三.水遊びと痴漢魔

 なみさんは、一切の興味を排除している。


「わたくしは誰とでもいいです。ウォータースライダーそのものが楽しいんじゃないですか」


 その通りだ! もっと言ってやれ!


「だめ! 誰と乗るかは公正公平にグッパで決めるよ!」


 彩美は左手をグッと握り、ハァと息をかけている。それは喧嘩の前準備だ。

 なみさんの耳がピクリと反応した。


「やりましょう。文句を言うのは無しですよ」


 ああ! 公正公平に反応しちゃったよ!


「私ならできる。私ならできる」


 初鹿野は手首をグルグルと回している。だからそれは喧嘩だよ!


「グッパで揃いっ!」


 全員で掛け声を発し、手を真ん中に出す。


「やったっ! 瑞樹さん! 行きましょうっ!」


 僕と初鹿野はグーを出していた。


「なんでっ! なんでグーを出したの!?」


 彩美が僕に詰め寄ってくる。近すぎる。


「なんでも何もないよ。気分。そんなに僕と乗りたいの?」


 僕は素朴な疑問をぶつけた。それならそれで嬉しいが、何か理由があるかもしれない。


「乗りたくないわけじゃないよ!」


 答えになっていない。


「そんなにわたくしと乗るのが嫌ですか? さすがに傷つきます」


 なみさんは、漫画のように、顔に縦線が細かくかかっているのかと見間違うほど、落ち込んでいる。


「いや! そういうわけじゃないよ! ほら、なみ、前か後ろどっちがいい?」


 彩美はなみさんの背中を押しながらウォータースライダーに並んだ。


「瑞樹さん、瑞樹さんはどちらがいいですか?」


 初鹿野が嬉しそうに覗き込んでくる。


「後ろかな。体重重い人が後ろの方が安定するらしいよ」

「分かりました! じゃ、行きましょうっ!」


 彩美たちに少し遅れて列に並ぶ。彩美はちらちらとこちらを振り返り、なにやら確認している。


「彩美公、そんなに私たちのことが気になるんですね」


 初鹿野は僕の耳元に顔を近付け、ささやく。


「彩美公が気絶した日、本当に何もしてませんか?」

「してないよ。なんで気絶したのかさっぱりだよ」


 幼少期に感じていた想いを伝えようとしていたなんて、言えない。


「瑞樹さんは、今はみんなの瑞樹さんでいてくださいね」


 初鹿野がギュッと腕を組んできた。


「おお!?」


 少し先で地団駄を踏む音が聞こえる。


「彩美公もしてたので、私だって権利はありますよねっ!」


 みんなの瑞樹さんというのはよく分からないが、老中として誰かを贔屓ひいきにすることはもちろんしない。個人として彩美に想いを馳せていても、それによって他の人との対応を変えるのは避けたい。


「いいけど、僕の腕を組んで何が楽しいのか、よく分からないな」

「ドキドキしないですか?」


 初鹿野はさらに体を密着させてくる。端から見れば、一番楽しい時期のカップルと勘違いされそうだ。

 僕は心臓の鼓動を必死で隠そうと、距離をあける。


「顔赤いですよ」


 初鹿野は、僕を指差しふふふと笑った。


「次のお客さんどうぞー」


 係りの人に呼ばれ、二人でボートに乗る。初鹿野の脇の下から、僕の足をボート前方に伸ばす。


「楽しみですねっ!」

「そうだね」


 ビュウウウウウ!


「うああああ!」


 ザパアァァァンッ!


