衣を裂いたような声の主

 私は肩に乗るあおじを見ると、あおじはバサリと飛びはじめた。


「このいったいはうちのしきちないじょう、おきゃくさまのききです! おきなさまたいへんもうしわけありませんがわたしはいきます!」

「あっ、待って!」


 私はできる限り走ってあおじに付いていった。

 元々あおじに来てもらったのは、神様たちに難癖付けられないため。離れられたら困るのだ。その上、その悲鳴の元凶がなんなのかを知りたいという興味本位が働いていた。

 危険とネタ探し。

 ここで普通は安全第一に天秤が傾くところを、スランプ中の小説家はネタに傾くのだからどうしようもあるまい。

 私は必死に走ってあおじについていった。

 幸いというべきか、あおじは小さなすずめでも、すぐに「ちゅちゅーん!!」と鳴くために見失うことはなく、そのまんま追跡することはできた。

 やがて、しくしく泣いている声に気付いた。

 私は誰だろうと思っていたら、あおじがそのひとの元に降りていって話を聞いている最中だった。


「おきゃくさまどうされましたか?」

「わたくしの……」

「はい」

「わたくしの羽衣が破れてしまって……このままじゃ帰れません」


 えっ。

 私は泣いている人のほうを思わず凝視してしまった。

 長く艶やかな髪を、前髪きっちり切り揃えて、和人形を思わせた。体は白くて温泉上がりなのか頬と唇だけぼってりと血行よく赤い。そして。

 幸福湯の備え付けの浴衣に加え、なにかを枝に見事に突き刺していた。半透明な布に見える。スカーフかなにかわからないけど……羽衣って。

 真っ先に思い浮かぶのは、天女の羽衣。

 天女伝説は日本全国にあるし、内容やオチもバラバラだけれど。基本的に天女が地上に遊びに来た際に、人間の男に恋をするという話が一般的だ。その天女を現す特徴が、彼女がショールのように巻いている羽衣。

 衣を裂いたような悲鳴だと思ったら、本当に衣が裂けていた。私はしょうもないことを思いながら枝を眺めていた。とりあえずこれを取らないと駄目だよね。

 私はきょろきょろと辺りを見回すと、温泉に使っていたのか木桶があった。私はそれを台になるよう地面を踏み固めてからそれを逆さにして置くと、台代わりにそれの上に乗った。


「よっと……!」


 私はそれをピョーンと飛んで枝に突き刺さっているそれをなんとか取ろうと試みるも。私が羽衣を掴んだ途端。もっとビリッと音をして引き裂いた。


「あっ……」

「あああああああああああ」


 天女さんは顔面蒼白だ。私は裂けた羽衣を握って茫然と立ちすくむ。


「も、申し訳ございません……」

「いいんですいいんです、どうせ私いっつもそうですから」


 天女さんは袖でしくしく泣きながら、いじけはじめた。


「ちょっと水浴びしてたら羽衣盗まれますし、ちょっと海泳いでたら羽衣盗まれますし、ちょっと遊びに行ったら羽衣盗まれますし、皆私の持ち物綺麗だからって、なにしてもいいと思ってるんですよ」

「そ、そこまでは思ってないんじゃ……」

「全国津々浦々に私の恥さらしの本出された身にもなってくださいよ。千年前の失敗なんて、もう許して!」


 そう言って天女さんはしくしくを通り越して、わんわんと泣きはじめた。

 ……羽衣伝説として書き連ねられていじけている天女なんて、私初めて見たかもしれない。そして自分がうっかりだという自覚はあったのに治らなかったのねと、不治の病のうっかりに唖然とする。

 私はあわあわと「そんなことないですよぉ」「私、羽衣伝説とかって結構好きですよぉ」「恋のはじまりなんて皆うっかりが原因じゃないですかあ」と必死で慰めるものの、泣くばかりだ。

