一歩

新しい生活

 ミツバの家に行ってから、一か月が過ぎた。


 季節は真冬。

 ゴリ松と住職の二人とは、一度相談し合ったが、結局解決策が出なくて様子見という形になった。


 一か月の間、オレはミツバとは会っていない。

 仕事から帰ってきたら、適当に飯を食って、二階に行ってパソコンを開く。それから、適当にネットをやって過ごして、適当な時間で寝る。


 これが以前の生活。


 今では、玄関の扉を開けると、ムスッとふてくされた絵馬が迎えるようになった。


《おっそいよ! ばぁか!》


 心境としては、生意気な姪っ子と同棲している感じか。

 口を開けば悪態を吐き、そこら中を走り回って、悪戯をする。

 元閻魔とは思えず、オレは呆れた。


 絵馬はタガが外れたように、死後の世界で見た威厳がなくなっている。

 日に日に、妹のような、生意気な子供のような性格に変わり、今ではなけなしの金で買ったセーターと丈の長い地味なスカートを履いて生活している。


「疲れてるんだよ」

《私の方が疲れた》

「何もしてないだろ」

《したよ! 炊事、洗濯、掃除。家事やってるの私なんだけど》


 聞き流して家に上がると、手に持った買い物袋を奪われた。

 口を尖らせて、買い物袋を漁り、お目当てのアイスを取り出す。

 こいつに食費やら服のお金やらを使う生活になってから、オレは太ることがなくなった。


 同居人がいると、適当な食事で済ませるわけにはいかない。

 というか、怒って暴れるので、ちゃんと自炊をするようになった。


 絵馬はチューブ型のアイスを手に取り、パタパタとリビングの方に走り去っていく。床に置きっぱなしの袋を持つと、オレはため息を吐いた。


「戸閉めろよ。油代掛かるんだから」

《寒くないし》

「だったら、ストーブの電源入れるのやめてくれない? 今月いくら掛かってると思ってんだよ」


 ネギと豆腐を取り出し、質素な味噌汁を作るために準備を始める。

 あとは、麻婆豆腐。

 キャベツともやし、ニラの野菜炒め。


 作り置きをしておけば、楽な事に気づいたのだ。


《ぢゅーっ、ぢゅーっ》


 汚い音を立てて、絵馬がアイスを吸い出す。

 見た目だけは少女だが、実年齢はかなりいってるだろう。

 外見に救われている事に、彼女は気づいていない。

 元カレの牧野も、こんな奴のどこが気に入ったのか。

 いや、取り入るために適当な嘘を並べただけか。


 ともあれ、変な暮らしが始まった。


 絵馬がいるせいか。

 ミツバの生霊に憑かれているせいか。


 オレは第六感みたいのが、メキメキと成長した。

 おかげで、窓に張り付いている、あんぐり顔の幽霊を見かける事は日常茶飯事。通勤時には同じ車内で声を掛けられたり、仕事中には他の客と見分けがつかない始末。


 家の近くには、神社があるのだが、そこでは変な奴を見かけたりした。

 鉈を持った女だ。

 茶色の頭をした女で、黒い着物を着ていた。


《えーっ。また、しょぼい味噌汁⁉》

「レシピが少ないんだよ」

《勉強してよ! ウチの屋敷では、もっと豪勢だったよ⁉》


 あと、話は変わるが、オレはこいつにイラついた時には、遠慮せずに頬を抓る事を覚えた。


 両方の頬を手の平いっぱいに掴み、横に伸ばしてやるのだ。

 すると、やせ我慢して睨んでくる絵馬が、少しの間だけ静かになる。


「んじゃ、手伝って。作ってほしい料理があったら、レシピ教えてくれ。こっちは金がないんだよ」

《……ふん》


 そっぽ向いてソファの方に戻っていく。


「手伝わねえってか。あ、そ」


 包丁を動かしながら、オレは考える。


 ホラーでも書いてみようか。

 ホラーなんて、正直どんな話にすればいいのか分かっていない。

 幽霊か。化け物か。狂人か。

 流行や王道は頭に浮かぶけど、いずれも、いざ書くとなると手が止まる。


 何でだろう、と自分に問いただすと、書く気がなかった。

 なのに、またしてもホラーを書いてみようと考えたのは、生活の変化に伴い、自分の考え方が変わったからかもしれない。


 常識は誰かが作ったもの。

 型だって、遡れば誰かが作ったものでしかない。


 そう考えると、形なんてあるようで、初めからないのかもしれない。

 だったら、初めから自由なのだから、自分の好き勝手にやってみようと思ったわけだ。


 小説が完成するのは、いつになるのか。

 完成する日が遠く見えている。

 一方で、一生完成なんかしないんじゃないか、とも思ってる。


 ――自分で決めた事をやり遂げる。


 ミツバの言葉が、呪いのように頭の中で反芻はんすうしている。

 常に逃げてきたオレは、向き合ったものが少ない。

 なので、趣味であれ、遊びであれ、本気であれ。

 やってみよう、と考えたことを最後まで続けてみようと考えた。


《んねぇ? ペット飼いたい》

「ダメ」

《お願い。犬が欲しい》

「ダメだって。家に余裕ないんだから」

《バカ! クソ! 貧乏人!》


 散々悪態を吐いて戻っていく絵馬。

 この一か月、これが当たり前になっている。

 先の事を考えると、頭が痛くなった。

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