押しかけ嫁の言い分
私はあおじを肩に乗せ、元気に立ち去っていく天女さんを見送っていた。そのあと「ふうっ!」と作業部屋から出てきた鶴子さんに感嘆の声を上げた。
「すごいですね。短時間であんなに見事な織物を」
「いえねえ。花嫁修業に一環ですよ。相手を食うのに困らせない。花嫁の勤めですから」
鶴子さんは「ふふん」とでも言いたげに胸を仰け反らせた。なるほど。私は鶴子さんに「ええっと」と口火を切る。
「鶴子さんって、いわゆる『鶴の恩返し』の鶴……なんですかね?」
あおじは大丈夫と言ってくれたけど、これって指摘して大丈夫なのかなと頭の隅で疑問に思った。それに鶴子さんは「あはは」と笑う。
「ばれちゃいました?」
「ばれちゃいましたというか、この話は日本人だったらほとんどの人が知っている話かと」
「そうですねえ……私、鶴ですけど猪突猛進なんですよ。好きになった人は相手が折れるまで押して押して押しまくれと言いますか」
「……なるほど」
絵本で知られている『鶴の恩返し』では貞淑な妻っぽい印象だったけれど、よくよく考えてみれば押しかけ嫁が貞淑な妻な訳はなかったか。
私が思わずメモ帳を広げてそれをメモっている中、鶴子さんは「ふふーん」と胸を仰け反らせた。だからなんで。
「だから私が押しかけたら、それはそれはもう楽しい! 夫婦愛が繰り広げられるんですけど……なあんか、最近は上手くいかないんですよねえ……」
「ええ? 今って結構草食男子やら惚れっぽい男子やらが多いですから、鶴子さんみたいな人が押したらすぐ上手くいきそうな気がしますけどねえ」
なんだかんだ言って、男女問わずに好かれて嫌な気になる人は少ないと思う。相手との相性もあるだろうけど。それに鶴子さんは「ですよね、私、間違ってませんよねっ!」と声を荒げた。
いや、私もその辺りは知らんけど。
「今って、すぐなんでもかんでもネットに上げるじゃないですかあ。私が鶴だってバレた途端にびっくりして皆すぐにスマホで撮るんですよぉ」
「ええっと、そりゃまあ」
いきなり自宅に押しかけてきた彼女が、「開けないでください」と注意勧告出して空き部屋に篭もり、それを開けてみたら鶴だったら、びっくりして写真を撮りそうな気はしている。でも行儀が悪いし、彼女にすべきことでもないんだよなあ。
鶴子さんは息巻く。
「それを撮った彼氏、すぐネットに上げるんですからぁ。しかもそれを【嘘つき】とか言われて、しょぼくれるかキレるかで、最終的に私たち大喧嘩して別れちゃうんです。もう知りません知りません。人の甲斐性台無しにする人は」
「それは、まあ……」
他に言いようがなかった。
行儀悪くも写真を撮る人の気持ちも、それに怒る鶴子さんに気持ちも、わかるようなわからないような。
鶴子さんはだんだんとテンションを上げてくる。
「私のことをネットに上げるとかは別にかまわないんですよ。神様とかだったら、勝手に写真撮られるんじゃないとか怒られますけど、私別に神様でもなんでもありませんし。でも【嘘つき】呼ばわりしてきたのはネットを見た人であって、私にはなんの落ち度もないじゃないでsか。ああいうのを、性格が悪いって言うんですから!」
「ま、まあ……そうですね?」
「今は傷心中ですので、こうして店主様のお店で働いてるんです。傷心を人間にぶつけてもしょうがないため、ひとの世話をして骨休みしてから、再び現世に戻って逆ナンを展開する予定です」
あおじは鶴子さんのことを恋愛脳だとばっさり言っていたが。
ここまで許して尽くして報われない押しかけ嫁っていう、属性過多なキャラクターをどう処理すればいいのか、さっぱりわからん。
私は顔を引きつらせていると、あおじは「ちゅちゅーん」と鳴き声を上げた。
「つるこさんつるこさん、そのへんで。そのへんで。こまってらっしゃいますから」
「あ、はっ! ごめんなさい、おきなさんにしゃべり過ぎてもいい話ではなかったですね!?」
「い、いえ……こんな人もいるんだなあという見聞を深められましたので……はは」
「ごめんなさーい! ああ、そうだ。昼食はどうされますか?」
「そうですね。食堂で食べようかと思ってましたけど、今日のメニューでお勧めなのはなんですか?」
食堂はぱっとお品出しを見た限り、ファミリー食堂みたいなラインナップだった。
朝が料亭の朝ご飯、夜はごちそうフルコースなんだから、昼はちょっと手抜きしたものを食べてみたいところだ。
それにあおじは「ちゅちゅーん」と鳴き声を上げた。
「うみのさちのどんぶりがございますよ。そのひのとれだかでかわりますから、おなじものをちゅうもんしてもあしたたべられるかはわかりません」
「わあ、おいしそう」
「やまのさちのばあいは、てんぷらどんでございますね。こちらもそのひとれたものをちゅうしんにおだししますので、こんだてがかわります」
「そっちもいいなあ。じゃあランダムなどんぶりをどっちにするか考えてみますね」
「はい、それではごあんない」
こうして私は鶴子さんと一旦お別れして、あおじと一緒に食堂へと向かった。私は腕を組んであおじに尋ねてみる。
「鶴子さんはああ言ってたけど、異類婚姻譚ってそんな頻繁にあるものだったの? 鶴子さんが今も昔も普通に人間とお付き合いあったことにも、SNS活用してたことにも驚いたけど」
「ちゅちゅーん。げんだいのほうが、きせいがいねんがこりかたまってかくれやすいばあいもございますね。こせいをだいじにしつつも、どうせこうだからこうだろうと、いっこうにしんじないからぎゃくにかくれやすいという」
「なるほど……」
世の中、結構SNSの普及のせいで見聞は深まったと思うけれど、それは学者くらいのものかもしれない。一般人のほとんどは、自分の常識が他人の非常識だと気付かないから、自分の知っている常識と外れたものを見ても「ありえない」と一蹴してしまうから見落としてしまう。
鶴子さんはそこにすっぽりと治まって今でも異類婚姻譚を楽しんでいるんだからかなり逞しい人だ。
「私には結構無理かもなあ。あそこまでアグレッシブにはなれないわ」
「つるこさんほどおげんきなかたもなかなかおられませんよ」
「あおじが言うんだったら、そうなんだろうねえ」
そうふたりで言い合いながら食堂に入ったら、既に先客がいるようだった。そこにいたのは若彦さんだった。食べているのはかきあげ丼みたいだった。
「わあ、おいしそう」
「あれ、奥菜さんですか。こんにちは。今日は取材は?」
「今ちょーっと異類婚姻譚の見聞を深めてきたところですよ。あ、おいしそう。このかきあげ……」
「季節の野菜に出汁を利かせてありますね。同じもの召し上がりますか?」
「うーん。私は違うものを食べたいかなあ。すみません、私に海の幸の海鮮丼ください」
店員さんにそう声をかけた。
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