七.弁護士・曲淵
僕と彩美のお泊り記事が出た次の日、僕は堂々と家の扉を開ける。マンションから出ると、昨日からずっと見張っていたのだろうか。記者数人が僕のもとへ駆け寄ってくる。
「齋藤老中! 今日は出勤されるのですか? 老中を辞任するという噂がありますが!」
「将軍さまとはどのようなご関係で!?」
「家に泊められた日、何をされていたんですか!?」
僕は無視して歩き続けるが、あまりにもくどいので、振り返って睨みを利かせる。
「本件に関する質問は、全て幕府を通して聞いてください。今ここで言えるのは、あの記事には虚偽が含まれているということです。法的な措置も検討しています。以上です」
初めて発した僕の言葉を、記者たちは一生懸命にメモしている。僕は少しだけ清々して、京橋駅から電車に乗った。
枚方城に入り、御用部屋を開ける。二日分のりん議書や書類が綺麗に分類されて、机の上に置かれていた。
従者の頑張りに、僕は感服する。ソファに気配を感じ、確認すると、蜂須賀がスヤスヤと寝ていた。徹夜で働いてくれていたのか。
僕は床に落ちていた蜂柄ベレー帽を手に取り、そっと机に置く。書類だけ持って、別の部屋で仕事をすることにしよう。
御用部屋を出て、廊下の先の空き部屋へ行こうとすると、曲がり角で陽菜さんとぶつかりそうになった。
「おおっ!」
僕は、山積みの書類をぶちまける。
「ごめん! って、瑞樹くんじゃん! 政務に戻ったんだね」
マリーゴールドのシュシュが今日も似合っている。
陽菜さんにも伝わってるのか。彼女は今回の件についてどう思っているのだろうか。
「この度はお騒がせしました。僕の記事のせいで、陽菜さんにも迷惑がかかってることもあろうかと思います」
陽菜さんは、僕の書類を拾うのを手伝いながら、あっけらかんと答える。
「ええと、どんな内容だっけ? うろ覚えなの」
あ、そんな感じか。そこまで僕に興味ないか。
「いや、知らないならそれに越したことはないので」
「違うの。今、私それどころじゃないんだよ」
陽菜さんは僕に書類を渡すと、腰巻の汚れを手でパンパンと払う。急いでいる雰囲気が伝わる。
「何かあったんですか?」
急いでいる時に申し訳ないので、恐る恐る尋ねる。
「この間の政変で、日本は不安定なの。各地で『自分たちも上に立てるんじゃないか』と、下剋上の雰囲気が漂っている。藩主を襲う暴動が起きたりね」
「え、そうなんですか」
陽菜さんは、後ろめたそうに目を逸らした。
「まあ、私のせいなんだけどね」
「確かに」
「ちょっとはフォローしてよっ!」
彼女は背伸びしてカッとなった。
「それで彩美は、陽菜さんを地方監視の大目付に任命したのかもしれませんね。各所で暴動が起こることを見越して」
「絶対そうよ。意地の悪い女だよ彩美は」
陽菜さんの通話機がリンリンと鳴る。
「あ、ちょっとごめん。もう行くね」
「はい。お互い頑張りましょう」
陽菜さんが手で挨拶をし、小走りで去っていった。アメリカとの貿易開始までに、日本を一枚岩にしなければ。マスメディアと小競り合いしている場合ではない。
空き部屋で書類を片付けた後、僕は勘定奉行所に向かった。彩美から、訴訟を起こすには勘定奉行に訴状の提出が必要と言われたので、その手続きをするためだ。
久々の勘定奉行所。前勘定奉行の
「齋藤さん、彩美公から話は伺っています」
なみさんは、立ち上がって僕を出迎えた。いつも通り、紫のロングヘアはぼさぼさで、腰巻も全く着こなせていない。ダルンダルンの胸元から、下着が見えている。
「それなら話が早いです。僕は週刊文節を発行している、日本大阪新聞社を訴えたいんです」
「ひとまず座りましょう」
なみさんは、応接スペースに僕を座らせ、自身も着席する。
「もちろん訴訟を起こすのは私も賛成です。あの記事には虚偽が含まれているだろうというのは、彩美公や齋藤さんを知っている身からすれば想像がつきます」
彼女は腰巻の帯を結びなおし、すぐにまたはだける。
「ですが、勘定奉行所には司法権の独立が確保されています。政治的圧力の一切を受け付けません。私は法の番人として、客観的な判断をするつもりです。それでもし齋藤さんが負けたとしても、恨みっこはなしですよ」
