声をかけてもままならず

 帝。これを聞いてびっくりしたり及び腰にならない日本人はまずいないはず。

 一応日本の中でいちばーん偉い人な上、平安ファンタジーでも意外とギャグやネタにはされていない。

 ちなみに『竹取物語』でもかぐや姫に無茶振りされてはおらず、押し入られたときに美人過ぎて求婚もなにもできなかったのを気の毒がられて、普通に文通友達には治まっている。

 で、そのひとがいきなりかぐやさんの元に押しかけてきたという。

 幸福湯というか、幽世どうなっとるんじゃ。現世で普通に生活している人間としては、理解ができない。

 それはさておき、どうしたものか。私は首を捻る。


「羽衣とおっしゃられましても、私も今日露天風呂で知り合ったばかりですし、見かけませんでしたけど」

「ああ……しかし彼女がまたしても私のことを忘れているようで」

「そりゃあまあ。幽世の月に帰っちゃったんですねえ、かぐやさん」

「帰ってしまった彼女に耐えられず、私だって富士の不老長寿の薬を飲んでしまったというのに」


 おお……。それには私は少なからず同情した。

 結構忘れられがちな『竹取物語』のラストでは、帝はこの世のお別れにと、かぐや姫から不老長寿の薬をもらっている。悲しみに暮れた帝は、それを富士山にお供えしたという。富士山には今も有名な神社があり、そのどこかにかぐや姫の不老長寿の薬が奉納されているとかされてないとか。

 で、それを飲んじゃったのか。帝。

 色ボケ……と悪口言いそうになるのを堪えながら、「それはまた」とだけ相槌を打った。

 帝はうな垂れている。


「彼女からしてみれば、大したことない話だったのかもしれません。ですけど私としてみては一世一代の告白だったのですよ」

「それは、まあ……」

「だというのに、彼女はさっさと天人と一緒に羽衣に身を包むと、さっさと月に帰ってしまいましたし。前に来たときも、私は懸命に求婚を重ねたのですが。やっと想いが通じたと思ったら、またしても彼女は羽衣を纏って月に帰ってしまいました。仕方がないので、次に会ったときは羽衣を始末しようかと」

「いや、それはさすがに今度こそかぐやさんにとどめを刺されるんじゃ」

「何故ですか!?」


 うーわー。面倒臭いよう。恋愛に身を焦がし過ぎた結果とうとう不老長寿にまでなってしまったひとにどうこう言うの面倒臭いよう。

 いくら小説で惚れた腫れたをさんざん書いてるからと言って、適度なアドバイスができるかと思ったら大間違いなんだぞ。

 私はどうしたもんかと思いつつ、なんとか言葉を選んだ。

 幽世に移り住んでいるひとだしなあ、偉いかどうかはともかく、言葉を選ばないことには首と胴がお別れするかもわからないし。


「ええっと、第一に帝さんの言葉が本当だった場合、かぐやさんからしてみれば、帝さんは不審人物です。そのひとが自分の荷物を捨てるとか言ったら、まず店主に言って宿の中だけでも接近禁止令を発動させるかと思います」

「我帝ぞ?」

「お客様のことは皆、最後に判断するのは店主でしょ」


 私の脳内で、悟りを開いたあおじの「ちゅちゅーん」という鳴き声が響いた。多分あおじにこのことを全部通報することになるんだろうなと視野に入れつつ。

 帝はまだ納得いっていないようだけれど、私はなおも口を開いた。


「第二に、今のご時世妻問い婚って時代でもありませんし、ましてやいくら帝が偉いからって、許可もなく押しかけてこられたら普通に怖いです。かぐやさんが籠城決め込んでいるのだって、入ってきて欲しくないからでしょ」

「そ、そんな……」

「私も授業で読んだ程度のことしか上手く言えませんけど、押しかけていって文通友達になれただけ、まだ温情はあったんだと思います。それ以上のことしたら、普通に嫌われますし居留守使われます」

「なら、今風に求婚するには、どうしたら……?」


 助けてぇ、助けて鶴子さんー。

 私だと恋愛脳の解決策なんて全然ないよう。私はもう投げ出してかぐやさんと一緒にご飯を待とうかと思ったけれど、こんなところにずっといられたらこっちだって困ってしまうし。

