第2話.知らない彼女
ある日の昼下がり。僕は一人、学校の中庭の隅っこにあるベンチに横になっている。
お昼を食堂で済ませると、友人の
今日のような天気の良い日に、こうして外で昼寝をするのは最高だ。今の季節、淡い陽射しが暑くもなくちょうどいい。遊びなのか昼練なのか、奥の体育館から聞こえてくる薄い歓声が程よい
そして横になり数分、うとうとし始めたところで、それを阻むような数人の声と足音。大声で話しながら僕の脇を通り過ぎ、花壇を挟んだ反対側のベンチに陣取った。
「うぉ、ズリぃ」
「ヘヘっ、お前が下手なだけだって」
「揉めてるところ横から失礼!」
「「なっ!? 待てコラ!」」
どうやら何かゲームでもしているようだ。休み時間なので文句は言えないけど、静かに昼寝をしたかった僕としては邪魔された気分。耳をふさぐようにゴロリと寝返りをうつ。
「よっしゃー!」
「うわっ、マジか……」
「あぶねー、ギリで二位」
この三人の声には聞き覚えがある。一人はうちのクラスで、あとの二人は別のクラス。よく女子を含め数人で集まってはガヤガヤと騒いでいるのを目にする。みんな派手な見た目で
「じゃあ、約束通り罰ゲームな」
一位になった、うちのクラスの確か
「マジかよー。で、なんなわけ? おごり? それともモノマネとか?」
やれやれといった感じで言うこの声は五組の
罰ゲームを自ら受け入れるその姿勢は潔い。全く絡んだことがないので分からないけど、チャラそうに見えて実は結構男気がある人なのかもしれない。
「そんなんじゃねぇよ」
飯田はクククッという悪そうな笑みを含んだ言いよう。きっとろくでもないことを考えていることが、その声色から分かる。三橋もそれを察したのか、怒気をはらんだ声で釘を刺した。
「お、おい、あんまり変なのはなしだぞ!」
「まぁ、そう怯えんなって」
どんな罰ゲームにするのか、全くの部外者である僕も少し興味が湧いた。いや、全くの部外者だから興味が湧いているのかもしれない。罰ゲームを受ける本人にとっては、何を要求されるのかドキドキものだろう。
焦らすように間を置くと、飯田は少し声を落とした。
「……誰かに告ってこいよ」
「はぁ!? 何だよそれ?」
「だから、適当なやつに告るんだって。付き合ってくださいってな」
飯田はそう言うと意地悪そうにまたクククッと笑う。
なるほど。こんなノリで嘘告をする話になるのか。しかし、また花蓮じゃないだろうなぁ。ため息をつきながら僕はまたゴロリと寝返りをうった。
「マジかぁ、嘘告かよ。誰でもいいのか?」
「うーん、そうだなぁ……、よし! ゴリラにしよう。あいつにだったらやりやすいだろ」
やっぱり花蓮か。てか、ゴリラ言うな。しかし、今週二回目だよ。勘弁してほしい。事前に連絡しておくか。
僕はスマホを取り出そうとポケットに手を伸ばした。ところが、三橋からは意外な返事が。
「あー、ダメダメ、ゴリラは」
ん!?
僕は手を止める。
「なんで?」
「まぁ、確かにあいつになら嘘告しやすいけど、俺もうすでにしてんだよ。昔な」
「なんだ、マジかよ。俺知らねぇけど、いつだよそれ?」
僕も知らない。付き合う前のことかな。
「いつだったかなぁ……、中三の春だから二年半前くらいか。同じような感じで罰ゲームでさ」
そんな前から花蓮は嘘告を受けていたのか。ある意味すごい。
「なんだ、中学の時かよ。なら、俺が知るわけねぇか。で? その時はどうなったんだよ」
どうなったって……、もちろん断られた、だよね?
