一.新体制
異国襲来と、それを受けての鎖国派と開国派の一連の政治抗争は、民衆から『
歴史上の名だたる事変や乱は、こうして後世に語り継がれていくんだなと、身をもって知った。
デリーが来航してから一ヵ月半が経った頃、枚方城を臨時本拠地にしている大阪幕府は、平穏な日々を取り戻していた。
「彩美、よろしく頼むよ」
僕は、豊臣御殿に出向き、将軍決裁が必要なりん議書を彩美に渡す。
「うげ、すこぶる多いじゃん」
彩美は、くさやを嗅いだかのように、顔をしかめた。
「はんこ押すだけでしょう。彩美が却下するであろう内容は、僕の段階ではねてるから」
「いつもありがとうね。側用人が不在の今、老中の瑞樹に頼りっぱなしだよ」
彩美はりん議書を受け取り、一番上の書類に目を通しながら言った。
「将軍を支えるのは当たり前だよ。僕は決めてるんだから」
「何を?」
彩美がこくんと首をかしげる。
「いや、なんでもない」
大阪幕府第五五代征夷大将軍・豊臣彩美は、僕の上司であり、幼馴染であり、好きな人だ。
好きな人が統治するこの日本を、僕は守っていくと心に決めている。
「そういえば、まおから誘われた?」
彩美は、将軍席から立ち上がり、僕のもとまで下りてきた。
「何の話?」
「プール」
急な単語に、思わず聞き返す。
「プール?」
「そう。政務も少し落ち着いてきたじゃん。まおがみんなを集めて遊びの計画を立ててるみたいだよ。夏もあと少しだしね」
彩美は、笑いながら胸を隠す。
「瑞樹、私をエロい目で見ないでよ」
僕は赤面しながら反論をする。
「そうやって言われると嫌でも意識するんだよ! 自ら誘うな! 変態!」
「へ、変態!? 心外すぎるっ! あんまり女性に使わないでしょその言葉は!」
彩美はキイとなり、僕の肩をポンポン叩く。
「男も女も関係ない。彩美は変態だよ。変態」
「いやあ! また言った! この人また言った! 変態って言った人が変態なんだよっ!」
彩美は黄色の腰巻を揺らしながら怒っている。そんな小学生みたいな反撃、一六歳にもなって使うかね。
「まあ、僕はまだ誘われていないし、女性陣で水入らずで行くんじゃないかな。楽しんできてよ」
僕は次の会議のために、豊臣御殿に出ようと扉へ向かう。
「き、来てよ! せっかくだからっ!」
彩美が後ろから声を張る。僕は立ち止まる。
「あんなこと言って、当日は水着で、エロい目で見ないってことは難しいかもしれない。それでも行っていいの?」
「そ、それは……」
彩美は腰巻をギュウと握って、目をつむっている。
「勝手にしてよ! そんなことっ!」
「まあ、行けたら行くよ。また日時は共有してね」
僕は、海遊館でのデート以降、彩美のことが好きだと気付いた。気付いたが最後、今までよりも積極的な姿勢で彩美に接することができている。
それが良いのか悪いのかは分からないが、色んな彩美の表情を見ることができるのは楽しい。
豊臣御殿を出た後、予定の会議室へ到着した。町奉行所内の組織体制の相談に、老中として同席する。
「瑞樹さん! おはようございますっ!」
初鹿野はいつ何時でも元気だ。頭につけている大きなリボンがルンルンと揺れている。
「ちょっとだけ遅れちゃった。ごめん」
「いえいえ! ギリギリまで書類が準備できてなかったので、ちょうどよかったです」
そうだとしても、それは言わない方がいいぞ! 会議室には、町奉行所の従者が数人立っている。
「で、相談とは?」
僕は周りを見渡し、検討をつけようとする。
「その前に」
初鹿野がチラシを一枚机に置いた。
「プール! 行きましょ?」
そう言った彼女の目は、有無を言わせぬほど輝いている。
「う、うん」
「やったっ! 瑞樹さんには絶対に来てほしかったので!」
やっぱり僕にも誘いが来たか。
「さっき彩美から聞いたんだよ。みんなで行くんでしょ?」
初鹿野は、大きく少したれた目で、僕をジトッと見つめた。
「二人でもいいですよ?」
不意な可愛さに、すぐに目を逸らす。
「二人はまずいでしょう」
「なんでですか? 前だって二人で四条に遊びにいったじゃないですか」
靴擦れした初鹿野を、映画館までおんぶしたことを思い出す。
「あれは濱島盗賊団からの護衛という名目だから」
「でも、していることはデートですよね?」
初鹿野が、机越しにグッと顔を近付けてくる。
「そうかなぁ?」
自分で言っていて厳しいと分かる。二人で映画はさすがにデートだ。
「また、瑞樹さんとお出掛けしたいです。私がプランニングするので、行きましょう」
初鹿野は、両手を貝殻結びし懇願する。
「とりあえずプールはみんなで行こう」
「はーい」
初鹿野は、背もたれにもたれかかり、少し不服そうな顔をした。
「それでですね、今日来ていただいたのは」
そうだ、本題を忘れるところだった。
「新体制になって、一時的に町奉行所預かりになっている従者が結構な数いるんですけど」
「うん」
「何名か老中配下に異動いただけないかと思いまして」
枚方幕府が閉幕した後、彩美は、鎖国派の役人も大阪幕府で雇用することを決断した。これはリスクも高いが、開国派を樟葉監獄に収容した枚方幕府のような行いは、絶対にしてはならないという意思の表れだろう。
そして、想定よりも自主退職が少なかったことから、ひとまず町奉行所に従者の管理をお願いしていた。
「いいけど、僕はあまり従者を使わないよ」
「知ってます。なので、ここだけの話ですが、あまり仕事ができない人を貰ってほしいんです」
それは僕に言うべきことじゃないだろ。すぐ後ろに、おそらく僕の配下になる従者も並んでるぞ!