 やがて、戸が開いたかと思ったら、首だけにゅっとかぐやさんが顔を出した。


「ちょっと。折角初めて女友達ができたのに、邪魔するの止めていただけるかしら?」

「か、かぐやぁ」


 かぐやさんは相当青筋を立てていても、帝は反比例して喜び踊っている。

 これどう収拾付けるんだよ。私はあわあわしていたら、かぐやさんが言い切った。


「次変なことしたら、店主に言って接近禁止令出してもらうから。私が楽しく温泉に行ったらいけないのかしら?」

「そんなことはないよ? ただ皆が君に見とれて惚れ込んでしまうから」

「そういうの。うっとうしいから。だからあなたもうっとうしい」


 かぐやさんのひと言に、途端に帝はしおしおになってしまった。

 ……可哀想だけれど、こればかりは私もかぐやさんに同意するしなあ。うっとうし過ぎて今困ってるんだから。


「なら……どうしたら……」

「一対一でなんとかしようとするからうっとうしいのよ。それなら、皆で遊べばいいでしょう。皆よ、皆。それで遊べるんだったら、付き合ってあげてもいいわ」

「ほ、本当か?」

「だから帰って」

「本当だな、本当にいいんだなかぐや」

「ええい、しつこい!」


 とうとうかぐやさんは部屋に戻ってしまった。

 残された私は、気の毒に思いながら帝を見る。


「ええっと、そういう訳ですから。どうかこの辺で失礼して……」

「おうおう……かぐやとこれだけお話しできたのは初めてだ。礼を言う」

「はいぃ……?」


 そういえば。『竹取物語』でもこのふたり、文通してた割にはまともに会話したことがほぼほぼないんだよな。全部帝が勝手にしゃべってただけだし、かぐや姫もまた、一方通行じゃない会話したのは翁と媼だけだし……。

 帝はニコニコと笑った。


「それでは店主に相談してくる。ありがとう。本当にありがとう」

「……どういたしまして?」


 私は最初から最後まで引きずり回された覚えしかなく、途方に暮れた顔で、部屋に戻ることにした。

 帝が退散してから、ようやっと夕食が運ばれてきた。

 その日はきのこと馬肉の寄せ鍋を中心とした料理で、小鉢には柿の中身をくり抜いて器に見立てて大根と柿の甘酢和え、お麩と山菜の炊いたんと並んでいる。私はきのこを温めた出汁に入れつつ、馬肉をしゃぶしゃぶとして食べる。しゃぶしゃぶした馬肉にきのこをくるんで食べると、涙が出るほどおいしい。


「おいしい……」

「それはよかったわ」

「それにしても……あれでよかったんですかね」

「あれって?」


 帝のこと、本当にどうでもいいのかな。それとも帝の指摘通り、本当に忘れてるから不審者にしか思えないのかな。

 私はもう一度馬肉をしゃぶしゃぶしていたら、かぐやさんもまた私の真似して馬肉をしゃぶしゃぶして食べ、「あつーい」と火傷していた。

 それに少し噴き出しそうになりながら、私は答えた。


「先程尋ねてきていた帝です。あのひと人手を集めて交流なんてできるんでしょうか」

「あら、できなかったら私と遊べないだけだわ。私だって一対一で会うのは嫌だし、できないなら会わないだけで」

「……やっぱりかぐやさん、あのひとのことは」

「好きとか嫌い以前に、変なひとと思ってるけど」


 そりゃ見知らぬ私に向かって自分語りおっぱじめてきたら、変なひと認定されても仕方ないとは思うけど、かぐやさんにばっさりされたら可哀想とは思う。私が甘いのかもしれないけど。

 かぐやさんはようやく火傷が治まったらしく、今度はゆっくりと馬肉を食べて「おいしい」と微笑んだ。それはよかった。

 それから彼女は続けた。


「だって、不老長寿の薬あげたら、自分と私とは違うって諦めがつくのかもと思ったけど、しつこいんだもの。千年追いかけられたら、普通にいやんなるけど、あのひと飽きないのよ。変なひと」

「あ、あれ……? かぐやさん、もしかして帝のこと覚えておられるんですか?」

「ええ。あのひと私のこと勝手に記憶喪失扱いするけどなんでかしらね?」

「あれ……私が聞いてる話だと、羽衣を被せられたら、この世の記憶がなくなるとか……」

「だって、私は罰として地上に送られたのに、帰る以上は罰を充分受けて反省しましたって顔するのは普通じゃないの? それとも現代だったらその考えは古いのかしら」


 これは……。私は千年間も勘違いしたまま進行しているふたりの関係に頭が痛くなった。

 彼女からしてみれば、自分と違うからさっさと諦めればいいのにわざわざ彼女と同じように不老長寿になってしまった変人で。

 帝からしてみれば袖にされ続けて千年経っても追いかけ回すほど好きって。

 ……私は慌ててご飯を食べると、最後にお茶を飲んだ。


「ごちそう様です! 今回はお呼ばれありがとうございました!」

「ええ。また来てね」

「そのうち!」


 私は元来た道を急いで帰った。

 おそらくこれ以上は、馬に蹴られて死ぬんだろうなと思いながら。

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