

「ト・・・お手洗いか」

「そ。あと、介抱してくれてありがとう」

 一稀に何かしたっけ、と記憶を辿る。

「あぁ。お前も安静にしてろな」


 ただ、近くにある。四角い古びた建物を目指す。

 薄暗い入り口を潜り、ピクトグラムを見比べ。

 右手にある扉に手を当て、踏み止まった。

(ん・・・?こっちで抵抗はないが。もし人がいたら、反対側を使えってなるよな。でもそれは無理だし)

(あぁもう一稀なら、手鏡とか持ってないかな。あ、携帯のカメラ)

 以前、買い物などで。自分の髪型を直している仕草を思い出す。どちらにせよ、戻って確認しよう。

 そう踵を返したとき。

 後ろから、レールが擦れる音がした。

 バリアフリートイレのドアが、作動したのである。

 個室に利用者はいないが─。

 俺はそのまま。扉を押し開けた。


 ◆◆◆


 ふらふらと、公衆トイレへ消えたチカを見届けると。


 原っぱに雪崩れた、ニカちゃんコレクションを前にする。土埃が付いてないかと指で払いながら、箱に移し返す。

 こうして作業をしていると、冷静さを取り戻してきた。

(あんなにチカが慌てるなんて、珍しいよな)

 派手に躓いていた光景が、じわじわとこみ上げてくる。


 目が覚めたら、綺麗な女子に抱えられていて─。

 その真剣な眼差しから、チカだと気付いたのだが。

(そりゃ、オレだって年頃の男子だしさ〜不覚だった)

 そういう反応に傷付いたような。チカの表情が蘇る。


 今日は、久しぶりに杉本家族に会えるとあって、浮かれていた。そんな乙女心は、すっかりOFFになっている。

(もう、大丈夫。チカは、チカのままだ)

 両手でパシっと頬を叩く。

 彼が戻って来るまでに、対策を考えとかないと。

(病院・・・でも熱の症状はないし。それに、オレは兎も角、チカにもそう見えてんだよな?)

 分からないことが湧き上がる度に、情報を弾いていく。

(一先ず、落ち着ける場所に行こう。真っ直ぐニカちゃん家に行くのが良いと思う。家族の中でも、お姉さんには相談しやすいと思うし)

(でも、知り合いには見られたくないだろうな。ママさんに連絡して、迎えを頼むか。そうなると引き返すことに・・・)

 選択肢は多い方がいい。できることを探すうちに、チカの身を案じた。

(変なこと。考えてなきゃいいけど・・・)


 ◆◆◆


「誰かいますか?」

 照明の落とされた空間に反響し、消えていく。そこで、自分の声が変わっていることに気付いた。

 人がいる気配はなかった。が、早く用を済ませて立ち去りたい。

 付近にある、手洗い器の前に立った。


(帽子を被ってたのか)

 ツバの後ろが反り返った、小山のようなフォルムに。

 楕円に覆われた、金色の徽章。それらが示す、職能は。

(やっぱり警察官、だよな)

 本来とは配色が違うが。思い描いていた輪郭と重なることから、確信を得た。しかし、よく模様を見ると。

 中心にある、朝日の象徴が→満月に。

 それを左右に囲む、桜の葉が→天使の羽に。

 根本には、Y字が特徴的な、顔のマークまである。

(ウサギ、なのか?何これ、試されてる?)

 間違い探しをしているような気分になる。


 官帽を脱ぐと。後ろの髪が伸びてたり─しなかった。

 短めの前髪をかきあげ、逆立った毛先を寝かせる。

 鏡に近付くと。切れ長の瞳に、薄めの唇。

 自分では、ちょっと疲れた顔をしているのがわかるが。そこにあるのは、いたって無表情な、俺である。


 それなりに動揺はしていると思う。こうして目に映る現実を、ただ受け止めることしか考えられない。こんな状況になった、手掛かりを探しているともいえるが・・・。


 思い出したように、蛇口を捻り。じめっとした感触に手を包む。

 そして、縁に置いたペットボトルの存在に気付いた。

 ここに飲み水はないから、と渡してくれたのだろう。

 その心遣いに、なぜか躊躇ってしまった。


 昔から、性別に囚われない友人がいたからだろうか。

 こうして女に成っているが。容姿に対する固執はないかもしれない。

 13年間。自身を築いてきた。

 人は、成長によって見た目や心が変わる。それが、自然なことである。

 いまは体調に違和感はないが。これから、身体に慣れたらいいと。そうしたら、これまで通りの生活を送れると思っていた。だから─。

 周りとの関わりが、変わることの方が、怖い。


 一稀には、女のときと男のときのモードがある。

 どちらであっても、俺は一稀として接している。

 それは、人の内面を中心に捉える、価値観であるからだ。

 しかし、普通はそうじゃない。枠組みによって態度を変えることが、許されているのである。

 俺に対しては、素のままでいてくれる一稀だからこそ。

 普段、人によって性別を演じ分けている一面を向けられたことに、落ち込んだのだ。

(・・・シャッキリしろ)

 例え、男友達から女友達になったとしても。また、あいつと仲良くなれば良い。

 そう信じてペットボトルを掴むと。寂しさを流すように、頭から浴びる。滴る水が、排水口に溶けていく。

 タオルに顔を埋めると、自分に戻るような気がした。

 すんっと微かに、鼻をすする音が聞こえる。

 俺は息を吸い込むと、家族の匂いに和らいだ。

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