第5話.彼女の噂

 花蓮と別れて数日、僕は未だに怒りの中にいる。当然だ。僕の告白に対し彼女は嘘告で返した。そして、一年も彼女に騙されていたのだから。


 あの後、家に帰った僕はすぐさまメッセージアプリをブロックし、着信拒否の設定もした。そして、彼女のアドレスを躊躇なく消す。


 その勢いで、きれいにフォルダ分けしていた彼女と撮った写真も削除。削除ボタンを押す瞬間、ほんのちょっとためらいもあったけど、怒りに震える指は止まらなかった。


 あとから気づいたことだけど、全ての写真は彼女と共有しているので、僕が削除したことは無意味な行為。ただ、きっと彼女は元々僕の写真なんて保存していないだろう。いや、笑いの種にいくつかは残している可能性もある。なんにしても、自分のスマホに彼女の情報が入っていること自体が気持ちが悪いので、僕としては削除する意味はあった。


 彼女に関するものを次々と削除していく中で、捨てられないものもあった。彼女から貰った誕生日プレゼントの財布。半年も使っておらず、まだ綺麗なもんだ。


 捨てようと思ったけど他に手持ちの財布はないし、なにより今はSDGsの時代。使えるものを捨てるのは良しとしない、という両親の教えもあり使い続けることに。まぁ、もったいない精神である。


 ちゃんとした理由だと思いつつ、捨てないための言い訳のような気がしてちょっと嫌な気持ち。ただこの財布、決して安くはないんだよなぁ……。



 学校では、怒った彼女が文句を言いに来るんじゃないかと思っていたが、全くそんな気配はなかった。拍子抜けなところもあるけど、彼女としても事を荒立てたくはないのかもしれない。以前から学校では彼女と接することはなかったので、ある意味今まで通り。


 もちろん同じ校舎内、何度か彼女の姿を目にすることはあった。見掛けた彼女は普段と変わらない様子。普通に友達とお喋りをして笑みもうかがえた。あれだけ泣いていたのに、特に落ち込んでいる様子はない。


 やっぱり彼女は僕をずっと馬鹿にしていた、今もみんなで僕のことを笑っている、そう思うとまた怒りが込み上げた。


 しかし、なんで彼女は僕を騙し揶揄からかっていたのだろう。色々と考えたけど分からない。まぁ、今更そんなことを知っても意味はないし、彼女を許すことはないのだけど。



 それから一ヶ月ほどが過ぎた。


 竹本たちと話をしながら階段を上がると、廊下の端に数人の女子。一際背の高い集団は花蓮を含む女子バスケ部のメンバー。何やら向こうもしきりにお喋りをしている。


 僕は彼女たちのことを気にすることなく話しながら脇をすり抜ける。彼女たちも僕のことを気に留めることはない。真横に来た瞬間、一瞬野口さんが僕に目をやった気がしたけど、そのまま通り過ぎた。


 今では彼女と顔を合わせても、話すことも挨拶をすることも目を合わせることもない。僕たちは恋人でも友人でも知人でもない関係になっていた。元々お互い全く見知らぬ間柄のよう。


 これ以上、彼女に時間や労力を掛けるのは無駄だし、なによりもう関わりたくはなかった。向こうも同じスタンスなのか、先ほどのように何も言ってはこないし気にも留めない。こうして僕らの関係は朧気に、そして消えて忘れていく。それでいいと僕は思っていた。



 放課後、竹本と平内の三人で駅へと歩いている。二人の部活がない日はこうして三人で帰ることが多い。


「この前、怪我で部活を辞めた先輩が来てさ。まぁ、お世話になったし、それ自体はいいんだけど、指導とか言って色々口挟んできてまいったよ」


「あっ、わかる! あれ、困るよな。本人はいい事してるって思ってるみたいだけどさ」


「そうそう。だからその分たちが悪いんだよ。まさか帰ってくださいとも言えないじゃん」


 二人とも渋い顔で愚痴を漏らす。高校に入って部活動はしていないけど、中学の時は陸上部で同じようなことがあった。しかも、たいていやって来るのは面倒くさい先輩だったりする。いや、面倒くさい人だから用もないのに来るのかもしれない。


「あっ、怪我と言えば、あの話知ってる? 昨日、部活で八組のやつから聞いたんだけど」


 平内は何かを思い出したのか話を切り出した。そして、竹本と僕の顔を交互に見る。


「なんの話?」


 そう僕が尋ねると、話しづらい内容なのか平内は少し前屈みになり目配せをした。僕と竹本が顔を寄せる。すると、平内はヒソヒソ声で話し始めた。


「ゴリラなんだけど……」


 ゴリラ……、花蓮のこと?