僕は気になり少し頭を上げた。中学の時もバスケ一筋で話せるような思い出は特にないと言っていたので、僕はあまりその頃の彼女のことを知らない。自分の知らない彼女の過去に興味と、そして少しの恐怖があった。
変な話はない。大丈夫。そう思いつつもドキドキと心臓が高鳴る。
「それが意外にもオーケーでさ、しばらくあいつと付き合ったんだよ」
――はぁ!? 付き合った!? いや、ありえないよ。だって確か花蓮は……。
僕は思い出していた。あれは彼女と付き合い始めて三ヶ月目、初めてデートで手を繋いだ時。
意を決して彼女の手を取ると、彼女はとても驚いた表情で固まった。その様子に「嫌だった?」と尋ねると、「ううん。でも、私、付き合うの初めてだから緊張しちゃって……」と恥ずかしながらも嬉しそうに微笑んでいた。
あれは嘘だったのか、偽りの顔だったのか……。
「マジかよ!? てか、なんですぐに嘘だって言わなかったんだよ」
もう一人の……、別のクラスなので名前は分からないけど、その人が言う。
「いやまぁ、俺も初めての嘘告で焦っててよ。まさかオーケーだとは思ってなかったから、嘘だって言い出しづらくなって」
「何だよそれ!?」
ハハハッと二人の笑い声が上がった。
「まぁ、付き合ってたっていっても二、三日だろ?」
確かに! 嘘告だったなら交際期間はそんなに長くはないはず。僕は情けないことに飯田の言葉に救われていた。しかし、そんな想いも虚しく三橋は答える。
「一ヶ月……、いや二ヶ月くらいかなぁ」
思ったより長い。それなりの関係になるだけの期間はある。とはいえ、あの彼女こと。手を繋いだ、そのくらいだろう。まぁ、それも嫌だけど。
「へー。で、二ヶ月で何もしなかったなんてないよな? いくらゴリラでもさ」
僕の甘い考えを打ち砕くような悪意を含んだ言いよう。背筋が凍る。嫌な予感しかない。ドクン、ドクンと心臓が強く鼓動した。僕は不安から自らの胸ぐらをつかんだ。
「ん? うーん、そりゃあ、まあな。きっちり楽しませてもらったよ。ほらあいつ、体は悪くねえじゃん」
――っ! 嘘だ……、あの花蓮が……。
「確かに胸とかすげえよな。別に顔も悪くねえし」
「な? だろ? まぁ、色々仕込んだけどそのうち飽きてよ。もういいやーってなって捨てようとしたら、俺のモノが忘れられなくなってたみたいで泣き付かれてさ」
嘘だ、嘘だ、嘘だ。僕の花蓮が、あの愛しい花蓮が……。
彼の話す花蓮と僕の知っている花蓮が重ならない。あの手を繋いだだけでも顔を赤らめる初々しい彼女とは全く別の人物のよう。こんな話は知らない、彼女から聞いていない。
真っ黒な絶望が全身を染め、乾いた絵の具のようにひび割れる。
のどの奥が熱い、胸が痛い、息が苦しい。もう息を吸ってるのか吐いてるのかさえも分からない。
僕の苦しみなど知る由もなく、三橋は更に彼女との行為を自慢げに語っている。怒りでギリギリと歯を食いしばり、今にも出ていって三橋をぶん殴ってやりたい。
ブルブルと殺意に震える右手の手首を掴んで抑えた。ハーっと息を吐く。
待て。三橋はきっと冗談を言っているだけだ。そうだ、そうに違いない。あの花蓮が過去に誰かと肉体関係にあっただなんて考えにくい。
そう思い込もうとするが、饒舌に語る彼の話ぶりに嘘や冗談だと単純に捨て置くことができない。最悪のことが頭に浮かび気になって仕方がない。
「……でさ、あんまり縋り付いてくるもんだから、しばらくセフ――」
僕は耳をふさいだ。いやだ、もう聞きたくない。目も閉じて一切の情報を遮断する。
愛しい彼女が他の男に恋をしていた、愛を囁いていた、そして身体を許し、あいつを求めていた。しかも、あんな軽率そうな
嫌悪感が胸を埋め尽くし、色鮮やかだった彼女との思い出が白黒に、そして朧気に。
僕と会った瞬間に見せる嬉しそうな笑顔、楽しそうに話す横顔、顔を赤らめモジモジと恥じらう姿、それら僕の宝物だった彼女の記憶が急に思い出せなくなった。
しばらくすると、耳をふさいでいる手の先から、昼休みの終わりを告げる予鈴が
「早く行こう」と声をかけながら、パタパタと中庭から離れる女子たちの足音。頭を上げ花壇のむこう側に耳を傾けると、いつの間にか彼らはいなくなっていた。
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