一八.嘘と交渉

 愛媛藩の本陣は、高知城から少し離れた丘の上にあった。


「何者!」


 従者が僕たちに向かって、銃を構える。平定部隊の隊員も同じように構え、張り詰めた空気になる。


「下ろしなさい」


 陽菜さんが、響く声で制止をする。


「私たちは、大阪幕府から派遣された仲裁部隊です。そちらにも情報は入っているはず」

「ここへ何しに来た!? 本陣にそう簡単に入れると思うなよ!」


 僕は、従者の銃を持つ腕が、小刻みに震えていることに気が付いた。


「陽菜さん」

「分かってる」


 陽菜さんはゆっくりと従者に近付く。


「やめろ! それ以上こちらへ来るな!」


 左手で、銃口を覆い、弱い力で下に下げる。


「あなた、戦いに慣れていないでしょう」


 従者は腰を抜かし、後ろへ後ずさりした。


「もうやめよう。こんなの。誰も得しないよ。殺さないから、好きなところへ逃げなさい」


 陽菜さんの言葉に気圧され、従者は急いで丘を下りていった。


「そりゃそうだよね。全員が戦いたいわけじゃないよね」

「そうですね。上のいがみ合いに、下は、訳も分からず従うしかない。ひどい世界だ」


 地方でこういったことが頻繁に起こるようになるのなら、彩美の理想通り、幕府が平定した方が良いのかもしれない。

 愛媛藩の本陣入り口付近に着くと、先程とは別の従者が道を塞いでくる。


「用件は何だ? 幕府の者ども」


 僕たちを前に、ものともしない。この従者は争いに積極的なようだ。


「長宗我部愛と話がしたい。私たちは、武力的な衝突は望んでいない」


 陽菜さんは、拳銃を地面に置いた。もちろん、背中に予備を隠し持っている。彼女は僕たちにも目で合図をし、武器を下げるよう命令する。


「……ここで待っていろ」


 従者は本陣の奥に引っ込んだ。


「悪い人だ」


 僕は陽菜さんに、小声で軽口を飛ばす。


「無防備はこわすぎる。それに、もし向こうが攻撃をしてきたら、私は真っ先に撃つよ。こちらの犠牲を出さないことは、守れなかったけど、最小限にすることは私の新しい使命だから」


 陽菜さんは、真っすぐ前を向いて言った。奥へ向かった従者が戻ってくる。


「入れ」


 僕と陽菜さん、蜂須賀を含めた最少人数で、愛媛藩の本陣に乗り込む。

 上座には、セミロングの赤い髪を、一つに括った長宗我部愛が、ドデンと座っていた。


「幕府の役人が何の用? あたいは暇じゃないよ」


 愛さんは貧乏ゆすりをして、僕たちに威嚇している。


「愛媛藩主・長宗我部愛、今すぐ高知藩への侵攻を止めなさい」


 陽菜さんは右手を前に出し、愛さんをビシッと指さす。


「今更何を。ここまで来て引くわけにはいかない。あたいら愛媛藩は、高知藩を吸収し、徳島藩との全面戦争に備える」

「姉妹同士で戦って、何になるというの? 今まで仲良くそれぞれの藩を統治していたじゃない。それが今になって、なぜこんなことになっているの?」


 陽菜さんは、横暴そうな愛さんの前でも、決して屈しず、立てひざをつかず立ったまま接している。僕らもそれにならって直立している。


「この前来た役人から聞いていないのか?」


 この前来た……、初鹿野のことか!?


「それって、初鹿野まおですか!?」


 僕は飛び出るように声を発する。


「名前なんか覚えてないよ。女は女だったな」

「頭に大きなリボンをつけた、茶髪の子ですか?」

「確かそうだった」


 確実に初鹿野だ。彼女は愛媛藩に滞在していたんだ。


「その人は何か言っていましたか? 愛媛藩に来た目的だとか、その後の行き先だとか」


 愛さんは背もたれから背中を離す。


「なんで言わなきゃだめなんだ? あたいにメリットがあるのか?」

「愛媛藩と徳島藩が睨み合ったときに、私たちは愛媛藩につく」


 陽菜さんがきっぱりと言い放つ。


「ただ、あくまで仲裁するための協力。戦争状態にはしない」


 愛さんは、あごを掻き、少し考える。


「バックに幕府がいるというのは、メリットだな。高知藩を取り込んだとしても、徳島藩には現状適わない」


 ポンとひざを叩く。


「いいだろう。いつなんどきでも、あたいの味方をするっていうのなら、あたいの持っている情報は渡そう」

「幕府は中立な立場。あくまで愛媛藩に甚大な被害が及ばないための協力というのを忘れないで」

「あたいらに攻撃してこないだけで十分だ。幕府の武力は侮れないからな」


 愛さんはガハハと笑った。

 陽菜さんが、四藩のうち、なぜ愛媛藩と手を組んだのかは定かではない。豊臣家の直感的な何かがあるのだろうか。


「リボンの女は、五日ほど前に大所帯を引き連れて、あたいのもとへ現れた。幕府の役人が四国戦争に介入しにきているということは知っていたから、最初は全員とっ捕まえてやろうと思っていたさ」