 別れたとはいえ気にならないわけではない。とはいえ、さほど興味もない。どうせまた誰かから嘘告されたとかだろう。少し前にもそんな話を聞いた。


「今、あいつって試合に出てなくて練習も見学でさ、なんか怪我をしたらしいんだけど」


 その話は僕も知っている。練習中に怪我をしたって誰かが話をしていた。ただ、アスリートに怪我はつきもの。以前もよく怪我をしていたし、すぐに回復していたので心配はしていない。……心配? いや、彼女のことなんて心配なんてしていない。


 ところが、彼の話は僕が把握している内容とはだいぶ違っていた。


「でも、実は怪我じゃなくて……」


 平内は続く言葉をためると、ニヤリとした顔つきで僕たちを見る。もったいぶる平内に早く言えよと竹本が急かした。僕は興味がないので、そんな二人のやり取りを冷めた目で見ていた。


「――妊娠したらしいぞ」


 なっ!? 


「えっ!? マジで!?」


 大きな声を上げた竹本を、シーっと平内が気まずそうな顔で抑えた。そして、キョロキョロと辺りを確認する。


「声がでかいって」


「ごめんごめん。でも、それ本当?」


 竹本の問いに、神妙な面持ちで平内はゆっくりとうなずく。その様子が彼の言葉に真実味を持たせていた。


「女子バスの仲のいいやつから聞いたらしいんだけど、なんか吐いたりしてて検査したら妊娠してたんだって」


「マジかよ。それって、つわりってやつ?」


「まぁ、そうなんじゃないの? よくは分からないけど」


 竹本は驚きの表情で「へー」と声を上げている。


 花蓮が妊娠? いやいや、さすがにそれはないでしょ。


 妊娠なんてデリケートな話を簡単に部外者に漏らすだろうか。とはいえ、お喋り好きながつい話してしまうことも考えられる。


「で、相手は?」


 僕の気を知るはずもなく、竹本はこれは面白いことになってきたとばかりに目を輝かせている。まぁ、二人とも、僕と花蓮が付き合っていたことは知らないので仕方がない。


「どうやら五組の三橋らしい。ずっと前からセフレの関係だったんだってよ」


 相手が三橋と聞いて僕はゾクリとしていた。この噂、ありえなくない。


 もしこの話が本当なら、中学からずっと関係が続いていた可能性もある。僕と付き合ってた裏で、三橋あいつと繋がっていた。


 三橋あいつと身体を重ねていたかもしれない彼女のベッドを見て、ドキドキしていた僕が馬鹿みたいだ。彼女が席を外している間に、こっそり匂いを嗅いだりもしていた。やるせないし情けないし怒りが込み上げてくる。半分は自分のせいなんだけど。


「広瀬、どうした? なんか怖い顔して」


「あっ、いや、なんでもない」


 まぁ、冷静に考えてみると、僕と別れた後に再び関係を持ち始めたと考えるのが普通だろう。あの時、僕は頼めば三橋が抱いてくれるんじゃないかと彼女に言った。それで復縁した可能性もある。


 僕が言ったからかどうだかは分からないけど、抱かれるかどうかは彼女が決めること。それで妊娠したとしても僕の責任じゃない。


 僕は彼女の噂にショックを受けながらも、改めて別れて良かったと思っていた。


 しかし、本当に妊娠してたらどうなるんだこの先。彼女はU-18の代表候補にもなっている。いや、それどころじゃないだろう。


「なんかすごい話だよな。てか、二人とも学校にいられるのかな?」


 そう。代表候補とかそんな話の前に、学校にいられるかどうかが怪しい。停学か、最悪は退学処分だろう。たとえ退学じゃなくても、居づらくなるのは間違いない。


 二人は校内で起きた過去の妊娠話を持ち出しては、面白半分に彼女たちがどうなるのか予想している。そんな二人に適当に話を合わせていたけど、ざまぁという気持ちにはなり切れなかった。



 家に帰り部屋に入るとゴロッとベッドに横になった。天井を見上げ、さっきの話を思い出す。


 ……妊娠なんて本当なのかな。


 横を向き、この部屋に来た時にいつも彼女が座っていた場所に目をやった。狭い部屋に似合わない大きな体。窮屈そうだけど、距離が近いねって言って僕の隣で顔を赤く染めながら嬉しそうに微笑んでいた。


 そんな花蓮が妊娠……。一気に遠い存在になった気がする。


 この部屋にいたことが、手を繋ぎ散歩したことが、まだ帰りたくないと強く抱きしめられたことが、そして、そもそも僕と花蓮が付き合っていたことが、現実にあったことなのか疑わしくなる。


 産むのかなぁ……、結婚するのかなぁ……。


 それぞれの場面を想像し頭を抱えた。彼女と付き合っていた時、そこに自分がいることになるのかなぁなんて、そんな儚い未来を思い描いてはいなかったとは言えない。


 大きなお腹を抱えた花蓮、出産し赤ん坊を抱いている花蓮、……ん? 赤ん坊もやっぱり大きいのかな。


 悶々と色んなことを考えているうちに、いつの間にか僕は眠っていた。

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