面倒くさいが嫌いになれない
次の日、私は朝に足湯に入りに出かけた。景色を楽しみたかったのが半分、考えをまとめたかったのが半分だ。
あまりに独特過ぎるかぐやさんと帝のやり取りを、私はほっぽり出してきて逃げてしまったがあれでよかったんだろうか。かぐやさん個人とはまたお話ししたいものの、帝の間に挟まるのは勘弁願いたいというのがある。
「人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死ねっていうけど、死にたくもないしなあ……」
ひとりでそうぶつぶつ呟いていたら、足湯には既に先客がいた。
若彦さんがひとりで温泉卵を食べながら、足湯にのんびり使っていた。私の姿を見て、会釈をしてくれた。私も思わず会釈を返す。
「どうしました、浮かない顔をして」
そう尋ねられ、どうしたもんかと考える。
「友達になりたいなあという人に横恋慕している人の対処法がわかりません」
「ほう」
若彦さんは私のほうにひょいと卵を差し出した。
「先日も買いました売店で買った温泉卵ですけど、よろしかったらどうぞ」
「……いただきます」
私はそれを割ってもしゃりと食べた。おいしい。ほっくりとした黄身の味が気持ちを和ませてくれ、少し落ち着きそうだ。
相変わらず足湯は心地よく、程よい朝冷えとお湯の熱さのコントラストで、気持ちも静まった。そして眼前には相変わらずの美しい紅葉と桜。
これだけ美しいものって、慣れることはあっても案外飽きないものだなと、しみじみと思いながら私は温泉卵をもうひと口だけ頬張ってから言葉を続けた。
「私自身、現世でも友人の恋愛にうっかりと挟まってしまい、さんざんな目に遭っているので、これ以上介入すべきか、もう見て見ぬ振りして彼女とは友達になりたかったが残念だったで済ませるべきかで、悩んでいます」
「難しい問題ですね」
「はい。難しいんです。だって、彼女が悪い訳でもありませんし」
かぐやさんは、ただその場にいるだけ。
月で罰を受けて地上に降ろされ、親切な老夫婦の元で成長し直していただけ。美貌のせいで大量に求婚者を引き寄せてしまい、無理難題を言って帰ってもらっただけ。そして無理難題を言える相手ではない帝は文通してもまだ諦めず、わざわざ不死の妙薬を飲んで追いかけてきているが、女友達が欲しいかぐやさんからしてみれば、いい加減にしてくれで怒っている。
千年かけた恋に挟まる私は、普通に邪魔者だが、千年かけて辟易しているかぐやさんの立場はどうなるんだとか、帝もなんで今になってやってくるのとか、思うことが上手くまとまらないんだ。
若彦さんはのんびりと言った。
「自分は奥菜さんはそのスタンスのまんまでいいと思いますよ」
「……それ、無神経じゃないですか?」
「いえ、ちっとも。むしろ普通に『そんなの関係ない』でほったらかしにするほうが普通ですよ。でもふたりに気持ちを割いている上に、友達になりたい方を気遣っている。それで充分じゃないですか」
「うーん。仲人とかは」
「する必要ありますかねえ。むしろ、現在進行形で、その横恋慕しているほうが奥菜さんからもその友達になりたかった方からも嫌われているんですから、これ以上のことはしてこないと思いますよ。というか、これ以上のことをしたらここの店主が黙っていませんから。あれでも店主はお客様第一主義ですからね。これ以上は迷惑かかると判断した場合は、店主権限で追い出しにかかります」
私は思わず脳裏に「ちゅちゅーん」と頼りになるのかならないのかちっともわからないあおじが頭に浮かんだ。
まさかとは思うけど、あのすずめは帝を追い出せるくらいに強かったんだろうかと、少しだけ考え込んでしまった。
それに若彦さんが笑った。
「そんな訳ですから、あまり奥菜さんが気にする必要ありませんて。その横恋慕の方だってこれ以上嫌われない方向で考えるでしょうから大丈夫ですよ」
