二六.満身創痍

 僕は、漠然とした不安を胸に、隠れて久世さんを見守りに行った。久世さんと平泡盛は、こん棒と刀を突き合わせ、交戦している。


 カキンッ。カンッ。バキンッ。


「お前、清盛だろう」


 久世さんは、最初の衝突の痛みを顔に出しながら、尋ねる。


「よく分かったな」

「臭いが強すぎる」


 平清盛たいらのきよもり。言わずと知れた、平家の棟梁とうりょうで、日本初の武家政権を立ち上げた武将だ。だが、その栄華は長くなく、平家の独裁に反発した朝廷、そして武家の源氏によって、滅ぼされる直前に病死した。その平清盛が、泡盛に憑依しているのか。


「あのまま終わるわけにはいかんのだ!」


 ガキンッ!


「くっ」


 こん棒で防ぐ久世さんの腕がプルプルと震える。押し込まれている。


「老害は、出しゃばるな!」


 ガンッ!


 ヒットアンドアウェイで、再び距離を空ける。


「いつまでも防戦一方じゃ、あんたが倒れるのは時間の問題だぞ」


 泡盛は、刀のむねをベロリと舐めた。


「時間を稼げるのなら、十分だ」


 久世さんは黒髪を一つに括る。


「どういうことだ」

「私は、この手負いの状態でお前に勝てるとは思っていない」


 僕は、久世さんの姿を目に焼き付けている。そうしなければならないと、心が言っている。


「仲間が逃げられれば、それでいい。はなから私は、四国戦争も、それに対する幕府の平定施策も、どうだっていい」


 泡盛は、声を出して笑った。


「何言ってるんだ!? 仲間を逃がす!? 陰陽師としてのあんたの役目は、怨霊を退治することだろう。その責務を一番に考えるべきだ。だとすれば、他の寺社奉行所の連中をこの場から逃がしたあんたの考えは愚の骨頂! 久世音羽、名前が轟いていたから用心はしていたが、とんだふぬけ人間のようだ」

「私は、最近の各地での怨霊退治の中で、自分の力の劣化を肌で感じている」


 久世さんは、声の大きさを一段階上げた。まるで、泡盛以外の誰かに届けるように。


「陰陽師は、自分の生命力を呪力に変えて、怨霊を退治する。つまり、ピークは陰陽師になった時で、そこからは、力は減退する一方だ。肉体的な強化はできても、陰陽道そのものの力は、キープはできても上がることはない」

「最後に好きなだけ話せ。待ってやる」


 泡盛は、地面に腰を据えた。


「私は飛ばし過ぎた。寺社奉行になってからというもの、怨霊の頂点、三大怨霊を退治すれば怨霊被害はなくなるだろうと、彼らばかりを追っていた。そして、戦闘になれば私の全てをぶつけ、それでも負けて、逃げられてを繰り返していた」

「菅原道真に、我らの遠縁・平将門。そして崇徳院ともなれば、それは簡単には成仏しないだろうな」


 久世さんは、菅原道真の退治には成功している。平将門は、濱島鬼兵衛との一戦で、僕に憑依した状態でこめかみを撃たれ、致命傷を負ってからの所在は不明だ。


「三大怨霊を退治するという責務は、後任に任せるとする」


 久世さんは、赤色の水が入った水筒を取り出し、ぐびぐびと飲んだ。


「お前に勝つことはできなくても、相打ちくらいならいけるだろう」

「舐められたものだ」


 やはりだ。久世さんは、この戦いで寺社奉行を辞するつもりだ。今日久世さんと会ってからの表情は、何か吹っ切れたようなものを感じていた。


「齋藤、手出しは無用だ。この勝負、私一人でやらしてくれ」


 後ろで見ていた僕に、久世さんは唐突に話しかける。思わず体がビクっとなる。そりゃバレてるか。


「幕府は惜しい人材を失うな。ま、平家にとっては好都合だ」


 泡盛は、刀を構えて、久世さんに突っ込んでいく。久世さんはこん棒をグルンと一回転させる。


 ガキンッ!!

 グワワアアァァン!


 武器と武器がぶつかった衝撃波で、久世さんの後ろにそびえたつ松山城が揺れる。


「おらああぁ!」

「はあぁぁあ!」


 カキンッ!

 ボゴォンッ!

 ブルンッッ!


 赤い水を飲んだ久世さんは明らかに動きが良くなっており、両者の力が拮抗している。しかし、久世さんの一手で戦況が変わる。


 ドンッ!


