二九.告白とお見舞い
パーティに参加している従者に見られながら、僕と彩美は、大広間横のベランダへ向かった。秋の、少し冷たい夜風が、二人の距離を近くする。
「き、急にどうしたの?」
彩美が、真っ暗な
「せっかく夜空が綺麗なんだから、上を見ればいいのに」
空には、雲一つない星空が広がっている。
「あれが秋の大四辺形かな」
僕がペガスス座を指さす。
「どれ?」
彩美は僕の腕に近付き、指の先に焦点を合わせる。
「ペガスス座の三つの星と、アンドロメダ座の一つの星を結んだ四角形。分かりそう?」
「ああ、うん。綺麗だね」
彩美と僕は顔を見合わせる。その瞬間に、将軍と老中の距離感ではないことに気付き、さっとお互いに離れる。
「私たち、絶対見られてるよ」
「そりゃそうだろうね」
僕も彩美も、そう言いながらも、後ろを振り返り、大広間を確認しようとはしない。
「彩美、今この瞬間は、老中ではなくて、一人の男になっていいかな?」
僕は、意を決して伝えはじめる。
「何よ急に。い、いいけど……」
彩美は、ワンピースの腰あたりをギュッと握っている。
「四国へ遠征に行って、彩美としばらくの間離れてたじゃん?」
「うん」
「それで、離れてるからこそ分かるっていうか、その、そういうのって、あるじゃんか?」
「うん?」
彩美は首を傾げた。
ああ、今日絶対に告白しようと思ってたのに、全然上手いこといかない! ぐだぐだすぎる! バシッと男らしく決めなければ!!
「えっと! 今言いたかったのは、離れていても、彩美の事ばかり考えてたってこと」
彩美の顔が、カアッと赤くなっていく。
「そんな大きな声で言わないでよ」
僕は気にせず続ける。
「彩美と話したり、仕事を共にしていく中で、彩美を守りたいという気持ちが日に日に強くなっていった。でも、それは僕が老中で、彩美は将軍という立場から来る、当たり前の感情として落とし込んでいた」
彩美は、ひまわりの髪飾りを隠すように、髪に手を当て、顔を覆っている。
「もう役職の上に乗せた感情で処理するのは難しくなってきたんだ。この気持ちは、明らかにそれ以上のものなんだ」
僕は片膝を立て、彩美を下から覗き込む。
「ずっと彩美を守っていきたい。老中として以上に、一人の男として、豊臣彩美という女性を守っていきたい」
ポケットから、ひまわりのブローチを取り出す。
「彩美、僕は彩美のことが好きだ。付き合ってください」
彩美の前に差し出したブローチは、しばらくの間そのままだった。僕は下を向き、受け取ってくれるのをただ待っている。
「……はい」
彩美は小さく返事をして、ブローチを受け取った。
「いいの?」
僕は顔を上げ、彩美を見る。確認を取ってしまうところが、すこぶるにダサい。
「うん。私も、瑞樹のことが好き」
彩美はブローチをワンピースにつけて、ふふっと笑った。
「瑞樹は本当にひまわりが好きなんだね」
「え?」
僕は、緊張からの緩和で、話が耳に入ってこない。
「え? って。この髪飾りをくれたのも、瑞樹じゃん」
……そうだっけ。
「もしかして、忘れてる?」
彩美の顔が急激に不機嫌になっていくのが分かる。まずい。せっかく告白が成功したのに!