なみさんの、揺るぎない意志が宿ったその目に、僕は少し萎縮する。
「これで明らかにこちら側が優位な判決が下りたら、さらに幕府は叩かれる。それでいいよ。公正公平な判断をお願いする」
「さすが老中。こわくないんですね」
なみさんは少しだけ顔を緩め、訴状の記載例用紙を取りにいった。
いや、凛とした表情を一枚めくれば、バリバリにビビってるぞ。
その後、なみさんから訴訟の流れについて説明を受けた。原告は僕で、被告は日本大阪新聞社代表・
僕に弁護士の知り合いはいないので、なみさんに紹介してもらうことになった。今日の夕方にアポを取ってくれているらしい。さすが仕事が早い。
僕は政務を早めに終わらせ、その弁護士のもとへ向かった。
メモの通りの場所に着く。京橋駅から程近くの雑居ビルだ。
「この四階か……」
陰湿な雰囲気が漂うそのビルに、一瞬入るのをためらう。一つ深呼吸をし、狭いエレベーターで上がっていく。
四階の一室には、『曲淵法律事務所』という木製の看板が掛けられていた。僕はインターホンを鳴らす。
「はーい」
「あの、大岡なみさんの紹介でアポを取っている、齋藤瑞樹と申します」
「ああ、入って! 開いてるから」
アルミ製の丸ノブをひねり、中へ入る。
そこには、金髪お団子ヘアでタレ目の、スラッとした女性がいた。少し歳上だろうか。
「齋藤瑞樹さんね。そこ座って」
彼女が指したその先には、ビリビリに破れた赤いソファが、異質な雰囲気を放って置かれている。正直座りたくはない。
「失礼します」
粗相がないよう、できるだけソファとの接触面積を抑えながら腰を下ろす。
「で、あれだよね? 今話題になってる将軍さまと老中のお泊り疑惑」
「そうですけど、まずは自己紹介を……」
彼女は完全に忘れていたという風に、ハッと目を見開いた。
「
知らなくていいことまで聞いた気がする。
「いえ、特には」
また変わった人に当たってしまった。僕は頭を掻く。
「齋藤瑞樹さんは、好きな映画はある?」
僕の眉毛がピクッと反応する。
「バックトゥザフューチャーですね。三部作であれほど完璧に作りこまれた作品は、後にも先にもないでしょう」
「ふーん」
曲淵さんは、目を細めて僕を見つめた。
「いい趣味してるね。この訴訟、きっと勝てるよ」
いや、それとこれとは別だろう!
曲淵さんは、襟の汚れた白シャツの胸ポケットから、たばこを一本取り出し、火を点けた。
「たばこ吸うんですね」
「あ、嫌だった? 嫌でも吸わしてもらうけど」
「いえ、大丈夫です」
顔を横に向け、極楽の表情をしながらふかしている。たばこを吸う女性も、これはこれで美しさを感じる。
「で、内容はだいたい大岡なみから聞いてるから、あなたからの説明はいらないけど、どこが虚偽なのかを明確にする必要があるね」
たばこを斜め上に
「彩美が泊まったのは本当です。でもそれ以外は虚偽です」
「なるほど。性行為もしてないと?」
「はい」
僕は一段階大きな声で返事をする。
「なぜ将軍さまはあなたの家に泊まった? 家の中でのことはブラックボックス。証拠を集めるのは難しいよ」
「なぜって、大阪城が焼失してるんだから、仕方がなく僕の家に泊めたんですよ」
曲淵さんは天を仰いだ。
「ああ、そうだった。世の中のことは疎いもので」
再度思う。この人は本当に弁護士なのか? 情勢くらい普通知っているだろう。
「まあだからと言って、わざわざ自宅に招き入れることはないよね。そのあたりが争点になる気もする。なかなか厳しい戦いになりそうだね」
曲淵さんは、一本吸い終わった直後、また指に新しいたばこを挟む。
「ふぅ。面白い。私が代理人になる以上、これは
「ちなみに、曲淵さんの裁判での勝率はどんなものなんですか?」
僕は固唾を飲む。もしかしたらすこぶる敏腕なのかもしれない。
「そうだねぇ、五分くらい?」
もう結構傷ついてるくない!?
僕は不安の表情を隠すように、曲淵さんに、お願いしますの意味を込めて頭を下げた。
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