「そうですか……わかりました。お話し聞いてくださりありがとうございます」
「いえいえ」
「あっ、温泉卵……」
さすがにおごってもらっちゃまずいかなと思ったけれど、若彦さんが「いえいえ」とやんわりと止める。
「別にお気遣いなく。たまにでいいので、自分の正体について思いを馳せてくれたら、それだけで充分です」
「あー……すみません。どっかであなたの名前を見たと思ったんですけど、上手く調べることができず……」
「そうですか。まあ、気長に探ってくださいよ」
そう言って若彦さんは目を細めた。
****
「だから言ったじゃありませんかあ。かぐやさんはひとでなしだって」
足湯から戻ってきたら、部屋はすっかり片付けられて、代わりに朝ご飯が並んでいた。
今日はきのこを中心とした炊き込みご飯に、貝の味噌焼き、だし巻き卵に熊の甘露煮と豪華だった。甲斐甲斐しく給仕をしてくれている鶴子さんは、気のせいかプリプリしていた。
「あのう、かぐやさんは久し振りだと言ってましたけど」
「かぐやさんはそうかもしれませんけどね、帝さんはそうじゃないです。あのひとがあんまりにも湿っぽいから他の女中が無理と断ってきたので、今や私がほぼ専門の担当になってますけどね。あのひとの気持ちもわからなくもありませんから」
「あれ、そうなんですか?」
たしかに鶴子さんは恋愛脳が過ぎる人とは思っていたが、あれだけ暴走気味な帝の気持ちがわかるとは思ってもみなかった。
それに鶴子さんは「わかりますよぉ」と答えた。
「というかですね。かぐやさんが誰かひとりを選べないっていうのなら、あれだけ傍若無人でも誰も選ばないんだなで終わる話なんです。ただあの方、誰にだって気を持たせますから。それが彼女の気まぐれであったとしても、溺れる者は藁をもすがる、そういう風にできてるんですからね。あまりにもそれは、ひとでなしという奴ですよ」
「なるほど……」
私はそう言いながら貝の味噌焼きを食べた。ほんのり焦げた味噌の苦みと貝の甘さとジューシーさが合わさってものすごくおいしい。
それはさておいて、鶴子さんの言い分も恋愛脳が過ぎているとは言えど、少しわからなくもないとは思った。
でもなあ……。
帝の立場を思い、お世話になっている老夫婦の立場を思えば、かぐやさんは帝の言葉を無下にできたり断れたりはできたんだろうか。大量にやってきた求婚者を「いや」のひと言で鎮められたんだろうか。
無理だよなあ……と思ってしまう。
断ったらなにされるかわからないとなったら、向こうから折れてもらうしかなくないか。そう考えたら、彼女が誰に対してものらりくらりとしていた気持ちもわからなくはない。
「私はあれですねえ……かぐやさんのこと、面倒くさいとは思いますけど、やっぱり嫌いにはなれませんね」
「あれ? 奥菜さんはもっと面倒くさがりかと思ってましたけど」
「そりゃ面倒ごとは好きじゃありませんけど。小説って面倒な言動をどうして面倒なのかって考えながら書くものなんで、ひとの感情の機微まで面倒くさいって投げてしまったら書けるものも書けなくなってしまうじゃないですか……ただ、面倒ってだけで、彼女のこと嫌いにはなれませんよ」
彼女の立場上、もう帰るのがわかっていたんだから、久々に降りてきた程度に好きな場所にも未練を残せなかった。だから誰も選べないし選ばない。
そう考えたらやっぱり嫌いにはなれないんだ。
それに鶴子さんは「それもそうですねえ」と答えた。
「つくるのが簡単だからって、好物がお茶漬けのひと、ほとんどいらっしゃいませんし」
「……まあ、そうですよね」
思わずずっこけそうになりながらも、私は頷いて今日も赤だしをすすったのだった。
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