二五.平家討伐隊

 初鹿野は、涙ながらに小刀を持ち、僕の脇腹をグリグリとねじっている。


「ぐはぁっ!」


 僕は大量の吐血をする。


「齋藤副将!」


 一人の隊員が叫ぶと、釣られて他の隊員も雄叫びを上げ、強化兵となった第一陣へ突っ込んでいく。


「ごめんなさい。ごめんなさい」


 薄れていく意識をなんとか保って、僕は初鹿野を倒し、覆い被さる。


「大丈夫だ。分かってる。初鹿野は悪くない」

「瑞樹さん……」

「初鹿野、許してくれ。必ず助けるから。彩美はきっと軽口を叩く。でも、彼女は優しいんだ。その後、飛び付いて抱き締めてくれるよ。彩美はそういう人なんだ」


 僕は拳銃を取り出し、初鹿野の太ももを撃つ。


 ダァン! ダァン!


「瑞樹さん、痛いです。でもそれ以上に、辛いです。腕も撃ってください。瑞樹さんを刺しているこの腕を」

「分かった」


 ダァン!


 初鹿野の体からは血がタラタラと流れている。


「私、死んじゃうんですかね?」


 初鹿野の表情は少し安らかになっている。まるで自ら死を望んでいるかのように。


「手足を撃たれたくらいじゃ死なない。出血も致死量まではいかない。初鹿野、変なことは考えるな」

「瑞樹さん」


 初鹿野は僕の背中に手を回し、自身の体に引き込んだ。


「一緒に死んでくれますか? 私、もう十分です。楽しい想い出も、苦しい思い出も、もうお腹一杯です。瑞樹さんに出会えて、一緒に仕事ができた。それだけで生きてきた甲斐がありました。一緒に死んだら、天国でも一緒にいられますよね?」


 僕は、冷静に初鹿野を諭す。


「変なことは考えるなって言ってるじゃん。生きてても一緒にいられる。初鹿野が町奉行である限り、僕は老中として、初鹿野の側にいる」


 初鹿野は、僕に抱きつきながら、ゆっくりと目を閉じる。


「ありがとうございます。大好きですよ」


 初鹿野より、危険なのは僕だな。痛みはそれほどないが、脇腹からの出血がひどい。早く止血しなければ。初鹿野の腕はロックされており、抜け出せない。彼女と抱き合ったまま、止血用の布で腹を思いきり縛る。

 出血が止まり、頭と体を休める。周りでは、騒がしいほどの銃撃戦の発砲音と、叫び声が聞こえる。ああ、この戦いのゴールは何なのだろうか。大阪幕府の従者と従者のぶつかり合い。平家はなぜここまで好戦的なのか。それが平安末期の源平合戦からの影響であるならば、痛ましいほどにこてんぱんに滅ぼした、源氏にも非があるのではないか。

 僕はそこまで飛躍した思考になっていた。これも体が動かないからだ。ボーッと思考を巡らせることしかできない。


「齋藤さん、大丈夫ですか?」


 香さんが、初鹿野が覆い被さっている僕の側に駆け寄ってきた。


「ちょっと出血がひどくて、まともな戦力になりそうにありません」

「齋藤さんの部隊、大分やられてますよ」


 至るところから聞こえてくる、断末魔の叫びで、大方の予想はついていた。


「今は、こちらが圧倒的に不利です。相手が強すぎます。物理的な肉体に憑依されては、香の掃除機も意味がありません」

「そうですか。陽菜さんたちもまだ来ないでしょう。恨むなら、源義経ですね」

「何言ってるんですか」


 香さんは怪訝な顔をした。


「ちょっと頭がボーッとしてしまって、すみません」


「齋藤さんが指揮を取らないと。現状全く統率がありません。このままだと本当に全滅してしまいますよ。香は、自分の命を懸けてまで、齋藤さんの部下をかばうつもりはありませんよ」

「それでいいです。香さんは死ぬわけにはいかない。四国の均衡が崩れてしまう。安全第一で戦ってください」


 香さんは、「フフッ」と笑った。


「四国を平定しようとしている人が、何言ってるんですか」


 え! バレてる!?


「はは、ははは」


 頭の回らない僕は、ただ笑うことしかできない。


「まあ、こんな状態なら、幕府が介入してくれた方がよっぽどマシですよ。香は別に反抗する気はありません」


 そう言って香さんは、掃除機で強化兵になった隊員をガンと殴った。


「香は後ろへ行きます。死にたくはないので。齋藤さんも来られますか?」


 差し伸べてきた手を、僕は拒否する。


「ありがとうございます。でも、みんなが頑張ってくれているのに、僕だけ戦線から逃げるようなことはしたくない。ここにいます」

「女の子と抱き合って、とても戦闘体勢とはかけ離れていますけどね」


 香さんはササッと離れていった。ぐうの音も出ない。

 目を閉じて、戦況を音で確認する。一人一人、こちら側の声が消えていく。僕に攻撃してこないのは、相手方のトップである初鹿野が密着しているからであろうか。

 こんなところを彩美に見られたら、また機嫌を悪くするんだろうな。このことは秘密にしておこう。そんなことを考えていると、相手側の隊員が、鼓膜が破れそうな程の、奇声を発しはじめた。