「おいおい、その棒を置いちゃあ、まともに戦えないだろう」

「試してみるか?」

「ふっ。真っ二つにしてやるよ」


 迫ってきた泡盛の刀を、久世さんは右手で受け止める。手のひらからは、血がたらたらと垂れはじめる。


「このままじゃ、神経ごとぶった斬れるぞ?」


 刀は、ぐんぐんと久世さんの手にめり込んでいく。


「もうだめだ! 久世さん!」


 僕は久世さんのもとへ駆け寄る。


「近付くなと言っただろう。齋藤」


 久世さんは、グローブをはめた左手で、僕を突いた。その瞬間、五メートル程飛ばされ、倒れた後、体が動かなくなる。


「久世さん……本当に自分を犠牲にするつもりですか……」


 僕の声は届かない。


 メリメリメリ。


「あああっ!」


 久世さんが顔をしかめる。


「ほれほれ。右腕が無くなったら棒も振れないな」


 泡盛は、刀をグリグリとよじらせる。


「私の……私の渾身の一発を……」

「もうまともに声も出せないか」


 久世さんは、左手をぎゅっと握り、拳を作る。


「はああぁぁ!」


 グンッ!!


 久世さんの左フックは、泡盛の甲冑の間をぬい、脇腹に直撃する。


「ぐはあっ!」


 泡盛はひざから崩れ落ちる。


「まだそんな力が残っていたのか……」


 久世さんは、右手に刺さっている刀を抜き、地面に突き立てる。


「火事場の馬鹿力だ」

「苦しいっ! がはっ! くそおおおぉぉぉ!!!」


 泡盛は白目を向き、体をガクブルと震わせる。体の中で、憑依した清盛が、成仏するのを拒んでいるのだろう。


「まだだっ! まだ終われないっ!!! 平家は終わらないっっ!! うおああぁぁぁ!」


 泡盛は、ひざを突いたまま、日本刀を素早く持つ。


「危ない!!!」


 僕の声は虚空にこだまする。泡盛が振るった刀は、久世さんの心臓付近を貫いた。


「ふふ、がはは。本当に相打ちになったな。お見事だ」


 泡盛はそう言い残し、ぐったりと倒れた。

 久世さんは、体に刀が貫通したまま、それでも何も言わずに立っている。


「久世さん……久世さん」


 僕は、言うことの聞かない体をなんとか動かし、久世さんのもとへ行く。


「久世さん、何とか言ってください」


 体に触れようとしても、空を舞う。僕は今、霊体だ。


「齋藤……」


 かすれた声で、久世さんが口を開く。


「見守ってくれてありがとう。心強かったぞ」

「久世さん! 城の中へ! 何か薬があるかもしれません!!」

「無理だ。自力で動けないし、齋藤も私を動かせない。お別れだ」

「そんな!」


 久世さんは、僕の頬に左手を当てた。


「初めて会った日も、こうして見守ってくれていたな」


 僕は、自然と涙が溢れてきた。


「齋藤は、私の表も裏も知ってくれている。私がぬいぐるみといちごが大好きなことは、誰にも口外するなよ」

「もう……、みんな知っていますよ」

「はは、そうか」


 僕は、この上なく悔しい気分になった。


「なんで、なんで久世さんが……」

「私の力不足だ。これでいい。寺社奉行でない私は、生きる価値もない。全てを怨霊退治に注いできた人間が弱くなったとなれば、もう役目は終えたも同然」

「そんな……そんなことあるわけない。普通の人生を送ってくださいよ。寺社奉行なんて辞めてもいい。でも、生きることを諦めないでください」


 久世さんは、空を見上げる。


「普通の人生なんて、分からないんだ。陰陽師は」

「やり切れない……。目の前で、大切な仲間が死んでいくなんて。僕は何もできなかった」

「何もしなくていい。事故死で病死でもない。怨霊によって殺される。私の本望だ」


 僕の顔を見た久世さんは、つうと涙を流した。


「もう齋藤の顔もよく見えないな。体の痛みもなくなってきた。死が近い証拠だ。最後に」

「最後に……最後になんですか!?」


 僕は久世さんにぐっと顔を近付ける。


「……ち……べ……い」

「久世さん! 久世さん!?」


 ドドドドド。


 その時、大軍でこの場に押し寄せてくる音が聞こえた。


「音羽の治療を最優先事項に! 彼女が一番危ない!」


 大軍の先頭には、ボロボロの超薄型甲冑姿の陽菜さんがいた。

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