 愛さんは甲冑をガシャンと揺らした。


「でも、リボンの女の話を聞くと、考えが変わってきた。女はこう言ったんだ。『私たちは四国戦争を終わらせた後、四国を四人に再分配し、幕府からの最大限の支援も惜しまない』と」


 初鹿野、こういうしたたかな部分があるから侮れない。幕府からの最大限の支援というのは、つまり平定のことだ。四国藩主は、そのことに気付いているのだろうか。


「この女を上手く利用してやろうと考えたんだ。だから、あたいは、リボンの女と協定を結び、愛媛藩への害を与えないこと、他藩の情報を一番に愛媛藩に共有することを約束させた」


 ちらっと蜂須賀を見ると、半目を開き、寝落ちしかけていた。ちゃんと聞いておけよ!


「そして話し合いの結果、リボンの女の部隊は、徳島藩へ向かった。一番戦争に乗り気で、戦力を保有しているのが徳島藩だ。まずはそこから潰したかった」


 徳島藩主の徳子さんは、『初鹿野は高知藩へ向かった』と言っていた。初鹿野が高知藩へ向かったのは、その後という事か? いや、徳子さんの言う事は、いまいち信用しきれない。


「リボンの女が徳島藩へ向かった後、連絡が取れなくなった。あたいは徳島藩側へ寝返ったと思っている。だから幕府の役人は信用ならんのだ」

「それは違います」


 僕は愛さんの考えを訂正する。


「徳子さんが、初鹿野は高知藩へ向かったと言っていた。でも、それは信憑性が薄い。徳子さんより愛さんの方が、信頼が置ける」


 愛さんは「なんだよ」と小声でつぶやき、少し照れた。


「二日前、初鹿野から助けを求める連絡が来ました。おそらく、初鹿野の部隊と徳島藩の抗争の結果、初鹿野は今危険な状態に置かれている。愛媛藩を裏切ったということはないです」


 陽菜さんが僕に続いて、愛さんに尋ねる。


「徳子は、私から見れば気のいいお嬢さんで、とても好戦的には見えないけれども、愛から見ればそれは違うの?」


 僕は、敵地でガブガブと酒を飲んでいた陽菜さんを、蔑視べっしする。陽菜さんはそれに気付き、すっと目を逸らす。


「全然違うよ。あの人は変わった。突然香川に侵攻し、一瞬で吸収した挙句、『四国を統一する』と息巻いた。あたいも知奈も、初めは徳子の暴走を止めるために戦っていた。けれど、そんなんじゃあの人を止めることはできない。あたいも四国を統一するくらいの勢いと戦力を持って、ぶつかって、ようやく拮抗するくらいだ」


 僕は愛さんに疑問を呈する。


「変わったというのは? 徳子さんに目に見えて分かるような変化はあったんですか?」

「そうだな。一番は性格の変化だけど、見た目で言えば、蝶の髪飾りをつけ始めたことくらいかな」


 ……また蝶だ。蝶のマークに何かがある。


「大筋は理解できた。その上で、愛媛藩に協力すると約束した私たちがまず提案することは、今すぐ高知藩への侵攻を引き上げること」


 僕が頭を回していると、その間に陽菜さんが進言した。


「はあ? 今の話を聞いてなんでそうなるんだよ。あたいは徳島藩に勝つために、高知藩を吸収しなきゃならない」

「だから、幕府は争いを止めるために来てるんだから、高知藩を吸収することも、徳島藩と武力衝突することも、おいそれと見過ごすわけないでしょう。私たちに任せてくれれば、必ず徳島藩の暴走を止めるから」


 愛さんは鼻で笑う。


「リボンの女もそう言ってたぞ。幕府は愛媛藩に被害を与えない。それさえ約束してくれれば十分だ。それ以上は求めないし、どうせできないだろう」


 陽菜さんは、愛さんの目の前まで大きな足音を立ててドシドシと攻めよった。従者が止めようとするが、愛さんは手でそれを制する。


「幕府を、豊臣家を舐めてもらっては困る! 私は豊臣陽菜、御三家、愛知豊臣家の家督、そして大阪幕府大目付。この日本は、大阪幕府によって守られているということを忘れてはならない! 地方分権は、幕府の認可の下行われている! それを自分で得た権力だと思っている人が大勢いるようだけど、勘違いも甚だしい! 四国戦争は、幕府の力によって平和的解決がなされる!」


 陽菜さんの圧に、愛さんは、頬を引きつらせてたじろぐ。


「……一週間だ。一週間、高知藩にも、徳島藩にも攻めない。その間に、この惨状を何とかしてくれ。それができないなら、あたいは四国を統一する」


 陽菜さんはさらにグッと顔を近付ける。


「よく言ってくれた。任せてほしい。私が必ずこの戦争を終わらせる」


 陽菜さんはそう言った後、振り返り、僕にウインクをした。

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