「うおああああぁぁぁぁがああぁぁぁ!!」

「まだ終われないんだああぁ!」

「やめてくれぇぇぇ!」


 目を開き、首を動かし周りを見る。憑依された隊員が次々と倒れていく。少し離れた所に、陣形を取り、あぐらをかいた集団が見えた。真ん中には、銀色の髪をポニーテールに束ねた女の子がいる。

 ……寺社奉行従者・諏訪すわアリサだ。


「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」


 アリサさんを筆頭に、数十人の寺社奉行所従者が合唱している。


「くそ! くそおおおぉぉ!!」


 その呪文を聞いた強化兵は、苦しそうに顔を掻き、フッと魂が抜けたように倒れる。特異体質の僕も、少し苦しくなる。


「齋藤、初鹿野を押し倒して、何をしている」


 上から聞き馴染みのある声がした。見なくても誰か分かる。僕は久々の再開に、嬉々として見上げる。


「久世さん!!!」


 久世さんは、苦虫を噛み潰したような表情をしていた。




「少し見ない間に、随分と性に正直になったものだな」


 久世さんは、右手に持つ大きなこん棒を、ドカンと床に置く。


「それで殴るのはやめてくださいよ」

「そんなことはしない」


 以前されたことがあるんですが。


「動けないんです。初鹿野は意識を失い硬直していて、僕もこの状態から脱出できるほど元気じゃない」

「そうか。ならどいていてくれ。ここからは、私たち寺社奉行所が対応する」

「久世さん」


 僕は彼女の顔をまじまじと見る。


「来てくれてありがとうございます。僕は久世さんをずっと待っていました。久々に見ると、より綺麗になっていますね」

「なっ! なんだいきなり!」


 肩下までの黒髪を揺らし、久世さんが紅潮した。よかった。何も変わっていない。


「うわぁぁぁ! こんなところで成仏してたまるかぁ!」


 視界の外から飛び出してきた強化兵が、久世さんへ刀を振りかざした。


「お前らの存在する場所は、ここじゃない」


 ドンッ!!


 久世さんは、左手にはめたグローブで、強化兵を思い切り突く。強化兵はすっと倒れた。怨霊が成仏したのであろう。


「諏訪も最近の怨霊被害の対処で、大分成長した。呪文は私より上手くなっている」


 久世さんは、離れた場所で呪文を唱えるアリサさんを見る。


「そんな引き際のベテランみたいなこと言わないでください。久世さんだってまだピチピチじゃないですか」

「そんなことはない。見てみろ。この二の腕」


 久世さんは、季節に合わない半袖から見える、白い二の腕の下をむにゅっとつねった。


「女の子らしくていいですね。肉感がありますよ」


 僕は素直な感想を伝える。


「なっ! 気持ちの悪い!」


 じゃあ「たるんでますね」とでも言えばいいのか!


「音羽さん、終わりました」


 アリサさんが、僕と久世さんのもとへ走ってきた。甲高い声で、第一陣の従者から、平家の怨霊を抜いたことを報告する。


「ご苦労だった。よくやってくれた」

「え、そこにいるのって、老中の瑞樹さんと、町奉行のまおさんですか」


 アリサさんは、とても人を見る目をしていない。


「見ないでやってくれ。お楽しみ中だ」


 変なこと言うな!


「そうでしたか。どうぞご勝手に。彩美公には言いません」


 アリサさんは、そう言って僕に背を向けた。


「いや、違うんだよ。久世さんからも誤解を解いてくれよ」


 ……。同時に二人から無視された。これでも老中なんだぞ。

 その時、微かに風の流れが変わったのを感じた。


「!! 危ないっ!!!」


 ドガッ!


 久世さんが、その場にいる三人をこん棒でぶっ飛ばす。


 バガガアアァァァン!!!


 何かに突進された久世さんは、松山城正門に激しく激突した。


「大丈夫ですか!?」


 アリサさんが叫ぶ。


 ボン!


 土煙から、男が投げ出された。久世さんの姿も徐々に見えてくる。


「こん棒で衝撃を防いだか。さすが経験豊富な陰陽師」


 そう言う男の髪は長く金色で、左目には蝶の眼帯をしている。平泡盛だ。


「げほっ! げほっ! ……、防いでいるように見えるか」


 久世さんはこん棒で自分の体を支え、吐血している。


「音羽さん!」

「来るな!」


 走り出したアリサさんを、久世さんは止めた。


「あいつは私がやる。諏訪は、倒れている幕府の人間をここから隔離、手当てをしてくれ」

「でも、音羽さん、そんな状態じゃ」

「大丈夫だ。私は負けない」


 久世さんはアリサさんにそう言い、その後僕を見た。僕には何も言わなかった。


「……分かりました」


 アリサさんは、僕と初鹿野を引きずりながら、その場から離れていく。ある程度距離が離れたところで、僕はアリサさんにお願いをする。


「アリサさん、僕を殴ってください。思い切り」

「は? ふざけてるんですか? へんな性癖出さないでください」

「違うんだ」


 僕は真剣な目をして伝える。


「僕は霊体化することができる。もしもの時のために、久世さんの近くにいたい」

「もしもって、それって……」


 アリサさんの歩みが止まる。


「分からないですけど、漠然と、近くにいなきゃって思うんです」


 僕は目をつむり、殴られやすい体勢を取る。


「……。私は音羽さんの言葉を、信じていますからね」

「僕だってそうです」


 ボガァッ。


 霊体となった僕は、久世さんのもとへ走った。

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