八.嘘じゃない嘘じゃない

 勘定奉行代理のなみさんに訴状を提出して、三週間程が経った。

 今日は第一回裁判の当日だ。会場は勘定奉行所併設の大阪裁判所。傍聴席は、大勢の人が集まっている。倍率は五〇倍にも上ったらしい。


「なんだか緊張してきました」


 僕は原告席に座り、隣の曲淵さんに、小声で話す。


「どうせ全員野次馬。もの好きに萎縮しているんじゃこっちが損をする。気にしちゃだめ。じゃがいもだと思えばいい」


 また初歩的な。

 曲淵さんは、金髪のお団子ヘアに、今日はスーツを着ている。だらしがない事務所や服装を見ているので、シャキッとした彼女はとても新鮮だ。


「どうした? スーツに何か付いてる?」


 曲淵さんは、あごを引き胸元を確認した。


「いえいえ。ちゃんとTPOはわきまえているんだなと」

「ひどい言いよう。このスーツだって、ちゃんと綺麗なゴミ収集場から拾ったから」


 ええ……。それは犯罪では。

 裁判所の扉が開き、日本大阪新聞社代表・仮名垣宇字かながきうじと、代理人・杉浦密次すぎうらみつじが入ってくる。

 仮名垣宇字は、シルクハットをかぶり、薄く色の入った眼鏡をかけたお姉さんで、いかにもできる人といった身なりだった。杉浦密次は、おかっぱ眼鏡の真面目そうな男だ。

 数分後、裁判長のなみさんが入ってきた。


「今回、裁判長を務めさせていただく、勘定奉行代理・大岡なみです」


 原告、被告、両方向に一度ずつ挨拶をする。黒を基調とした腰巻を着ていて、お堅い雰囲気が漂う。髪型は相変わらずボサボサだ。


「定刻まで五分ほどお待ちください」


 なみさんは着席し、資料に目を通している。傍聴席をちらっと見ると、まりながいた。


「うえっ!?」


 特寺はどうしたんだ? 来るなんて一言も聞いていないぞ!


「静粛に」


 なみさんが僕に鋭い目線を刺す。妹が来ているなんて。予想外の出来事に緊張が増してきた。


「では、定刻になりましたので、第一回裁判を始めます」


 なみさんは、一呼吸置いて、起訴内容を読み上げる。


「原告・齋藤瑞樹は、週刊文節に掲載された、豊臣彩美との関係性についての記事に虚偽があると申し立て、名誉棄損による損害賠償五〇〇万円の支払いと、当該記事の削除を要求する」


 仮名垣宇字はうんうんと二回ほど頷いた。その頷きの意図は何なのか。


「記事の虚偽内容について、原告代理人から書面の通りに説明してください」


 なみさんに促され、曲淵さんが立ち上がる。


「原告代理人の曲淵りかです。よろしくお願いします」


 裁判官への心証は大事だ。なみさんからの紹介だからこそ、しっかりとした態度でやってほしい。


「週刊文節に掲載された記事の中で、虚偽部分は以下です。

 ・齋藤瑞樹と豊臣彩美が、齋藤瑞樹の自宅へ向かう際、手を繋いでいた。

 ・齋藤瑞樹と豊臣彩美が、齋藤瑞樹の自宅で性行為に及んでいた。

 ・齋藤瑞樹と豊臣彩美が、自宅から出てくる際、マンション先でキスをしていた。

 上記虚偽内容は、齋藤瑞樹と豊臣彩美に向けた深刻な風評被害と捉えられ、原告側の要求する内容は認められると考えています」


 凄い。さすがだ。事務所のゴミ山から紙とペンを取っていた人とは思えない。曲淵さんの表情はキリッとしていて、完全に仕事モードだ。


「原告代理人、ありがとうございます。続いて、原告側から請求のあった証人尋問に移ります。被告代理人、よろしいですか?」

「はい」


 杉浦密次が短く返事をする。


「では、原告側証人、どうぞ」


 法廷の扉が開き、黄色の腰巻を着た彩美が入ってくる。


「おおお」


 傍聴席から驚きの混じった歓声が上がる。将軍が自ら法廷に立つんだ。無理もない。


「静粛に」


 なみさんが小さく、しかし響く声で傍聴席を静める。


「私、豊臣彩美は、良心に従って真実を述べ、何事も隠さず、偽りを述べないことを誓います」


 彩美は横目でちらっと僕を見る。「任せて」ということなのだろうか。


「では、まずは主尋問から、原告代理人、お願いします」


 曲淵さんが、彩美にいくつか質問をする。


「彩美さん、当日、瑞樹さんと手を繋いでいたということは、事実ですか?」

「いいえ。繋いでいません」

「なぜ瑞樹さんの自宅へ行ったのですか?」

「当時、枚方幕府による大阪城焼き討ちで、私は家がない状態でした。老中である齋藤瑞樹さんの家に、応急対応として泊まりました」

「では、性行為もしていないと」

「はい。私と齋藤瑞樹さんは、別々の部屋で寝ています」

「彩美さん自身は、なぜこのような虚偽の記事が掲載されたとお思いですか?」

「将軍と老中という役職上、密な連携は不可欠です。それゆえこういった記事が出されたのだと思います。国民の懐疑心を煽るような真似はやめていただきたいです」

「ありがとうございます。主尋問は以上です。裁判長、彩美さんの言っていることに加えて、私からも補足します。本記事は、文字だけで書かれており、証拠となる写真がありません。その点ご考慮の上、判決をお願いいたします」


 曲淵さんは着席し、僕に小さくガッツポーズをした。自宅の中でのことは、僕と彩美しか分からない。証人としてはベストな選択だし、はっきりと否定した。将軍が嘘をつくというのは、まず考えられない。彩美が法廷に立った以上、こちらが優勢だ。


「では、続いて反対尋問に移ります。お願いします」


 杉浦密次が眼鏡をクイと上げた。


「豊臣さん、齋藤さんとはどのようなご関係ですか?」

「将軍と老中の関係です。齋藤瑞樹さんは、私の部下にあたります」

「それ以外の私的な関係はないと?」

「はい」

「そうですか。先ほど、当日手は繋いでいないという供述がありましたが、他の日はどうですか?」


 彩美の黒目が、一回り大きくなる。


「……」


 まずい! 海遊館に行った時、周りの雰囲気にあてられてしまって、手を繋いだ! というか、これは私的な関係じゃないのか!?

 彩美の顔がどんどんと曇っていく。


「どうされました? 質問に答えてください」


 どちらにしても不利になる。正直に話せば、僕と彩美が私的な関係を持っていることになり、記事当日の内容も信憑性が増してしまう。嘘をつけば、バレた場合、虚偽罪で彩美は犯罪を犯したことになる。どうすればいい。


「手は、手は繋いだことがあります」


 言った! 傍聴席がざわざわと騒ぎ出す。


「静粛に。そこの方、退場してください」


 なみさんが、一際ひときわ声を上げた傍聴人を外へ出させた。


「ほう。では、豊臣さんと齋藤さんは、交際されていると、そういうことでよろしいですか?」


 彩美、どう答える!? 僕が助けてやりたいが、今は何もできない。


「いいえ。付き合っていません。私は」


 彩美は少し赤面し、唇を噛んだ。


「私は、手を繋ぐことは軽いスキンシップの一種だと思っています。手を繋ぐことによって、交際を証明することには、私の中ではなりません」


 えええ!? そんなこと言っていいの!? 彩美の性格が全国民に勘違いされてしまうぞ!?


「なるほど。そうですか。反対尋問を終わります。次回、こちら側からも証人尋問を請求しますので、よろしくお願いいたします」


 杉浦密次は席に戻っていった。


「豊臣彩美さん、証人尋問は以上となります。退出してください」


 彩美は下を向き法廷を出ていった。後でフォローしよう。


「第一回裁判は以上になります。勘定奉行所で整理をした後、第二回裁判の日程をお知らせします。それまでに、それぞれ認否・反論の書類を準備しておいてください」


 こうして第一回裁判が終わった。この時点では、彩美の、性格を捻じ曲げた証言によって、こちらが若干有利といったところだろうか。


「将軍さま、また変なこと言っちゃったねぇ」


 裁判所からの帰り道、曲淵さんは少し笑いながら僕に言ってきた。


「まあ、性格については虚偽かどうか調べようがないから、上手くかわしたって感じかな」

「ちょっと彩美に会ってきます。フォローと謝罪がしたい」


 曲淵さんは僕の小袖をぐっと掴んだ。


「あなた、将軍さまと付き合ってるの?」


 突然の確認に驚きを隠せない。


「つ、付き合ってるわけないじゃないですかっ!」

「好きではあるんだね。その反応」


 曲淵さんはニヤッと口角を上げる。


「裁判期間中にあまり変な動きしないでよ。今日だってギリギリだったんだから」

「わ、分かってますよ」


 彩美にあんなことを言わせてしまったんだ。この裁判は絶対に勝たなければならない。




 第一回裁判の三日後、御用部屋にドタドタといつもの足音が迫ってきた。


「齋藤さま! 大変ですっ! どうしましょう!!」


 蜂須賀が御用部屋に入り、あわあわと右往左往している。


「どうしたの?」

「あの、これ、今日の日本大阪新聞朝刊なんですけど……」


 手渡された朝刊の一面には、でかでかと、僕が初鹿野をおんぶしている写真が載っていた。


『老中・齋藤瑞樹の女遊びは止まらない! 町奉行・初鹿野まおと白昼堂々イチャイチャデート! 京都四条での一部始終を激写!』


 ああ、終わった。

 僕は全身の力が抜け、天を仰いだ。

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