第3話.僕の彼女

 花蓮との出会いは約一年前、まだ残暑が厳しい夏休み明けの頃だった。


 文化祭実行委員の会合で顔を合わせた僕たちは同じ班になり、校内各所に設置する案内板作りの担当になった。


 案内板は数が多く、そのため僕の班は連日作業に追われることに。そんな中、スポーツ特待生である彼女は部活動優先でほとんど参加できず、同じ一年生である僕が彼女の分までカバーしていた。


 僕は昼休みを返上し、また放課後も遅くまで作業に励んだ。二人分は大変だったけど、元々物作りは好きな方なのでそれほど苦ではなかった。


 それに彼女はバスケ部の期待の星。同じ学校の生徒として僕も応援していたので、むしろ彼女には部活に専念してほしいという想いもあった。


 そんなある日、いつものように委員会の仕事を終えての帰宅途中、駅で部活帰りの彼女とばったり会う。時刻は夜の八時近く。


「あれ? えっと……、広瀬ひろせ君?」


「あっ、水島さん。おつかれ」


 駅前のコンビニで買ったのだろう、アイスを片手に僕を見つけて少し驚いた表情。


 水島さんも買い食いなんてするんだな。しかし、一、二回しか会ってないのに僕の名前を覚えてたんだ。


「あの、もしかして文化祭の準備?」


「あー、うん」


 そう答えると彼女は駅の時計に目をやる。


「こんな遅くまで?」


「もう少しだけ、なんて思ってたらいつの間にか。アハハ……」


「ご、ごめん。私、部活の後さっきまでみんなとカラオケに行ってた。本当にごめんなさい」


 申し訳なさそうな顔で彼女は頭を下げた。真面目な性格なのかな。


「いや、別にいいんだよ。水島さんは水島さんでやるべきことをやっているわけだし、チームワークの一環でコートの外での付き合いも大事だろうしね」


「でも、そうは言っても、私は好きでバスケをやってて遊んでたわけだから……」


 そんなに気にすることはないのに。いつもの険しい表情とは異なる、しゅんとした姿。彼女もこんな可愛い顔するんだ。


「フフッ」


「えっ!? なに?」


 思わず吹き出してしまった。


「いや、水島さんもそんな可愛らしい顔をするんだなぁと思って」


「かっ、可愛い!?」


 裏返った声で目を剝く。


「あっ、ごめんごめん。気に障ったんなら謝るよ。本当にごめん」


「そんな別に怒っては……」


 硬い表情に戻るとプイッと顔を逸らす。その横顔は赤くなっているように見えた。



 翌日から、彼女は部活終わりに手伝いに来てくれるようになった。


 こういった作業はあまり得意ではなかったけど、疲れているところ一生懸命取り組んでくれたし、なにより手伝いに来てくれたこと自体が嬉しかった。


 遅くまで作業し、帰りはいつも駅まで彼女と二人。


 怖そうと思っていた彼女も、改めて話をしてみると普通の。部活や家族や友達、趣味や最近はまっていることなど、駅までの道すがら色々と話をした。


 二週間後、文化祭は盛況のうちに終わり、片付けの後いつものように二人で駅へ向かう。こうして一緒に帰るのも今日で最後。


「水島さんが手伝ってくれて本当に助かったよ。改めて、ありがとう」


「ううん。元々私の仕事だし、逆に広瀬君にはたくさん迷惑かけちゃって。今日もそうだけど、テキパキ色んなことができる広瀬君はすごいなぁって思った」


「そう? ありがとう」


 彼女に褒められてすごく嬉しい。頑張った甲斐があった。


 十月も半ば、六時を過ぎると辺りはもうすっかり暗く、夏とは違う濃い闇が周囲を覆っていた。道路脇の垣根や草むらからは、五月蝿いほど虫の音が響いている。


 駅が近づきいよいよお別れ。元々接点のない僕たち。来週からは会うことはないし、もう二度と話をすることもないかもしれない。


 まぁ、これからも観客席から応援しよう。それでいい。そんなことを思っていると不意に……。


「あ、あのさ……」


 呼び止められた声に僕は振り向く。いつの間にか彼女は足を止めていた。リュックの紐を両手で持ち、縮こまるようにうつむいている彼女はしょんぼりしている。


「どうしたの?」


「その、ちょっと相談というか……、そこでダメかな?」


 彼女は街灯がポツポツ灯る広場の方に目をやった。


 駅裏にあるこの広場はこの時間だと人気ひとけがなく、すでに今日の営業を終えたかのように静まり返っている。


 僕たちは端にある一つのベンチに座った。制汗剤だろうか、隣に来た彼女から桃のような甘く柔らかい香りが漂ってくる。


「あの、広瀬君はさ、その……、彼女っている?」


 相談って……、恋愛相談か。水島さんの? まぁ、彼女だって女の子なんだし、好きな男子がいても不思議じゃないよね。いや、友達のことで男子の意見を聞きたいとかかもしれない。どっちにしても、ちょっと困ったなぁ……。


