一二.電子手紙
評定所の次の日、僕は御用部屋で仕事の割り振りを決めていた。一度四国へ遠征したら、いつ大阪へ戻れるか分からない。先日町奉行所から異動してきた従者のおかげで、幸い人数は足りている。長期的な不在も見越した人事配置にしなければ。
ただ、一人、どの仕事に配置すればいいか見当がつかない従者がいた。良い奴だが、僕が不在で上手くやっていけるだろうか。
「齋藤さま! 齋藤さま!」
噂をすれば。彼女はいつも駆け足で御用部屋に来る。扉が勢いよく開く。
「齋藤さま! 四国へ行かれるって本当ですか!?」
蜂須賀はなにやら大きな袋を持っている。
「うん。その袋、どうしたの?」
僕が尋ねると、蜂須賀は咄嗟に袋を体の後ろに隠す。
「なんでもないです!」
「いやいや、それは無理があるでしょう。言わないなら持ってこないでくれよ」
僕は意地悪く蜂須賀を攻める。
「すみません! 実はですね……」
蜂須賀は、袋から蜂柄のくまのぬいぐるみを取り出す。登山用のリュックほどのサイズだ。
「はちクマですっ!」
蜂須賀は、顔の前にそのぬいぐるみを持ってきて、フルフルと振った。
……可愛い。僕は彼女に父性を覚えている。
「流行ってるの?」
「すごく流行ってます! 私史上最大の流行ですっ!」
もっと全体的なデータを持ってきてくれ。
「これ、齋藤さまへのプレゼントですっ!」
蜂須賀は、はちクマのぬいぐるみを僕の胸に押し当てた。
「ええ? いらな」
おお! 危ない! プレゼントをしてくれた人に対して最悪の反応をしかけた。
「か、可愛いね。でもなんで僕に?」
蜂須賀は、モジモジしながら僕に伝える。
「日頃の感謝です。いつも齋藤さまは、私に優しくしてくれるので。ほんとはこれじゃ足りないくらいの気持ちですよ。はちクマ一〇体分くらいですっ!」
絶対一〇体もいらない!
「そんなのいいのに。上司として従者のケアをするのは当たり前のことだし」
ほとんど従者と関わらない僕が言えたことではない。まあでも蜂須賀に限っては言えるだけのことはしているだろう。
「このはちクマ、四国へ持っていってくださいね! 私だと思って!」
そういうことになると、途端に意味が出てくる。
「う、うん。持っていけたら持ってくよ。ちょっとサイズがね」
僕は優しくはぐらかす。蜂須賀は僕の言葉を聞き流し、求めている言葉を聞くまでただフリーズしている。
「も、持っていくよ」
「ですよねっ! 可愛いですもんねっ!」
ああ、邪魔すぎるっ! 僕ははちクマを机の上にどでんと置き、蜂須賀に尋ねる。
「蜂須賀、僕がいない間、どの業務をしたい?」
僕には決めかねる。彼女のしたいことをやらせてあげるのがいいだろう。
「うーん。そうですねぇ」
蜂須賀は目をパチクリさせて考えている。
「いいよ。遠慮せず言ってくれ。最大限配慮するから」
僕はなんて優しいんだ。もし子供が生まれたら、とんでもなく甘やかしてしまいそうだ。
「ほんとですか?」
「うん」
蜂須賀は一歩僕に近付いた。
「齋藤さまに、ついていきたいですっ!」
予想外の希望に、僕は首を前に出す。
「へっ!?」
「齋藤さまと一緒に、四国へ行きたいです!」
蜂須賀の目は、僕の面食らった表情がくっきり反射するほど、透き通っている。
「四国は今戦争状態で、どんな危険が待っているか分からないんだよ?」
「はい! それも承知で、齋藤さまのお側で仕えさせていただきたいです!」
僕は少し安心した。蜂須賀がついてきてくれれば、留守中の仕事の割り振りをしなくて済む。僕がいない時にミスをしたら、彼女をかばう人がいないことが、すこぶる気がかりだった。
「うーん」
腕を組んで考える。来てくれれば一つ心配が消えるが、その代わり新たな不安が増える。
「正直、四国へ行った時の僕が、蜂須賀を守りきれるかどうか、分からない」
平定部隊の第二陣として向かう以上、戦地の真ん中に介入していく可能性が大いにある。自分の身は自分で守れる人じゃないと、帯同は許可できない。
「大丈夫です! 私だって、人並みの護身術は身に付けています。ほらっ!」
蜂須賀は、僕の腕を取り、クルリと回し、転ばせた。僕はあっという間の回転に度肝を抜かれる。
「ど、どこで覚えた!?」
「愛知藩の従者時代に、全く仕事を任せられなかったので、ストレス発散もかねて、格闘動画ばかり見てたんです!」
もっと他にすることあるだろっ!
