第6話.彼女の友人

 花蓮の噂を聞いてから数日、僕はずっと彼女のことばかり考えている。


 別れてから一ヶ月以上、なんだかんだで彼女のことを考えない日はなかったけど、だからといって思い悩む状態からは脱していた。それがまた逆戻り。変な噂を持ってきた平内をひっそりと心の中で恨む。


 噂はあくまで噂。全面的に信じているわけじゃない。しかし、相手はあの三橋。あながち作り話とも思えない。


 真偽を確かめたいとは思うけど、調べる気力も勇気も、そもそも理由すら見当たらない。どうなんだろう、調べてどうするんだ、の繰り返し。



 授業を終え玄関で一人靴を履く。竹本たちは今日は部活でいない。下校する他の生徒たちと同じように、校門に向かって歩いている時だった。


「広瀬君!」


 呼び止められた声に振り向くと、そこには野口さん。これから部活に行くところなのかジャージ姿。重い表情で真っ直ぐ僕を見ている。


 ちなみに野口さんもバスケ部なので類に漏れず背が高い。175cm以上あるかもしれない。とりあえず、172cmの僕よりは大きい。ただし、がっちり体型の花蓮とは違い、すらっとしている。


「……どうしたの?」


 素っ気なく尋ねる。彼女も花蓮とグルかもしれない。


 彼女はずんずんと近づいてきて僕の腕を取った。


「ちょっと話があるから来て!」


 そう言って僕をどこかへ引っ張っていこうとする。野口さんは数少ない僕と花蓮の関係を知っている人。なので、花蓮がらみの話なのは間違いない。


「僕は何も話すことなんてないよ」


 一ヶ月以上も経って何の用なのか。今更、友達が怒鳴られた報復じゃないよね?


 振りほどこうとするが、強く袖を掴んでいて離さない。密着する体からは、花蓮と同じ桃の香りがして人知れず切なくなる。胸が思いっきり当たっているけどいいのかな。花蓮に比べるとささやかな胸だけど、しっかり柔らかさは感じる。


 困ったなぁと天を仰ぐと、周りにいる生徒たちが僕たちに注目していることが分かった。野口さんはその容姿と部活での活躍で学校ではアイドル的存在。そんな彼女と揉めていれば注目されないわけがない。


 このままだと多くの男子を敵に回しかねない。仕方なく僕は彼女について行くことにした。



 連れてこられた部室棟の裏。近くの体育館からはバスケなのかバレーなのか、ボールの跳ねる音や靴の擦れる音、また躍動する元気な声が聞こえてきている。


 仁王立ちした花蓮が待ち構えていたりするのかも、と心配していたけど予想は外れ誰もおらず。大きいとはいえそこは女子。二人でもさすがに負ける気はしないけど、喧嘩ではないことに胸を撫で下ろす。落ち着いたところで尋ねた。


「で、その、話って?」


 くるりと振り返った彼女は、先ほどと同じく重い表情。言葉を置くように言う。


「花蓮のこと」


 だよね。


「花蓮……、水島さんから聞いてるんでしょ? 僕たち別れたって」


「聞いたよ。でも、理由は話してくれないの」


 花蓮から何も聞いてないのか。ということは、野口さんはグルじゃない?


「……そう。まぁ、水島さんが話していないなら、僕から話すわけにもいかないよ」


「ううん。いいの、それはもう。二人とも話したくないんだろうし、今さら聞いても私がどうこうできるわけじゃないでしょ?」


「そりゃあ、まぁ……」


 僕は目を逸らしほんのわずかにうなずく。


 グルじゃないのであれば、てっきり別れた理由を聞きたいのだと思った。そして聞いた上で復縁するようせまるか逆に僕を罵るか、そんな流れだと。


「あのね、一応、広瀬君には知っておいてほしいから声をかけたんだけど……」


 なんのことだろう。妊娠のことかな? あっ、もしかして、妊娠させた相手として僕を疑ってる?