「いや、覚えてるよ。あの時だよね。最後の」
「そうそう! よかった。覚えててくれたんだね」
あっぶな! 耐えた! ぼんやりとした記憶から出た「最後の」という言葉に命拾いする。そして、言葉として出したことで、記憶が蘇ってくる。
当時六歳だった僕たちは、僕が孤児院を抜け出して、大阪城周りを散歩していた時に初めて出会い、そこからよく遊んでいた仲だった。
僕が齋藤家に入り、必死で勉強をして、彩美と同じ特寺に入ることが決まったある日、僕は真っ先に彩美に報告をしに行った。
「彩美、僕、特寺に入ることが決まったよ!」
彩美の顔がパァと明るくなる。
「そうなんだ! 頑張ってたもんね!」
「これでこれからも一緒に遊べるね!」
その言葉を聞いた途端、彼女の顔が曇った。
「どうしたの?」
彩美は言いづらそうに話す。
「あのね、同じ特寺なんだけど、私は
僕は唖然とした。特寺に入りたいという気持ちの半分以上は、彩美とこれからも仲良くしたいということに依っていたからだ。
「そ、そうなの?」
驚きから、聞き返すことしかできない。
「うん。だから、もう会えないと思う」
僕はグッと拳を握った。
「ちょっと待ってて!!」
急いで最寄りのスーパーに行く。彩美が喜びそうなもの。彩美が喜びそうなもの。
「これだ!」
その時、僕が手に取ったのが、三〇〇円で買った、ひまわりの髪飾りだった。
僕は、彩美に何かを贈ることで、二人の関係を保とうとしていたんだ。そしてそれを、彩美は今でも、大切に身に着けてくれている。
僕は鮮明に想い出し、彩美をギュッと抱きしめる。
「ちょっとっ!」
「ありがとう。僕との想い出を忘れずにいてくれて。ごめん。彩美との想い出を、一時的にでも忘れてしまっていて」
僕は、彩美と再会できて本当に良かったと、強く強く思っている。
「いいよ。仕方がない。本当の両親を亡くした時期と重なっているんだもん。それより、今この日に、瑞樹が私に告白してくれたことが、すこぶるに嬉しい。人生で一番幸せな日になりそう」
彩美も、僕をギュッと抱きしめる。窓越しに、パシャパシャと写真を撮る音が聞こえる。どうぞ撮ってくれ。僕は彩美と、今この瞬間から付き合っている。老中という立場と、彩美の彼氏という立場、混同しているんじゃないかと、批判はされるだろう。でも、乗り越えてみせる。そう強く思えるほど、僕は彩美が好きなんだ。
次の日、僕は大阪城内医務室へ向かった。初鹿野と久世さんのお見舞いだ。
「齋藤、来てくれたのか」
久世さんが、ベッドに横たわりながら、目線で出迎えてくれた。体中に点滴を刺している。
「すみません。なかなか来れなくて。体調は大丈夫、そうじゃないですね」
僕は横の椅子に腰掛ける。
「そうでもないぞ。点滴って、気持ち良いんだな。体に栄養が直で入ってくる感じが、たまらない」
そんな
病室の窓辺には、うさぎのぬいぐるみが一〇体並んでいる。
「かわいいですね」
「そうだろう? 毎日癒されている」
あれ? もう可愛いもの好きを隠す気はなくなったのか。
「一つは私が元々持っているものなんだがな。従者が見舞いに来るたびに新しく持ってきてくれるんだ。『久世さんも、ぬいぐるみも、寂しいでしょ』って」
久世さん、従者に慕われてるんだな。
「久世さん、寺社奉行、辞められるんですよね?」
僕は、流れてきた情報の確認を取る。
「ああ。辞める。後任は諏訪だ」
「そうですか」
もう止めたりはしない。久世さんは、ボロボロの体でも、肩の荷が下りたような、晴れやかな表情をしている。
「今後はどうなされるんですか?」
「そうだな」
久世さんは、可動範囲のギリギリで、人差し指で顔を掻いた。
「もう怨霊はこりごりだ。家でケーキでも食べながら優雅に暮らしていくよ」
「はは。それがいいですね」
僕は、鞄から袋を取り出す。
「お見舞いです」
「なんだ?」
袋から、大きな大きなうさぎのぬいぐるみを取り出す。
「みんな、考えていることは同じみたいですね」
僕は、窓辺にぬいぐるみを並べる。
「これで一一体目。一際大きいので、このうさぎがお父さんですかね」