「スカッとするんですよねっ! 広告が邪魔なのでプレミアプランにしちゃいました」
蜂須賀はテヘッと舌を出した。それは聞いていない。
「ま、まあ経緯はどうであれ、ある程度護身ができることは分かった」
僕は決心がつく。
「蜂須賀、一緒に四国へ来てくれ。蜂須賀を頼る時が来るかもしれない」
蜂須賀はピシッと立ちなおす。
「はいっ! 私の全てを、齋藤さまに捧げますっ!」
そこまで慕ってくれているのを知ると、単純に嬉しい。
「ちなみに、はちクマは持っていかなくていいよね? 蜂須賀の代わりって言ってたけど、本人が来るんだから」
「そうですね。私同じの持ってるんで、私が持っていきますね!」
それは好きにしてくれ。
こうして、従者への仕事の割り振りも完了し、二日後の出発に向けて準備が整った。
次の日。まりなが僕を叩き起こす。
バチンッ!
「四国、地獄、いやいや天国。ああ、ああ四国」
「寝言気持ち悪っ」
バチィィンッ!!
「はあ、もう朝か」
夢の中では、既に四国へ遠征していた。
「お兄、今日の朝刊、また飛ばしなんだろうけど、とんでもない記事載ってるよ」
まりなが、まだ布団から出ていない僕に新聞を投げつける。一面にはこう書いてあった。
『四国戦争! 四国全域が血の海に! 幕府からの仲裁部隊は全滅! 総大将初鹿野まお、瀕死の状態で発見か!?』
僕はしばらく、でかでかと書かれているその文字が認識できなかった。
「お兄、お兄?」
まりなに肩を揺らされてハッなる。
「瀕死……、そんなはずはない。初鹿野に限ってそんなことは。幕府には何も情報は来てないぞ」
「だから、飛ばしかもって言ってるじゃん。お兄の記事だってそうだったでしょ? 他人の情報になった瞬間すぐ信じるんだから。もう」
まりなの言葉で動揺が少し落ち着く。そうだ。この記事の信憑性は少ない。日本大阪新聞社は売り上げのためなら嘘をつく会社ということは、身を持って知っている。でも、裁判を切り上げてまでの重大なスクープが、この記事だとしたら? いやいや、悪い方向に考えるな。
自分で自分をビンタする。
「幕府に確認してみるよ。内容次第じゃ、この会社の刊行物の発行差し押さえも視野に入れなきゃいけない。人の生死を適当に言っているとしたら、許せない」
「私もこの会社は大っ嫌いだから、こてんぱんにしてやってよ」
まりなは、僕の腹を布団の上からペチンと叩いた。
「なんだよ。痛いな」
「気合いだよ気合い。私の怒りをお兄に詰め込んだから。ほんとにぶっ潰してやって!」
まりなは、僕の誤報について、相当憤りを感じているようだ。
「任せてくれ。然るべき対処をする」
僕は朝食を食べ、ささっと準備をし、枚方城へ向かった。
豊臣御殿の扉の前で、彩美は、御殿に入らず新聞を見ていた。僕はその姿を確認し、早足で彼女のもとへ向かう。
「彩美、記事は見たよね?」
彩美の顔は、新聞紙で隠れている。
「彩美?」
僕は新聞紙をそっと下げる。彩美が激怒しているのが、その表情から一瞬で分かった。
「彩美、冷静に、冷静にね?」
「……」
まずいぞ。定期的に彩美は、
「ありえない……」
彩美は唇をプルプルと震わせている。
「まおが瀕死なんて、ありえないっ!」
彩美は僕の胸に飛び込む。
「僕も気持ちは同じだ。日本大阪新聞の記事なんか信じるべきじゃない。必ず僕が初鹿野を見つけて、連れてくるから」
僕はそっと彩美の背中に手を回す。
「瑞樹、やっぱり行かなくていいよ」
彩美が僕の胸の位置から、顔を上げる。
「え?」
「まおは絶対生きてる。だけど、だけど連絡がつかなくなってるのは事実。もし瑞樹も同じようになったら、私はもうどうしたらいいか……」
飛ばし記事のせいで、彩美の心が揺らいでいる。
「瑞樹、ここに残って。陽菜には私から言っておくから」
彩美の側にいてあげるべきだ。弱っている彩美を放っておくことは、僕にはできない。
「分かったよ。出発は明日。まだギリギリ部隊の編成は組み直せると思う」
「ありがとう。ごめんね。振り回して」
「いやいや、将軍に振り回されるのも、老中の仕事だよ」
僕は彩美の頭をポンポンと撫でた。
その時、通話機がブルブルと震えた。電子手紙だ。
「誰から?」
彩美は僕の腕の中から離れ、少し怪訝な顔をした。
通話機を見ると、送信元には、初鹿野まおと書いてある。
「初鹿野だっ!! 初鹿野から電子手紙が来たぞ!!」
僕は息つく間もなく内容を確認する。電子手紙にはこう書かれていた。
「みすきさんたすかてくださう」
通話機の画面を覗いた彩美は、顔色が青くなり、黙り込んだ。
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