 これでも一応僕は元カレ。疑われるのは仕方がないことなのかもしれない。おそらく相手は三橋で決まりだろうけど。


 疑いが晴れるなら、DNA鑑定でも何でも検査してくれて構わない。まぁ、キスさえさせてもらえてなかったんだから絶対にありえないけどね。心の中で自嘲する。


「花蓮が妊娠したって噂……」


 やっぱりその話か。噂の真偽か、僕の審議か。トクトクと心臓が早まる。


「あれって全くの嘘だから」


「えっ!?」


「あっ、やっぱり信じてたんだ」


 彼女は責めるようにジト目で僕を睨む。


「いや、まぁ、信じてたわけじゃ……、どうなのかなぁって」


 ハハハと苦笑い。その様子に彼女はあきれ顔で強くフーっと息を吐いた。


「確かに、怪我をして休んでるけど、妊娠なんてありえないから。なんでそんな噂が立ったのかは分からないけど、どうせまた男子たちが揶揄からかってのことでしょ。まったくもぅ……」


 腕組みをし目を逸らすと、彼女は怒りの表情を滲ませた。


 妊娠なんて悪意のある噂は今回が初めてだけど、確かに今までも、裏で学校を牛耳っている、暴力団を壊滅させた、実はサイボーグ、などなど子供の悪口のような噂は数知れず。


 僕は妊娠の話が嘘だと聞いて心底ホッとしていた。僕が騙されていたとか三橋がどうとかそういうことじゃなく、彼女の未来が閉ざされなかったことに心から安堵していた。そして、そう咄嗟に思った自分に少し驚いてもいた。でも、不思議と嫌な気分じゃない。


「そっか。怪我も大したことないんだよね?」


「まあね。軽い捻挫だから一週間くらいで治るとは思うけど。でもね花蓮、怪我とは別にレギュラーから外されてるの」


 彼女は数多くのスカウトからうちの学校を選び入学した大型選手。もちろん、一年生の時から常にレギュラーを張っていた。チームには欠かせない存在だということは僕も知っている。


「二ヶ月くらい前から調子を落としてて、この間の練習試合でもミスを連発してね。プレーにもキレがないし、全然集中できてないっていうか……。次の大会、たとえ怪我が治っても、あの調子じゃきっとレギュラーには戻れないと思う」


「……そっか」


 二ヶ月前……、ということは、ちょうど僕が花蓮を避け始めた頃。


 野口さんの話を聞いて僕は後悔していた。いや、ずっと心のどこかで後悔していたんだと思う。それは、別れたことじゃない。ちゃんと彼女の話を聞かなかったことにだ。


 嘘をつかれ騙されていたのは間違いない。でも、今になって考えてみると、やはり過去に誰かのセフレだったなんて普通は言えないだろう。それに、急にキスをせまってきたのも、どうにか僕を繋ぎ止めたいと考えての行動だったのかもしれない。僕もだけど、彼女も冷静ではなかったんだと思う。


 別れるのは仕方がないにしても、もう少しやり方があったんじゃないか。猜疑心と憎悪に支配され、子供じみた態度しか取れなかった自分が恥ずかしくなった。


「ねぇ、花蓮のこと励ましてあげてくれない? すごく落ち込んでるの」


「えっ!? 僕が?」


「うん。やっぱり花蓮は広瀬君じゃないと駄目だと思う」


「あの……、なんとなく分かってるとは思うけど、僕たち綺麗な別れ方じゃないよ。僕なんかが励ましたところで意味はないし、逆に彼女は嫌だと思うけど」


 言っておいてなんだけど、綺麗な別れ方なんてあるのかな。


 彼女は目を伏せ、フルフルと首を横に振った。


「そんなことない。広瀬君はいい人だよ。何があったのかは分からないけど、別れたのだって花蓮を裏切ってのことじゃないと思ってる」


 彼女の言葉になんだか少し救われた気がした。でも……。


「買いかぶりすぎだって。僕にはその資格はないよ。ごめん」


 力になれない自分が情けない。僕はいたたまれず、振り向き歩き始めた。


「あっ、ちょっと待って!」


 駆け寄った彼女はまた僕の手を取る。


 チームにとって花蓮は欠かせない存在。次の大会、彼女抜きで勝ち進むのは難しいのかもしれない。でも、この野口さんの必死の表情はそういうことじゃないんだと思う。純粋に親友を想ってこと。花蓮は良い友人に恵まれた。


「ごめん。彼女が落ち込んでるのはきっと僕のせいなんだと思うけど、その僕もまだ無理なんだ。本当にごめん」


 そう言うと、彼女はとても残念そうにそっと手を離した。


「そっか、そうだよね。ごめんね。広瀬君だって辛いのに」


 花蓮にとっても僕にとっても、改めてちゃんと話し合う必要があるんだと思う。でも、この時の僕には、まだ自らが壊してしまったモノと向き合う勇気がなかった。

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