六.鬱鬱鬱

 僕は、家の扉に落書きされた、地獄のような罵詈雑言をぼーっと見つめている。数分立ち、ようやく事態の深刻さに気付いた。記事が出たんだ。取り下げ命令を出しても、週刊文節はそれを無視し強行したんだ。

 頭がグワンと揺れる。僕はひざから崩れ落ちた。


「お兄! ちょっと!」


 まりなに家の中へ引きずり込まれる。


「もう行けないよ」


 僕は、うなだれながらまりなに呟いた。


「何? どうしちゃったの?」

「もう幕府には行けない。この記事が出てるなら、国民からすれば、大河内に続き僕も不祥事を起こしたことになる。またデモも起こるだろう。気持ち新たに歩みだした大阪幕府の鼻っ柱を、僕はへし折ったんだ」


 その時、インターホンが部屋中に鳴り響いた。扉越しで大声で呼びかけられる。


「週刊シックスの者です! 文節に書かれていた内容は本当なんですか!?」

「週刊フライの者です! お話をお聞かせください!」

「日本大阪新聞社の者です! 齋藤老中、文節に載った記事が間違っているというのなら、是非私たちの紙面に訂正記事を載せましょう!」


 僕は頭を抱えたまま、立ち上がれない。


「お兄、ひとまず私、行ってくるね」

「何言ってるんだ。今外に出たら」


 僕の制止を振りほどき、まりなはドシドシと歩いていく。


「私、むかついてるから」


 バンッ。


 激しく扉を開ける。


「妹さんですか!? 是非お話を!」


 記者たちは、パシャパシャとシャッターを切る。まりなは大きく息を吸い込んだ。


「うるさいです!!」


 シャッター音が止み、時間が止まったように静寂が流れる。


「あることないこと書いているみたいですけど、書かれている人の気持ちを考えないんですか!? 嘘を書いて稼ぐお金は嬉しいですか!?」


 部屋の中にも響くまりなの怒声に、近隣からも窓を開ける気配を感じる。


「いや、それは、疑惑があれば広く国民に知らせることが、私たちの使命ですから。それを見てどう判断するかは皆さんの自由です。私たちは世の中のものさしを作り上げるための、材料を提供しなければならない」


 日本大阪新聞社の記者が、一四歳に向かって、いたく真面目な言葉で諭している。


「知りませんそんなこと! これ以上お兄を傷つけないでください!」


 まりなの声が遠くなっていく。怒りに任せたまま特寺へ向かったらしい。

 僕はひどく落ち込んでいる。辛いことが重なり、心が復調する階段の一段目がすこぶる高い。


「齋藤老中、私たちはあなたが姿を見せるまで、ここから動きません。あなたの口から真実を語ってください」


 扉の向こうのその声は、語り掛けるような優しさの中に、鋭い刃物が隠されている。どうせ、この記者たちも国民も、僕のスクープを見てほくそ笑み、喫茶店でもネットでも、至る所で叩いているんだ。

 考えれば考えるほど、僕は外に出るのがこわくなった。外に出れば、周りの会話の全てが僕に対する誹謗中傷に聞こえそうだ。頭が痛くなり、寝室へ戻り、布団をかぶった。




 どれくらい寝ただろうか。もう外は日が落ちている。

 眠気眼ねむけまなこで時計を見ると、二〇時を回っていた。外の記者はさすがに帰っただろうか。玄関の覗き穴から確認する。

 いる。座り込んで僕が出てくるのを待っている。こうなれば意地でも外出はしない。もう僕は幕府にいられないのだから、家に閉じ込もっていればいい。

 蜂須賀に連絡を取る。彩美と話せる気分ではない。


「もしもし、齋藤さま! 何度もご連絡差し上げたのですが」

「ごめん。気が付かなかった」


 通話機越しに、従者たちの声が雑多に響いている。僕の報道の対応に追われているのだろうか。


「蜂須賀、ごめん。僕のせいで色々と余計な仕事が増えてると思う」

「私のことはいいんです! 齋藤さま、齋藤さまは大丈夫なんですか?」


 こんな時に僕の心配か。おっちょこちょいに目をつむれば、本当に信頼できる子だ。


「僕は……そうだね、あんまり大丈夫じゃないかも」


 蜂須賀の優しさに、つい甘えてしまう。


「あの、戻られるんですよね?」


 彼女の口調からは、これからどうなるのかという不安が感じられる。僕は、ゆっくりと、正直に自分の気持ちを伝える。


「ううん。もう戻れない。許されないよ。大河内の圧政をリークしたのは僕だ。僕が枚方幕府を潰した。それが正義だと思ってたけど、神はそうは見ていないみたいだ。報いが降りかかってきたんだ」

「何言ってんの!? こんな時だけ神がどうとか、すこぶるこざかしいっ!」

「え?」


 蜂須賀の声じゃない。この柔和な声は。


「隣で聞いてたけど、そんなの許さないっ! 今は家にいるのね!?」

「ちょっと待って、彩美、何を」


 プツッ。


 通話機が勢いよく切れた。彩美に僕の弱さをまじまじと見られてしまった。また少し落ち込む。




 再び布団に潜り込んだ三〇分後、なにやら外が騒がしい。


「将軍さま! なぜここへいらっしゃったんですか!?」

「今回の報道について、どのように受け止めておられますか!?」

「巷では、齋藤老中が辞任の意向だという噂もありますが、将軍さま自身の進退についてはどのようにお考えですか!?」


 まさか、彩美、ここまで来たのか。

 チャイムが鳴る。


「瑞樹、開けて!」


 フラッシュ音にかき消されないよう、大声で僕に開錠を求める。

 記者からの質問は一切を無視している。僕はそっと鍵を開けた。彩美は自分の通れるギリギリのスペースを開き、記者に足を入れられないようすぐさま閉める。


「……喉乾いた」

「え?」

「急いで来たから、何か飲みたい」


 彩美の黄色の腰巻は、所々がはだけていた。

 僕は食卓に座らせ、お茶を淹れる。


「なんで来たの?」


 将軍が自ら来るべきではない。僕の家に来れば、ああやって詰問されることは分かっていたはずだ。


「直接話したいから。何の連絡もなしに休むなんて、相当落ち込んでいるのかなと思って」


 彩美は抹茶をズズズとすする。


「幕府を辞めるって、本気なの?」


 僕はスゥと息を吸って、頭を掻いた。


「やっぱり、さっきのは一時の気の迷いでしょ?」


 そうじゃない。彩美を前にして、そう簡単に辞めるなんて言えないんだ。


「僕がいたら、大阪幕府に迷惑がかかる」


 勇気を振り絞って言葉を出す。


「一緒に頑張ろうよ」


 彩美は、机に放り出されていた僕の手を、そっと握った。


「はづきから聞いたよ。昨日は怒ってごめんね」


 そうだ。彩美が僕と蜂須賀の関係性を誤解したところから、僕のメンタルブレイクは始まったんだ。


「もし、昨日の私の言葉が、瑞樹を傷つけたのなら、ごめんね。嫌いじゃないよ。嫌いになんて、なれないよ」


 僕は顔を上げ、彩美を見る。彼女はすぐに顔を逸らした。「ううん」と一つ咳払いをし、姿勢を改める。


「瑞樹が老中を辞任したら、それは記事の内容を認めることになるんだよ?」

「それは……」


 彩美の言う通りだ。逃げて雲隠れしたら、国民は「やっぱりか」と思うだろう。


「私は嫌だ。あの記事が真実とされたまま時が経つのを待つなんて。みんなには本当のことを知ってもらいたい」

「それは僕も同じ気持ちだよ。でももう心が折れかけてるんだ。マスメディアと戦うことが、僕はこわい」


 彩美は、握っている手をギュウとつねった。


「痛っ!」

「シャキッとしてよ! どうしちゃったの!? へなちょこ瑞樹っ!」

「自分でも分からない。こんなに気持ちが落ちることなんてなかった」


 彩美は手を離し、頬杖をつく。


「取り下げ命令をして、出ないと思ってたものが出たんだから、そりゃ落差でショックは受けるとは思うよ。私だって驚いたし、すこぶる腹が立ってる。真実は違うわけだから、週刊文節には、謝罪と損害賠償、記事の削除をして貰わないと、気が済まない」


 僕は、その言葉を聞いて、気を落とすのではなく、怒りを原動力に行動を起こそうとしている彩美に感服した。


「訴えるってこと?」

「そう。幕府の権力を簡単に行使しようとしたこちらも悪い。向こうにも報道の自由はあるから。だから、正々堂々裁判で戦おう。必ず私たちが勝つ」


 彩美は立ち上がり、僕にも立つよう促した。


「どうせずっと寝てたんでしょ。せめて立ってストレッチでもしたら?」


 僕は言われるまま立ち上がる。


「裁判、か」


 彩美の真っすぐな強い眼差しに、僕は少しだけやる気が出てきた。


「明日、ちゃんと政務を再開すること。分かった?」


 彩美が、前屈をしながら僕に指示を出す。僕はその一言がとても嬉しかった。

 僕は、大阪幕府に居ていいんだ。彩美は、こんなどうしようもない姿を晒した僕を、まだ必要としてくれているんだ。

 僕は、大きく一度深呼吸をして、胸を叩いた。

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