「……今のは聞かなかったことにするよ。後ろに並んでいる四人でいいの?」
僕は四人の従者を一人一人見る。とても清潔感があって仕事ができそうだ。小袖ではなく、スーツを着ている。
「いえ、あと一人いるんですけど、ちょっと遅刻してまして」
初鹿野が、声のトーンを落とし、申し訳なさそうな顔をしたその時、会議室の扉がバンと勢いよく開いた。
「初鹿野さま! 申し訳ございません! 寝てました!」
そんな堂々と、全面的に自分のミスである遅刻理由を公表するな! 僕はその従者の顔を見る。
「ああ、五人目は彼女ね」
「はい。瑞樹さん、お願いできますか? 私には、ちょっと、なんというか、手に負えません」
言葉を選んであげて! 本人いるから!
「え! 私、これから齋藤さまの下で働くんですか!?」
「うん。よろしくね」
僕の会釈に、蜂須賀は蜂柄のベレー帽を押さえながら飛び跳ねている。彼女も彼女で、元上司が目の前にいるのに、よくそんな行動取れるな……。
「はづきちゃん、ちょっといい?」
初鹿野が、蜂須賀を部屋の隅に呼ぶ。
「……はい。はい。承知いたしました」
蜂須賀の顔がみるみる青ざめていく。
「ちょいちょい! 初鹿野! パワハラはだめ! 絶対! 権力を持つ者は優しさが必要なんだ! 寛大な心で接してあげて」
僕は蜂須賀を守るため、急いで仲裁に入る。
「ええ? ちょっと恋バナをしてただけですよ? ねえはづきちゃん」
「はい! 恋バナをしていただけです!」
蜂須賀はなぜか僕と距離を取っている。わけが分からない。
「じゃ、瑞樹さん! そういうことなので、従者五人を老中配下に置いていただけるといことで、いかがでしょうか?」
初鹿野は、席に戻り、最終確認を取る。
「問題ないよ。みんな、よかったね。こわーい初鹿野の下から脱出できて」
「ええ! 私こわいですか!?」
初鹿野は、唐突な僕からの攻撃に、口をあんぐりと開いた。
「冗談。初鹿野は優しいよ」
「よかったぁ」
初鹿野はほっと胸をなでおろしている。僕からこわいと思われることに、そんなに怯えているのか。
「じゃあ、プールの日時はまた電子手紙でお送りしますので、水着を準備して待っていてください!」
初鹿野は、川岸の向こうへ挨拶をする大きさで手を振り、会議室を出ていった。
「齋藤さま、初鹿野さまとプールへ行くんですか?」
蜂須賀が、数秒の間の後尋ねてくる。
「うん。あ、二人じゃないよ。多分幹部で行くんじゃないかな」
なにやら言いたげな表情だ。
「どうしたの?」
「あの……」
口をパクパクさせている。
「今度、私も連れてってほしいなって、思ってますっ!!」
蜂須賀は蜂柄ベレー帽を落としながら大きくお辞儀をした。
「いや、勝手に行ってくれたらいいよ。有休でも取って」
「福利厚生として! 齋藤さまに連れてっていただけたらなと!」
ええ……。上司はそこまでしなきゃだめなのか。
「まあ、考えてはおくけど、あんまり期待しないでね」
「はい! 楽しみです!」
「いや、だから」
なぜ女性陣はプールが好きなのか。
僕は頭を掻きながら、従者に頭を下げ会議室を出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます