第9話.地獄の二丁目

 花蓮は言う。まだ言ってないことがあると。


 お互い正直に告白し、終わったと思われた僕たちの話は延長戦に突入することになった。


 誘われてしまった地獄の二丁目。今さら聞いてどうするんだと思うところもあるけど、ここまで来たら全部聞いてやると覚悟を決める。元々、関係が拗れたのは僕が暴走したせい。自業自得、因果応報、毒を食らわば皿までだ。……ちょっと違うか。


 とりあえず、話を聞くため彼女をブランコに座らせた。相変わらず思い詰めた顔。


「えっと、それで、まだ言ってないことって?」


「あの、この際だからね、言っちゃうけど……、キ、キスは、キスはしてました。ごめんなさい」


 あー、やっぱりそんな話か……。


 僕は顔をぬぐうとハーっとため息をついた。驚いたしすごく嫌な気分だけど予想の範囲内。二ヶ月も付き合っていたならキスをしていても不思議じゃない。一年付き合っていた僕はしていないけどね……。


 ただ、三橋はキスをしたなんて言っていなかった。まぁ、彼にとってはキスなんて人に自慢するようなことじゃないのだろう。


「そっか。付き合ってすぐにしたの?」


 なにげに訊くと、彼女はプルプルと首を横に振る。


「よ、四ヶ月後くらいかな」


 ん!? 変だ。確か、三橋と付き合っていたのは二ヶ月ほど。付き合って四ヶ月後にキスだと計算が合わない。


 何か凄まじく嫌な予感がして顔が引きつる。


「えっと……、三橋とだよね?」


 恐る恐る尋ねた。すると、彼女は目をつむり、またプルプルと首を横に振った。


 否定した。ということは別のやつと!? うわぁ、そう来たかぁ……。


 きつく目をつむり天を仰ぐ。さすがにこの展開は予想していなかった。


 この際だからと始まった新たな告白、この際だから黙っててほしかった。全て聞いてやると覚悟を決めたはずなのに、予想以上に嫌な話の流れに決意が揺れる。


 胸の中にドロドロとした憎悪が湧き始めた。


 いやだ。これ以上は聞きたくない。


 でも、そんな僕の心の声を知るはずもなく彼女は話を続ける。


「三橋君とのあとにね、付き合った人がいて……」


「――っ!」


 力が抜け、ぐらりと倒れそうになる体をブランコの支柱を掴んで堪えた。


 なんなんだよ結局。キスをしてた上に交際人数も偽ってて。そりゃあ、過去に花蓮が誰と付き合って何をしようと勝手だけどさぁ。


 憎悪は溜まり続け、前回と同じように怒りの感情が膨れ上がる。怒らないと言ったことはもう忘却の彼方。ところが……。


 落ち着け僕! 感情的になったら駄目だ!


 暴走への道に転げ落ち始めていた心を抑えた。ここでまた怒鳴ってしまったら前回と同じ。同じ過ちは繰り返さないと自身を奮い立たせる。


 僕は目をつむり深呼吸をした。大きく息を吸い、そして長く吐く。少し落ち着いたことろで顔を上げ尋ねた。


「……誰なの?」


 彼女は顔を逸らし更に強く目をつむる。叱られた子供のよう。僕は固唾を呑んで彼女の言葉を待った。


 彼女は言おうとしては躊躇し何度も顔をひずませている。その様子を見てドキドキを通り越し、ドッドッドッと胸が鼓動し始めた。


 そんなに言いづらいだなんて、大学生や社会人、まさか先生や監督だったりしないよね? ダークホースで竹本や平内だったら怖いな。


 彼女の沈黙は僕の考えをどんどん悪い方向へと導いていく。ある意味、同じクラスの男子と言われたらホッとしてしまいそう。


 ためにためている彼女はやがて大きくうつむく。そして、ついに震える声で告げた。


「……ミ」


「ん?」


 絞り出された声は掠れている。よく聞こえない。


「……ナミ」


「えっ? だれ?」


 耳を近づける。


「ミ……、ナミ……」


 ミナミ?


 僕は思い出そうと遠くに目をやる。みなみ三波みなみ皆実みなみ……、知り合いにはいない。僕の知らない人だろうか。


 いや、そういえば花蓮と同じクラスに南田みなみだって男子がいたはず。確かバレー部だったような。同じクラス、同じ体育館。その人かな。


「えっと、花蓮のクラスの南田君?」


 彼女はプルプルと首を横に振る。どうやら違うようだ。


「ミナミだよ、ミナミ」


 やっぱりただのミナミか。彼女は分かるでしょと言わんばかり。


 うーん、どこかで聞いたことがあるんだけど……、ん!?


 僕の知り合いで一人だけ該当する人がいる。でも、その人って……。


「まっ、ま、まさか……」


 そう言ってバッと彼女の顔を見ると、彼女は目をつむったまま、そうだとばかりに何度もうなずいている。もう誰だかは分かっている。けれど、まだ信じられない。僕は尋ねた。


「もしかして……、野口さん?」


 彼女は大きくうなずいた。


 はぁ!? 野口さん!? なになに? ど、どういうこと!?


「じょ、じょ、冗談だよね?」


 半笑いでそう尋ねると、彼女は僕の方を見上げ困り顔で首を横に振った。そして、はっきり言う。


「私と美波、中学の時に付き合ってたの」


 ……。え"ーーーーーーっ!?


