後遺症

「眠り病ですか?」

「……ええ。事故の後遺症みたい。一通りの検査は受けたんだけど。原因が分からないって。だから、後遺症じゃないか、って先生が言うの。症状が眠り病と同じだって」


 眠り病。

 普通に生活していて、馴染みのない言葉だった。


 ミツバのお母さんを呼んだオレは、二人でミツバをベッドに寝かせ、リビングの方に移った。広々としたリビングは、生活感に溢れている。


 オレの家の場合、家具はボロボロだし、リビングの広さはあっても、そこら中染みだらけ。家だけ大きい貧乏人ってところだ。


 だが、ミツバの家はオレからすれば、豪邸そのもの。

 窓ガラスにしたって、分厚くて頑丈。

 二枚重なっているタイプなのか。


 窓から差し込んだ光を横から受けるように、長いソファが一つ。

 窓と向き合うようにして、長いソファがもう一つ置かれている。


 せっかく淹れてもらったコーヒーを口に含み、オレはミツバが眠った原因を聞いている。


「生きてるだけで、十分だけどね。親としては心配」

「そう、ですよね」

「……そういえば、佐伯くんはミツバのお友達でしょ」

「はい」


 オレのこと、知ってるのか。

 ミツバの親とは面識がない。

 会ったのは、今日が初めてだ。

 だから、「佐伯」という苗字が口から出てきて、少しだけドキっとしてしまう。


「会いたがってたのよ。ミツバ」

「……はぁ」

「そのせいで、元旦那と拗れたんだけどね。ふふ」


 ミツバに想われていた事は、素直に嬉しい。

 だけど、今のオレは複雑な心境だ。

 会ったことで、自分のメッキが剥がれた。

 会ったところで、やはり何もできなかった。


 込み上げてくる劣等感に自己嫌悪をするだけだ。


「あー……、その、聞きづらいんですが。元、旦那さんは?」


 すると、ミツバのお母さんは笑みを浮かべたまま、口を噤む。

 言葉を選んでいるのか。

 間を空けてから、「捕まっちゃった」と、明るい調子で話すのだ。


「お金絡みは嫌よね」

「ですね」

「保険金殺人なんて、ドラマの中だけだと思ってたわ。あ、未遂ね。男の看護師さんが気づいてくれたの。連絡が来たときは、もう、びっくり」


 自分で話を振っておいて、オレは黙ってしまった。

 気まずくならないよう、愛想の笑みだけは口元に作っておく。


「佐伯くんは、どう? ウチのミツバ」

「どう、とは」

「今、お付き合いしてる子はいるの?」

「いないですね」


 何を言いたいか、分からないほどバカではない。

 オレ達の年齢を考えると、こういう話を振られるのは、早いなんて事はない。


 おじさんとおばさんだ。


 さらに高齢の両親からすれば、お見合い感覚だろう。

 時代だってある。


 だけど、オレは結婚しよう、なんてことは微塵も考えていない。


 オレには死んだ両親の借金がある。

 さらに、死んだ先祖代々が持っていた田んぼなどの土地。

 売ろうにも買い手がつかずに、持っている邪魔な土地だ。


 負債がありすぎて、夫婦仲になれば、確実に苦しめてしまう。

 それが分かっていて、ミツバに手を出すほど、オレは人間を捨てていない。


「ミツバさんは、興味ないですよ」


 笑いながら、遠回しに断った。

 そう、と皺のある口元に笑みを浮かべると、ミツバのお母さんは、それ以上何も言わなかった。


 コーヒーを一口飲み、帰ろうかと思った矢先の事だった。


 ブー、ブー。


 ポケットの中で、スマホが震えている。

 取り出して画面を見ると、『ゴリ松』の名前が表示されていた。


「あ、すいません」


 立ち上がってリビングを出る。

 玄関先まで移動したオレは、電話に出て、後ろを確認した。


「はい」

『おぉ。生きてるかぁ』

「聞けば分かるだろ」

『あのなぁ。お前に言い忘れた事があるっていうか。俺も後から思い出したんだけどさ』


 ゴリ松は躊躇った後、こんなことを言った。


『俺ら。ミツバちゃんの服脱がしたっけ?』


 自然と、オレの目線は吹き抜けの廊下に向けられた。

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