 お客様泣きっぱなしだけど、あおじいいの。

 私は思わずあおじを睨みそうになったものの、あおじは「しょうしょうおまちくださいませ!」と言って飛び去ってしまった。なんだあのすずめ。

 思わずむぅーっとなってしまったが、あおじは慌ててこちらに戻ってきた。


「かくにんしましたが、だいじょうぶとのことです! はごろもしゅうぜんできますよ! ただおじかんはしょうしょういただくかとおもいますが」

「……本当に?」

「はい。うちにはうでききのはたおりがおられますから!」


 そうあおじはきっぱりと言った。

 機織り。機械に縦糸横糸通して、トントンと織る人。

 そんなひとっていたっけか。私は首を捻ったものの、あまりにもわかりやすい名前のひとが、そういえばいたと思い至った。


****


「久しぶりですねえ、突然お客様のお品の機織りを任されるのは」

「つるこさん、できますか?」

「この糸は、幽世有数の生糸ですけど、なんとかなると思いますよぉ。そんな訳でしばらく作業部屋に篭もりますから、少々お待ちくださいましね」


 鶴子さんは天女さんの羽衣を預かると、それを持って作業部屋と呼ばれた部屋へと入って行ってしまった。

 奥をちょっとだけ見たけれど、部屋の半分を占めるほどの大きさの機織り機があるのに圧倒される。


「鶴子さんって、ええっと……」

「うちであずかっているつるですよ」

「やっぱり……これって私が正体知っていいんですかね?」

「つるこさん、こいにこいするしょうぶんですから、すぐべたぼれしたかとおもったらしつれんするんですよ。そのたびにすとれすはっさんにさんざいしては、うちでおしごとをなさるんです」

「まあ……」


 知っている鶴の恩返しでも。

 助けてくれた猟師さんにひと目惚れして押しかけ女房になり、生活の足しにとせっせと機を織っては売りに出し、正体を知られるまでは自分の羽をむしっては機織りを続けていたんだっけ。

 それを恋愛脳と呼ぶにはあまりにも自己犠牲が過ぎて、からかう気にはなれないんだよなあ。

 それが彼女のお仕事に繋がっているとしたら、いいことなんだろうか。よくないんだろうか。その辺りは現世感覚しか持ち合わせていない私ではよくわからない。

 私が思わず黙ってしまったのに、あおじは「ちゅちゅん」と鳴く。どうもその鳴き声は笑っているようだった。


「うつしよからしてみたら、とんちんかんかもわかりません。ただかくりよからだと、うつしよほどのんびりはしてないのですよ」

「あれ? 逆だと思ってましたけど。だって神様や妖怪のほうが、長生きですよね?」

「たしかにかみさまはながいきですが、あやかしはそのかぎりではございませんよ。うつしよにいられるじかんはいがいとみじかいですから、かんがえがせつなてきになってしまうかたはたくさんいらっしゃいますから。てんにょさまにしろ、つるこさんにしろ」

「なる……ほど?」


 あれかな。神様は割となんでもかんでも長命種視点で見るのに対し、あやかしは意外と動物と同じで短命種的な考えなのかもしれない。

 そりゃそうか。死んだら誰だって現世にはいられないんだから、現世にいるひとを好きになったとしても一緒にはいられないのか。

 この辺りはメモっておこうかな。

 私があおじを肩に乗せたまま走り書きしている間も、パタンパタンと機織りの音が響く。

 やがて、作業部屋のドアが開いた。


「お待たせしましたぁ、羽衣の織り直し終わりましたよぉ!」

「わ、わあああ……」


 途端に天女さんがパタパタと走ってきた。

 穴が空いた部分を少し解き、鶴子さんの手持ちの生糸で織り直したため、もうこの羽衣枝に突き刺さってたんですよと言われないとわからない。

 天女さんは鶴子さんにペコペコと頭を下げていた。


「ありがとうございます、ありがとうございます!」

「そりゃよかったですぅ」

「はい、これで男をしばきに行けます!」


 うん? なんかおそろしいこと言っているぞ、この天女。

 私は思わずあおじを見つめた。あおじは「ちゅちゅーん」と鳴いた。どうも困っているようだ。


「おきゃくさまのじじょうはぜんぶははあくできませんので」


 温泉宿の店主って、どこまで介入すべきかせぬべきか、意外と大変な仕事らしい。これもメモっておこう。

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