 濡れながら急滑走するボートに振られ、ジェットコースターとはまた違ったスリリングさと爽快感を味わうことができた。


「すこぶる最高っ!」


 僕は人目も忘れて、ボートから転ぶように水中に潜り、勢いよく水しぶきをあげた。


「ちょっと! かかってますよ!」


 初鹿野が僕に水をかけ返す。


「やったな! ほれ!」


 僕は両手で水鉄砲を作り、初鹿野にかけた。


「ちょっともう行くよ! 後列の邪魔でしょっ!」


 二人でじゃれあっていると、プールサイドからキンと張る怒り声がした。

 彩美は腰に手をあて、立腹しているようだ。


「後ろがつっかえちゃうじゃん! 早く上がってきてよ! 恥ずかしいっ!」

「ごめんなさい」


 二人で頭を下げ、しょんぼりとプールサイドに上がる。将軍直々のお叱りだ。


「齋藤さん、楽しい時はとことんはしゃぐんですね。子供みたいですね」


 なみさんが、地味に引っ掛かる一言を差してくる。


「気を付けます」


 上っ面の言葉で返事をし、反省のポーズを取った。個人の性分はそう簡単に変えられるものではない。




 流れるプールにウォータースライダー、一通りザ・ブーンを堪能したあと、僕たちは昼食をとることにした。

 ザ・ブーン内にある売店で、それぞれの食べたいものを買う。僕は焼きそばとフランクフルトにした。

 綺麗に割れない木の割り箸で、焼きそばを頬張る。

 美味い! この油がいいんだ。使いすぎだろというほどに油にまみれている。具材は安価なもの使っているのだろう、それを紛らわすためのコーティングでもあるはずだ。良い意味で安い味。外でこそ食べたい味。僕は出店の焼きそばが大好きだ。

 フランクフルトも、外でかぶりつきたい料理の五本の指には入るかもしれない。青空の下でケチャップとマスタードをたっぷりとかける。パキッと真ん中で折って、指圧で同時に出すことができるこの容器は、世紀の発明だと思う。この気持ちいい感触を味わうためにフランクフルトを買っていると言っても過言ではない。そして、庶民感溢れるこの肉々しさ。ああ堪らない!

 プールサイドでの青空ランチを堪能していると、少し先で悲鳴があがった。


「きゃああぁぁ」


 僕たちは瞬時に声の方向を見る。


「痴漢です! あの男を捕まえて!」


 女性が指差す先には、白髪短髪のおじいさんが逃げている。


「僕が行きます」


 僕は三人に待機を進言する。


「いや、私も行きます! 治安維持は町奉行の使命ですから!」

「瑞樹、まお、お願い。絶対に逃しちゃだめ。痴漢は重罪だよ!」

「はい!」


 僕と初鹿野は逃げる白髪を、挟み撃ちで追いかける。


「やめてくれ! やめてくれ!」


 白髪はものすごい速さで、僕たちの追行を避けて走る。


「あの男、なんて速さだ。もういい歳だろ」

「はぁはぁ、胸が重いです!」

「聞いてない!」


 ちらっと初鹿野を見ると、豊満なバストがこれでもかと上下に揺れている。

 僕は即座に目を逸らす。

 白髪との距離は一度開いたが、急に彼の走る速度が落ちてきた。


「止まれ! もう逃げられないぞ!」

「やめてくれ! 違うんだ! 違うんだ!」

「確保っ!」


 僕は白髪を倒し抑え、腕を後ろで拘束した。


「はぁはぁ。やりましたね!」


 初鹿野が後から追い付いて、小さく拍手している。


「俺は知らない! 知らないんだ!」


 白髪は、倒れながら潔白を主張している。僕はさらに強く抑え、町奉行所に連行することにした。




 町奉行所の取調室で、白髪は必死に訴えている。


「俺はやってないんだ! 何も覚えていないんだ!」

「そんなわけないでしょっ! 目撃者はたくさんいるんです! さっさと認めて少しでも罪を軽くした方がいいですよっ!」


 初鹿野が、腰巻を着て被疑者と向かいあっている。僕は少し離れた所に椅子を置き、被疑者が暴走しないよう睨みを利かせている。


「もし本当にやっていないなら、逃げる必要なかったですよね?」


 初鹿野は冷静に詰問する。天真爛漫な彼女ばかり目につくが、仮にも町奉行。こういう時はすこぶる頼もしい。


「それも覚えていないんだ。気が付いたらあんたらに追いかけられていて、取り押さえられたんだ」

「もし記憶喪失を偽っているなら、さらに罪を重ねることになりますよ。この場で嘘はいけません。正直に話してください!」


 初鹿野は机をバンと叩いた。すぐに手首を振って痛がっている。ドラマの見すぎだ。

 僕は、白髪の肩に、蝶のマークのタトゥーが彫られていることに気が付いた。


「その蝶のタトゥーはなぜ彫ったんですか?」


 白髪は自分の肩を見ると、驚いた。


「なんだこれ! こんなん知らないぞ! タトゥーを掘ったことなんて、一度もない!」


 その表情は、演技とはとても思えない。


「瑞樹さん、どうしましょうか」


 初鹿野は、僕を見て困惑の表情をした。精神疾患の可能性が出てきたので、今後の対応を迷っているのだろう。


「記憶喪失か、多重人格か……」


 僕はあごを手に乗せた。


「一旦留置所に居てもらおう。医師の判断がないとどうにもならない」

「そうですね。分かりました」


 初鹿野は手続きのため、取調室を出た。

 蝶のタトゥー。僕は漠然と、不穏な胸騒ぎが感じている。

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