「いないよ。今まで付き合ったこともないし」


 そう、僕は彼女いない歴=年齢の童貞男子だ。なので恋愛に関して気の利いたことは言えない。


「あっ、そっか、そうなんだ。うん、そうか、そうなんだね……」


 彼女は確認するように何度もうなずいた。焦ってないけど、そんなに強調されるとさすがに少しへこむ。


 彼女は返事をしたきり黙り込んでしまった。困ったような焦ったようなその横顔からは、何を考えているのかはうかがえない。やっぱり相談相手としてお眼鏡に叶わなかったのかな。


「あの……、水島さんは付き合ってる人いないの?」


 沈黙に耐えられなかったのもあるけど、訊きたいし訊けるタイミングだと思った。


「えっ!? 私?」


「うん」


「アハハ、いるわけないよ。私だよ? こんな……」


 そう言うと、短く切り揃えられた前髪を自信がなさそうな顔でいじっている。


「そんなことないよ。水島さんはすごく魅力的なひとだと思うけど」


「やだなぁ、もぅ揶揄からかわないでよ。誰も私なんかと付き合いたいなんて思う男子ひとはいないって」


 苦笑いしながら自分を卑下するその様子に、僕は何故かムッとしていた。


「僕は……、僕は水島さんと付き合えるなら付き合いたいと思ってるけど」


「へっ!?」


 彼女はビクッと体を震わせながら素っ頓狂な声を上げた。


 あれ? なに言ってるんだ僕は。


 話の流れでとんでもないことを言っている自分に気づく。


「そっ、それって本当なの? 嘘告……、とか?」


「嘘告じゃないよ!」


 思わず声が大きくなってしまった。嘘告をするような人だと思われたくない。


「僕は、その……、水島さんのこと……」


 彼女は緊張した面持ちで僕を見下ろしている。ちらりと見ると、膝に置いた彼女の手がプルプルと震えていた。


「あの……、好きです」


 言ってしまった。こんな所でこんな唐突に告白するつもりはなかった。いや、そもそも告白自体するつもりもなかった。


 彼女はまた「へっ!?」と声を上げた。落ち着こうとしているのか、膝に置いた手を今度は高速でニギニギしている。


 めちゃくちゃ恥ずかしい。自分の気持ちを正直に言うことが、こんなにも恥ずかしいことだとは思わなかった。


 でも、ここまできたら突き進むしかない。僕は覚悟を決めて尋ねる。


「あの、なので……、もしよかったらなんだけど、僕と付き合ったりすることって……、できたりしませんか?」


 なんかちょっと後ろ向きな言葉。でも、これが精一杯。


 どうかなと恐る恐る見上げると、彼女は目を大きく見開き顔は真っ赤。言葉が出ないのか、僕の方を見て何度も小さくコクコクコクとうなずいている。


「えっと……、オ、オーケーってこと?」


 また小刻みに何度もうなずく。


「本当に? よかったー」


 安堵と共に、胸に溜まっていた緊張の空気を一気に吐き出した。


「あっ、あの、いいの? こんな大女おおおんなで本当にいいの?」


「えっと、まぁ、確かに大きいとは思うけど、かっ、かわ、可愛いなぁって、ずっと思ってて……」


 照れ隠しに笑う。


「うそぉ、うれしぃ……」


 恥ずかしがっている顔を見られたくないのか、彼女はうつむき両手で顔を覆った。


 水島さん、可愛い……。


 初々しいその姿は、お世辞なんかじゃなく僕は本当に可愛いと思っていた。



 そんな感じで僕と花蓮は付き合うことになったけど、交際していることは一部の人を除き秘密にすることにした。


 そもそも、バスケ部で一年生は彼氏を作ってはいけないという暗黙のルールがあった。また、彼女と付き合っていることで、僕が揶揄からかわれることを彼女が危惧したというのもある。僕は気にしないけど。二年生になった今でも、それにより僕たちの関係は秘密のまま。


 そうなると、基本的に校内では会うことはできないし、近場でのデートも難しくなった。とにかく彼女は目立つので、学校の近くの商店街やショッピングモールなんかは一緒には歩けない。デートするなら遠くの街だ。


 彼女は部活で毎日忙しく、平日で会えるのは火曜日と木曜日。部活が若干早く終わる日。通学路から少し外れた小さな公園で待ち合わせをする。


 高台の端っこにあるその公園は夕方は人気ひとけがなく貸切状態。街を見下ろすブランコに乗って、暮れゆく街を眺めながら色んな話をする。たまに身を寄せ合ってイチャイチャしたり。


 週末は出掛けることもあるけど、どちらかの家で過ごすことの方が多い。学校から遠く人目の少ない僕の家が主だけど、たまに彼女の家の時もある。


 ちなみに、うちの家族は両親共に公認。僕の二つ下の妹とも仲がいい。


 逆に彼女の家族とは会ったことがなく、父親は単身赴任で常に不在、母親は仕事が忙しく家を開けていることが多い。大学生の兄は一人暮らしのため家を出ている。


 まだキスもしていないけど、今では何でも話せる本当に信頼できる相手。だから、お互い大きな不満や隠し事なんてない、僕はそう信じて疑っていなかった。

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