四.週刊文節
大阪幕府老中の御用部屋には、日々様々な用事を携えた客人が訪れる。
今日は、国産の顔認証システムを手掛ける民間企業が営業に来ている。
「齋藤老中、こちらの商品なのですが……」
眼鏡の曇った、弱々しい態度の営業マンは、そっと製品を僕に差し出した。
「ありがとうございます」
「まず、利用者のお顔をこちらに登録します」
営業マンは、製品のパネルを操作し、僕の顔をカメラに映す。
『登録が完了しました』
製品は、想像した通りのロボット声で音を出す。このあたりの技術はいつになっても向上しないのか。
「はい。それでは、実際に承認されるかお試しください」
僕は顔を前に出す。
『認証に失敗しました』
そう言われた途端、装置の穴から熱湯が吹き出してきた。
「うおあっつっっ!!」
僕は不意打ちに、ソファの背もたれを飛び越え後ろへ倒れこんだ。
「ああ! 申し訳ございません! そんなはずはないのですが」
営業マンは、肩を丸めながら陳謝している。
「なんで熱湯なんですか」
僕はタオルで顔を吹き、ムッとしながら営業マンに尋ねる。
「元々私たちは給湯器の製造をしているメーカーでして、顔認証と上手いことシナジーを生ませることができないかと考えまして……」
「全然生まれてないですよ。部外者を追い払うにしてはちゃっちすぎますし、ただ不快感に包まれるだけです」
ああ、服までびしょびしょだ。
「大変申し訳ございません! 老中にこんな粗相を」
営業マンは、僕のため息混じりの態度を肌で感じ、深々と土下座をした。
「いや、もう大丈夫なので」
僕が頭を上げるよう言葉を発しようとしたその時、御用部屋の扉が勢いよく開いた。
「齋藤さま! 大変です! って、え……」
土下座をする営業マンと、それを上から見る僕を見て、蜂須賀は、顔をしかめてドン引きしている。
「齋藤さま、やっぱりこわかったんですね!」
蜂須賀は、自分事のように目に涙を浮かべている。
「いや、違うんだ。これには訳があって」
「きゃああ!!」
僕が一歩近付くと、蜂須賀は三歩後ろへ下がった。
まずい。キレたらすこぶるこわい上司だと思われてるっ!
「営業さん、なんとか言ってください」
僕は営業マンに、この誤解を解くよう促した。
「申し訳ございません! 私目のせいで!」
うおい! 誤解をぶち広げてどうする!
「帰ってください。お気をつけて」
僕は早く蜂須賀にいきさつを伝えたい。
「お怪我はないですか?」
蜂須賀は営業マンを気遣っている。こっちは熱湯かけられているんですけど!
営業マンは深々と頭を下げ、腰を低くしたまま御用部屋を出ていった。
「齋藤さま……私は何をしても失敗ばかりですけど、ぶたないでください!」
蜂須賀はギュウと目をつむり、ワイシャツの裾を握りしめている。
「そんなことするわけない! 蜂須賀は大切な大切な従者だ!」
僕は、いつにも増して優しい声を出し、蜂須賀に座るよう手を招く。
「ほんとにぶたないですか?」
蜂須賀は、僕の手がギリギリ届かない距離を保っている。頼むから僕を信頼してくれ。僕は彼女の目をまっすぐ見つめて頷く。
蜂須賀はゆっくりと僕の前に座った。先のいきさつを話し、誤解を解いたところで、彼女が来た理由を伺う。
「で、急いで来たけど、どうしたの?」
蜂須賀は、蜂柄ベレー帽を被りなおし、恐る恐る話しはじめた。
「週刊文節に、齋藤さまの記事が出るみたいです」
「はえ?」
突然すぎる話に、変な声が出る。
「僕何もしてないけど、どうせ飛ばし記事でしょ?」
正直、ちょっとだけ嬉しかった。老中になって五ヶ月と少し。ついに僕も記事が書かれるレベルになったのかと、誇らしさすら感じている。
「こういう記事なんですけど……」
蜂須賀は、スッと僕の前に掲載予定の記事を滑らせた。その記事にはこう書いてある。
『大阪幕府老中・齋藤瑞樹! 将軍をお持ち帰り! 国の二トップが熱い夜を過ごす!』
僕はあんぐりと口を開ける。
「なんだよこの記事!」
「見ての通りです! 齋藤さまがヤリチンっていう記事です!」
「誇張解釈をするなっ!」
突っ込んだはいいものの、記事を読むと誇張でもなんでもなく、文節が言いたいのはそういうことだった。
「こんな飛ばし記事本当に掲載するの!? おかしいでしょ!」
「明後日発売の文節に載るみたいです」
僕は驚きの後に、怒りが込み上げてきた。
「ふざけんなよ……。文節の発行元は日本大阪新聞社だったよね」
「はい」
「大河内の暴挙をリークしたのに。持ちつ持たれつの関係で、向こうも恩を感じているはずなのに」
蜂須賀は、いまいち僕の言っていることが理解できないようで、首をかしげている。彼女の姿でリークしたが、そりゃ本人に自覚はないか。
「記事の掲載取り下げ依頼をしよう」
僕は頭を掻きながら、蜂須賀に提案をした。
「日本大阪新聞社がそれを飲むでしょうか」
「飲ませるしかない。こんなのが出たら幕府全体に迷惑がかかる」
僕はあくまで強行姿勢だ。蜂須賀は素朴な疑問を僕に投げた。