「ふっ。そうだな。齋藤」
久世さんの声のトーンが、さらに穏やかになる。
「齋藤がいてくれてよかった。お前がいれば、大阪幕府は安泰だろう。こころおきなく幕府を去れる」
ストレートな誉め言葉に、僕は少し照れる。
「いえいえ、僕だけじゃ何も。三奉行と力を合わせて、日本をより良くしていきます」
「諏訪は、頭のきれる奴だが、ここぞという時の決断力が少し足りない。齋藤がフォローしてあげてくれ」
「任せてください」
考えてみれば、久世さんは僕の命の恩人だ。一度死んだ身を、お札を貼ることで蘇生させてくれた。これからも、定期的に伺いに行こう。お土産と感謝を持って。
「あ、あと一つ、お見舞いの品があるんでした」
「何だ?」
僕は木箱を久世さんのベッドに置く。
「準備は良いですか?」
「……匂いで分かるぞ。まさか」
「じゃーん!」
木箱の中には、高級いちごがたんまりと入っている。
「齋藤、分かる奴だ」
「どうも」
久世さんは、満面の笑みでいちごを眺めている。
久世さんと打って変わって、初鹿野の態度は、とても冷たかった。
「初鹿野、お見舞いに来たんだけど……」
初鹿野は、頭まで布団を被り、出てこない。
「おーい」
「……」
僕はお見舞いの品をベッドの上でふりふりと振る。
「初鹿野の好きなゲームだぞ。ほら、パワプロの新作が出たんだ」
「……」
どうしたものか。僕が何かしただろうか。
「従者から聞きました」
布団の中から、籠った声が聞こえてくる。
「昨日、彩美公に告白したんですってね」
ああ、もう広まってるのか。そりゃそうか。
「うん」
「好きなんですか?」
「そうだよ」
「彩美公も瑞樹さんのことが好きなんですか?」
「そう言ってくれたよ」
初鹿野は、ガバッと布団を放り投げる。
「私も、私も瑞樹さんの事が好きですっ!!」
他の病室にも響くような大きな声で、初鹿野は僕に言った。
「悔しい! 苦しい! 好きな人が他の人と付き合うことが、こんなに辛いなんてっ!!」
僕は初鹿野の肩をそっと支えた。
「ごめん」
初鹿野はポロポロと涙を流している。ここで優しい言葉をかけるのは、違う気がする。僕は初鹿野に、恋愛という側面からは、何もできない。変に気を持たせることはしたくない。
「初鹿野、好きって言ってくれて、ありがとう。これからも僕は、老中として、今まで通り初鹿野に接していくと思う。それが嫌だったり、辛かったりしたら、すぐに言ってくれ。間に伝達役を挟むなりして、対応するから」
初鹿野は、僕をグッと引き寄せた。体と体が密着する。
「ちょっと!」
「これで最後です」
初鹿野は、耳元で小声で話す。
「最後に瑞樹さんを感じさせてください。もうベタベタしないので。老中と町奉行としてのお付き合いはしますけど、私情は持ち込みません。幸せになってくださいね」
そう言って、初鹿野は、僕の頬にキスをした。僕はポカンと思考が止まる。
「ふふ。浮気ですね」
初鹿野は、目を細めてクシャッと笑った。
「瑞樹、遅いよ」
病室の扉を開けて、彩美が入ってくる。
「……何? 空気が重い気がする」
「いやいや! 何を仰る!」
僕はあわあわと右往左往する。右頬は見せない方がいいか!? 口紅とか付いてない!?
「なんなのもう。まお、早く元気になってね。町奉行所は火の車だよ」
「はい! 今週には戻れます! もうピンピンですっ!」
初鹿野は、ない力こぶしを作って、元気さをアピールしている。
「行こ。瑞樹。会議の時間だよ」
「わ、分かった」
退出際、初鹿野と目が合うと、彼女はパチリとウインクをした。大丈夫だろうか。僕の真面目さは、果たして貫くことができるのだろうか。いや、貫かなければ!
病室から出ると同時に、彩美は僕の手を握ってきた。
「会議室に着くまで、ね?」
この廊下は恋人。会議室に入ったら将軍と老中。忘れるな。住みわけはできる。できるぞ。僕は頭を掻き、彩美の手を握り返した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます