第146話 鉱椒の交渉

 香辛料組合の建物は、吹き抜けの広々とした室内に、仕切りを設けていくつも受付があり、その後ろには香辛料の類が入った袋が積まれている。


 どうやら、業者相手の取引も行われているのか、受付で商人と売買が行われている様子も見受けられた。


 そして、当然ながら室内は、独特の匂いに包まれている。


 コウからするとその匂いは前世で嗅いだことがあるものも多く感じたが、いろんな匂いが混ざっているので、『独特』という表現が一番良いのかもしれない。


 ダークエルフのララノアと街長の娘カイナはコウよりもこの匂いが苦手と感じたのか鼻を抑える素振りを見せた。


 大鼠族のヨースは、あらかじめ布で鼻を覆っていたので、まだ、大丈夫そうである。


 ヨースは受付の一角を指差した。


 その先にコウ達が視線を向けると、そこには、『買い取り窓口』と書いてある。


「あそこの窓口では少量の買い取りをするんだが、今回俺達は量が多いからな。奥で交渉することになると思う」


 ヨースはそう告げると、買い取り窓口の列に並ぶ。


 コウ達もヨースの後ろに付いて行くと周囲を見渡す。


 周囲は、商人らしからぬ恰好のコウ達を怪しそうに見る者もいたが、香辛料を扱う者の中には、長旅から帰ってきた冒険者と変わらない姿のまま、この建物に顔を出している者もいたから、そういう意味では、コウ達の見かけはその部類に入るところではある。


 丁度、前に列に並んでいた長旅からの帰りという感じの商人が、まず、組合員である証明書を提出すると、背負っていた荷物から両手に納まるくらいの革袋を取り出して受付の女性に渡す。


「これは胡椒ですね! 遠路はるばる東の長旅から貴重な胡椒の買い付けご苦労様でした。──確認させてもらいますね」


 受付の女性は、中身を確認してそう応じると、奥の職員にそれを渡す。


 奥の職員は、大きなお皿に袋の中身を出すと、匂いの確認から、粒の大きさ、そして、重さを量るなど作業を始めた。


「次の方、どうぞ」


 受付嬢が、ヨース達に視線を向けて、そう告げた。


 ヨースが組合員の証明書を提出すると、


「あ、『マウス総合商会』のヨース様ですね? ということは──」


 受付嬢はそれを見て、人では見分けがつかない大鼠族のヨース会長だと理解した。


 そして、何か察したのか探るようにヨースに聞く。


「ああ。例の物が大量入荷出来たから、取引に来た」


 ヨースがそう告げると、受付嬢は振り返り、直属の上司を呼ぶ。


 その声に、仕事が忙しかったのか上司が不機嫌そうに奥から出てくるのであったが、ヨースの姿を見て何かを察したのか笑顔になった。


「これは、これは……、『マウス総合商会』様ですね? 奥へどうぞ!」


 すでに何度か取引があるからか、上司の男も察し良く異種族であるヨース相手に作り笑顔で対応する。


 コウ達はヨースを先頭に奥へと通されるのであったが、それを見て建物内の商人達は異種族が特別扱いされる姿に、すぐに大口の取引相手なのだろうと察してざわつくのであった。



 奥に通されたコウ達一行はヨースとコウが前の席に着き、ララノアとカイナがその後ろの席に着く。


「ヨース様、今回も例の『鉱椒こうしょう』でよろしいでしょうか?」


 上司の男は、席に着くと、早速、確認に移る。


「ああ。今回はいつもより量が多くてな」


 ヨースはそう言うと、コウに耳打ちする。


(今回売る予定の五分の一だけ出してくれ)


「?」


 コウは魔法収納鞄に入れてある『鉱椒』の袋は沢山あるのだが、一度に売るつもりはなく、今回はそのうちのごく一部の予定である。


 それをさらに五分の一だけ、というのがコウにはよくわからなかったが、言われた通り、大きめの革袋の一つだけを魔法収納鞄から取り出して机に置いた。


「確かにいつもより、多いですね」


 上司の男は少し驚く様子を見せると、大きめの袋を受け取り中身を確認する。


 そして、その袋から漂う『鉱椒』の香りに「お?」という表情を一瞬した。


「いつも持ち込む物より香りがいいだろう?」


 ヨースはすぐに相手の反応を見逃さず、指摘する。


「ええ。今回の物は胡椒にも負けない香りですね……。これまでヨース様が持ち込む『鉱椒』は、香りの面だけ、胡椒に負けていましたから」


 上司の男はヨースが油断できない取引相手とわかっていたが、余計な駆け引きをせず、素直に認めた。


 そして、部下にその大きめな革袋を渡すと、品質の確認をヨース達の目の前で始める。


 しばらく部下と『鉱椒』の価格についてこそこそと話していると、それも終わり決定したのか、上司の男が紙に買取価格を書いてヨースの前に提出した。


「この価格でどうでしょうか?」


「……おいおい。胡椒より、三割くらい安いじゃないか」


 相場価格が頭に入っているヨースがすぐに指摘する。


「現在は、あくまでも胡椒の代用品というのが『鉱椒』の扱いとなりますのでこの価格が妥当かと」


「前回までのは香りが劣るから、胡椒より安くても納得できたが、これは足元を見すぎだろ。今回のは胡椒にも劣らない品質だぞ?」


 ヨースは言葉の割には冷静な音域で文句をつける。


「確かに今回の物は、香りも良く、粒も大きく揃っており、胡椒に劣らない品質とは思います。ですが、『鉱椒』自体が有名ではないので、もう少しまとまった量があれば、買取価格を上げても良かったのですけどね……」


 上司の男は一見まともな言い分と思わせつつ、買い叩くつもりとしか思えないような理由を告げた。


 ヨースは以前からエルダーロックの近くの森で収穫できる『鉱椒』を少量ずつ売り捌いていたのだが、森で採取できるものは香りが胡椒に比べたら劣っていた。


 これは、育成環境にもよるだろうから、それは仕方ないと胡椒に比べたら安い価格でも納得して売買していたのだが、今回は農業ドワーフのヨサク達が丹精込めて育て収穫した品質に優れた『鉱椒』であったから、ヨースも妥協する気はない。


 だから、今回も買い叩かれる可能性を想定して量をわざと控えめに、純粋な価格の取引交渉に挑んでいたのだ。


「じゃあ、どのくらい用意したら、胡椒と変わらない価格で買ってくれるんだ? 品質は申し分ないのだろう?」


 ヨースは商売相手の言質を取るべく、探りを入れる。


「……そうですね。この革袋の二倍は欲しいでしょうか? さらに三倍、四倍と用意できるなら、このくらいは支払う用意はあったのですけどね?」


 上司の男は、紙に走り書きで、胡椒と変わらない価格どころか少し高めに設定して記入した。


 もちろん、一度にそんな量は、胡椒専門の商人でも用意できるものではないから、無理を承知で言っているのは明らかである。


「言質は取ったぞ?」


 ヨースが、ニヤリと笑みを浮かべた。


 上司の男はヨースの不敵な笑みを見ても、動揺しない。


 用意できる量だとは思っていないからだ。


「コウ」


 ヨースは上司の男を見たまま、名前を呼ぶ。


 コウは無言で、残りの四袋のうち三袋を出した。


「「え!?」」


 上司の男と部下は思わず、声を出す。


 当然だろう、まさか即座にそんな量が出てくるとは思っていなかったからだ。


「言質は取ったし、紙に一筆も貰っているから、組合の人間として約束は守ってくれるよな?」


 ヨースは勝ち誇った様子で、確認する。


 上司の男は言葉に詰まると、どう切り返そうかと頭を巡らすが、室内には部下やコウ達、そして、他の職員達もいたので言い逃れができないとわかるとため息を吐く。


 そして、


「──わかりました。これからはこの品質と量ならこの価格で取引させてもらいましょう。当方としては市場に一定量を安定供給できることはかなりの強みになりますから……」


 負けを認め、取引成立を認めるのであった。


「コウ、もう一袋も出してくれ。──今回は交渉成立ということで、もう一袋は特別価格で付けよう」


 ヨースがそう言うと、コウは残していた袋をさらに魔法収納から取り出した。


「まだ、あったのですか……!?」


 上司の男は驚いて目を見開く。


「これは交渉成立のお礼だ。次からは、それに見合った金額を貰うがな」


 ヨースがそう告げると、上司の男は満面の笑顔でお礼を告げると、部下にお金の入った革袋をすぐ大量に用意させるのであった。

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