「この記事、どこまでが本当なんですか?」
「そんなもの全部う……そではないな」
思い返すと、所々は事実だった。彩美を家に泊めたことは間違いない。ただ、その細部での会話や行為は、虚偽が多数混ざっている。
「ええ! 齋藤さま、えっちなお方だったんですね……」
蜂須賀はミニスカートの裾を少し伸ばした。
「いや、中身は嘘だから! 上っ面だけは事実なのが厄介だな」
僕は頭を抱えた。
「とりあえず、彩美に相談するよ。僕だけの問題じゃないから」
「それがいいと思います。将軍名義での取り下げ命令を出せば、文節も逆らえないと思います」
あまり権力を振りかざしたくはないが、これも回り回れば日本のためだ。そう考えよう。
「蜂須賀、ありがとうね。蜂須賀のおかげで事前に知ることができたよ」
「ええ!? 私にお礼なんかいりませんよ」
「また蜂須賀の悪いところが出てる。いきすぎた謙遜は人をだめにする。もっと自分に自信をもって。蜂須賀は立派に働いてくれているよ」
僕は穏やかに微笑んだ。
「齋藤さま、ありがとうございます!」
蜂須賀は蜂柄ベレー帽を取り、僕に差し出した。
「さっきは誤解して申し訳ございません! 齋藤さまは私の理想の上司です! 一生仕えさせていただきます! これ、受け取ってくださいっ!」
「いや、気持ちだけで十分だよ」
僕はやんわりとベレー帽を突き返し、豊臣御殿へ向かった。
豊臣御殿のインターホンを鳴らすも、彩美からの返事はない。
「いるはずなんだけどな」
もう一度鳴らす。
『開いてるから入ってっ!』
インターホン越しに、投げ放つような彩美の声が聞こえる。
ギイと建て付けの悪い扉を開けると、猛烈なスピードではんこを押している彩美がいた。
「ご、ご苦労様です」
そっと声を掛ける。
「今ね、ゾーンに入ってるの」
彩美は僕を一切見ずに答える。残像が見えるほどの早さだ。
「りん義書、溜まってるね」
彩美は一瞬手を止め、僕をジトッと見つめる。
「仕事が遅いって言いたいの?」
なんでそうなる。
「それは彩美が自分で思ってるから、そう解釈してしまうんじゃないの」
「うわ、いじわるなこと言ってる! いじわる瑞樹っ!」
ゾーンに入って変なテンションになってるぞ。
「そのりん義書の決裁が終わったらちょっと話があるから、待ってるね」
「おっけい」
彩美は、ちらちらと横目で僕を見ながら、高速で決裁をしていく。そんな見せびらかすようにしなくても。
「ふぅ。終わったよ!」
彩美は腕で額の汗を拭いた。大してかいていないのに。これまたポーズだ。
「ちょっと休憩する?」
「いや、大丈夫だよ。どうしたの?」
僕は将軍席の階段を上り、掲載前の記事を彩美に渡す。
「こんな記事が出るとのことです」
彩美はどんな顔で読むのだろうか。
しばらくの沈黙が流れる。彼女は真顔で熟読している。
「……なるほど。はい」
大袈裟なリアクションもなく、僕に記事を返す。
「え? もっと驚かないの?」
逆に驚きすぎて反応がないパターンか?
「いや、正直、あんまり分からないの」
「というと?」
彩美は前髪を一度触れ、僕に尋ねた。
「熱い夜を過ごしたって、何? そんなに熱くなかったよね? エアコンつけてたし」
僕はしばらく考えて理解する。
そうか! 彩美は将軍家の過保護のもと育っている。寿司屋で値段が分からないからと一〇〇万円をポンと出すような人だ。性教育もまともに受けていないはずだ。彩美は、性行為の間接表現を知らないんだ!
「ねえ、どういうこと?」
彩美は僕の目をグッと覗き込む。
「いやあ、まあね。あはは」
僕には笑ってごまかすことしかできない。
「いや、あははじゃなくてさ。この記事のどこがだめなの? プレイボーイって良い言葉なんじゃないの?」
そこも曖昧な理解なのか! 僕はどこから説明していいやら悩んでいる。
「良い意味というか、まあ良い意味で捉えられる時もあるけど、今回はその限りじゃないかな」
「そうなの? ちゃんと説明してよ。私はどうすればいいの?」
僕は恐る恐る、言葉を選びながら記事の解説をした。
「と、いうことなんだけど……」
彩美はこれでもかと顔を真っ赤にしている。
「だめだめっ! 絶対だめっ! だってそんなことしてないもんっ!」
そう言って僕の肩をポンと押す。危うく階段から落ちそうになる。
「だから、将軍名義で記事の取り下げ命令を出して欲しいんだ。明後日に発売されるから、今からなら間に合うはず」
彩美は腰巻をなびかせ、勢いよく立ち上がった。
「すぐに出す! こんなのが出たら恥ずかしすぎるっ! エッチは結婚する人としかやっちゃダメなんだからっ!」
……まあ今はその理解でいいや。知識の詰め込みすぎはよくない。
こうして、当日中に、日本大阪新聞社への取り下げ訴状が出された。
これで一安心だ。僕は家に帰り、晴れやかに一晩を過ごした。
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