 あまりの衝撃に思わず声に出そうになる。


 えっと、待って。花蓮(♀)と野口さん(♀)ということは……、つまりそういうことだよね?


 僕が何を考えているのか察したのか彼女が口を開いた。


「あっ、あの、勘違いしないで。私はそのはないから。普通に男性が、裕太のことが好きだから」


「そっ、そうなんだ。ありがとう」


 ありがとう? なにを言っているんだ僕は。


 なぜかホッとして意味不明な返事をしてしまった。僕は混乱している。


 そんな僕を尻目に彼女は話を続けた。


「私と美波はね、小学校も中学校も違ったけど、同じ校外のバスケチームに所属しててずっと仲が良かったの。それでね、私が三橋君に嘘告されてしばらく付き合ってたって話をしたら、急に美波から告白されて、ビックリして、でも無理って断って、泣かれて、可哀想になって、お試しでいいからって言われて、なんか流されちゃって……」


「で、付き合ったと」


 こくんとうなずく。


 いやいや、そこ流されちゃ駄目なとこでしょ。


「私もね、それまで何度か男子から嘘告を受けてたし、三橋君のこともあってなんとなく男性不信になっていたというか……」


 うーん、まぁ、そういうこともある……、のか?


 全く理解できないわけではないけど、僕は何を言っていいのか分からず「はあ」と間抜けな返事しかできない。


 日が遠い山の先に隠れ始め、辺りに闇が迫っていた。


「えっと……、いつまで付き合ってたの?」


「高校を決める前だから……、中三の二学期までかな。四ヶ月間くらい。それまで付き合うっていっても普通に買い物に行ったりカフェでお茶したり、まぁ、手を繋いだりはしてたけど、友達の時とそんなに変わらない感じだったの。それが突然その……、キ、キスをされて。そしたら私、急に我に返ったというか、なにやってるんだろうってなって」


 思わず二人がキスしている場面を想像してしまう。背の高い二人。その背景には何故か薔薇。歌劇団的なやつかな。オスカル、アンドレだっけ。


「で、美波に言ったの、やっぱり付き合えないって、ごめんなさいって。そしたら美波、分かってたって、仕方ないよねって言って。でも、せめて近くにいたいから同じ高校に行くってなって……」


「それで今に至ると」


 彼女はまた大きくこくんとうなずいた。


 不意に、先ほどの野口さんの姿が頭に浮かぶ。潤んだ瞳、切ない表情、あれって友達としてじゃなく愛する人としての顔だったのか……。なるほど。そう考えると、必死の彼女の行動にも腑に落ちるところがある。


 ちょっと待てよ。そうなると、僕って野口さんの恋敵になるんじゃないだろうか。実はずっと恨まれてたりしたのかな……。


 難しい顔をして考え込んでいると、彼女がまた察したように口を開いた。


「美波はね、私たちのこと応援してくれてたんだよ。裕太なら大丈夫だって」


「そ、そっか。なら、よかったけど」


 ところで、花蓮のファーストキスは野口さんに奪われていたわけか。しかし、なんでだろう。不思議と嫉妬や嫌悪感はない。女性だからか、それとも野口さんだからか。


「あっ、もしかして、僕とキスをしなかったのって野口さんに気を遣って?」


「ううん、違うの。確かに美波とキスをしたのが原因だけど。あのね、その、本当は裕太とすっごくしたかったんだよ。でも……、しようとすると美波とした時のことを思い出しちゃって、なんかゾワッていうか気持ち悪いっていうか……」


「気持ち悪い……」


「あっ、違うの。裕太が気持ち悪いんじゃなくて、なんていうか、女の子同士のキスが私には受け入れられないんだと思う。本当に違うからね。裕太が気持ち悪いんじゃないからね」


 彼女の必死の様子から、それは嘘じゃないと思った。


 たまに、ふざけ合って女の子同士でキスをしている動画があったりするけど、平気かどうかは人に依るのかもしれない。まぁ、僕は竹本や平内と絶対にキスなんてしたくないけどね。


 あの時、花蓮がキスしようと言ってきた時、あれって実は決死の覚悟だったのか。なんか、無下に断って悪いことをしたな。


 でも、実際にあの時キスをしていたらどうなっていたんだろう。僕らはめでたく仲直り? それとも、彼女がオエッてなって更なる惨劇? 今となっては分からない。


「あの、一応訊いておくけど……、もう嘘はないんだよね?」


「うん。これで全部」


 それを聞いて心から安堵しフーっと一息吐く。すると……。


「あっ、あの、裕太も……、裕太も何もないよね?」


 改めて考える。あのことは……、今更言えない。


「うん、何もないよ」


 彼女は安堵の表情で胸に手を当てた。その様子を見て、少し後ろめたい気持ちがあった。



 急にどっと疲れを感じた僕は、のそりとブランコに腰掛けた。考えてみれば、ここまで来るのにずっと走りっぱなし。それに、濃い話で精神的にも疲れたところもある。


 さて、これからどうしよう。そんなことを考えながら、キーコ、キーコと漕ぐ。すると、彼女も同じように漕ぎ始めた。


 日は完全に暮れ、地平線のオレンジ色が段々とあおく黒く染まっていく。輝き始めた街の光を眺めながら、僕たちは並んでブランコを漕ぎ続けた。

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